●「アリエッティ」FAQ
FAQ of "Arrietty"

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「アリエッティ」に関する質問等をQ&A形式でまとめてみました。(最新の更新はで表します)

ただし、独断と偏見で書いたところもあり、正確さは保証出来ません。あらかじめご了承下さい。
今後発表される情報の中で新事実が出てきたときは、当然ながらそちらを優先させて下さい。

 


基本編 2010/07/22更新

「アリエッティ」の原作はどのようなものですか?
原作と映画とでは、どのあたりが違っているのですか?
「アリエッティ」の脚本は、どのようにして出来上がったのでしょうか?
セシル・コルベルさんは、どのようなきっかけで「アリエッティ」の主題歌を歌うようになったのですか? 
アリエッティの身長は、どのくらいの設定なのでしょうか?
登場人物の家族構成はどのような感じなのでしょうか?


作品編 (ネタバレあり) 2010/07/21更新

アリエッティ一家は人間世界から様々なものを「借りて」生活していますが、ぶっちゃけ「盗み」なのではないでしょうかのでしょうか? 
床下の描写が清潔すぎるところが不自然です。普通、床下はもっとジメジメしているでしょうし、猛烈にホコリっぽいものではないのですか?
翔は、どうして押し入れの床下にアリエッティたちの住み家があると分かったのですか?
アリエッティ一家は床下にレンガを積み上げて住居にしていましたが、小人の力であんなふうにレンガを積むことが出来たのでしょうか。
ハルが翔の部屋に鍵をかけたシーンに違和感があります。普通、鍵は部屋の内側から開けられるんじゃないんですか?
ハルが小人達を目の敵にする理由が分かりません。害虫のように嫌う必要はないんじゃないでしょうか。


その他  2010/07/26更新 
「アリエッティ」の舞台となった街はあるのですか?
「アリエッティ」はどうしてどうして原作通りイギリスを舞台にしなかったのですか? 
アリエッティ一家は原作通りイギリス出身のように見えるのですが、先祖はどうやって日本に来たのですか?
アリエッティとスピラーは将来結婚するのでしょうか?
翔の心臓の手術は成功するのでしょうか?









   基本編
「アリエッティ」の原作はどのようなものですか? 原作はイギリスのメアリー・ノートンの『床下の小人たち』です。1952年から発表が始まり、日本語版は1956年から『小人の冒険シリーズ』として岩波書店より刊行されています。ファンタジー小説ではありますが、小人たちは魔法などの特別な力を持っている訳ではなく、人間と同様の喜怒哀楽を持ち、人間世界の様々な品を「借り」ながら、慎ましやかに暮らしているという設定です。ジブリ版では概ね1巻〜3巻くらいまでが映像化されています。

・『床下の小人たち』The Borrowers(1952)
  好奇心旺盛なアリエッティが外の世界へ出て、病気療養中の人間の少年と接触。
・『野に出た小人たち』The Borrowers Afield(1955)
  人間に見つかってしまったアリエッティ一家は移住を決意、スピラーと友達になる。
・『川をくだる小人たち』The Borrowers Afloat(1959)
  やかんを船代わりにして、安住の地を探す。大きな危険が待ち受ける。
・『空をとぶ小人たち』The Borrowers Aloft(1961)
  アリエッティ一家は、人間の男・プラターに誘拐されてしまい、気球を作って脱出を試みる。
・『小人たちの新しい家』The Borrowers Avenged(1982)
  20年後に出された続編。プラターとの決着、親戚一家との再会など。
原作と映画とでは、どのあたりが違っているのですか? ヒロインのアリエッティは、ジブリ版では14歳の設定ですが、原作では13歳になっています。ジブリ版の翔は12歳ですが、原作の「男の子」は8歳くらいの設定です。物語の舞台も、ジブリ版では現代日本の東京郊外(小金井市)ですが、原作は1950年代のイギリスが舞台になっています。
「アリエッティ」の脚本は、どのようにして出来上がったのでしょうか? 『キネマ旬報』2010年8月号によると、企画がスタートした頃(2008年10月20日前後)にはまだ脚本は出来て折らず、企画者である宮崎駿氏に若手の脚本をプレゼンテーションする形が試みられたようです。しかし、スケジュール的な問題もあって宮崎駿氏に脚本をお願いすることになり、宮崎駿氏が口述した内容を、丹羽圭子氏がまとめるという形で作られました(丹羽氏は、『ゲド戦記』でも共同脚本を担当しており、『海がきこえる』にも参加しています)。
この脚本をもとに米林監督が絵コンテを切っていくのですが、特に後半のパートに入ると米林監督から「こういうところが足りない、ここは書き足して欲しい」といった要望が出て、丹羽氏と連絡をとりながら脚本にも修正を加えていき、その結果絵コンテの完成を見たとのことです。
すなわち、最初から固まった脚本が出来上がっていた訳ではなく、絵コンテの作成と同時進行の形で練り上げられていったということが出来そうです。
セシル・コルベルさんは、どのようなきっかけで「アリエッティ」の主題歌を歌うようになったのですか?
セシル・コルベル氏(Cecile Corbel)は、1980年、フランス北西部のブルターニュ地方・フィニステール生まれの歌手でハープ奏者です。思春期にケルト音楽に傾倒、地元の音楽学校でハープを習い、ハープ奏者としてのキャリアをスタートさせます。2009年、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーのもとに送った1枚のCDがきっかけとなり、「アリエッティ」の音楽製作に携わることになりました。
公式サイトには「スタジオジブリの作品は、もうかなり以前から私にとって大いなるインスピレーションを沸かせてくれる源になっている」と記されており、ジブリ作品の音楽に関係を受けたセシルさんが、「アリエッティ」の音楽製作を通してジブリに恩返しをしたという格好になっています。
アリエッティの身長は、どのくらいの設定なのでしょうか?
アリエッティの身長を推定するには、劇中に登場するドールハウス(doll's house)が手がかりになります。
ドールハウスは、19世紀のヨーロッパで流行した女の子向けの玩具で、1フィート(約30センチ)を1インチ(約2.54センチ)に縮小した1/12サイズ(インチサイズ)が標準的であるとされています。ドールハウスを訪れたアリエッティが「私たちにぴったり」と言っていますので、アリエッティ達のサイズも人間の1/12サイズくらいではないかと推定することが可能です。人間目線で見たアリエッティの身長は155〜160センチくらいだとすれば、アリエッティの身長は13センチ前後ということになります。
登場人物の家族構成はどのような感じなのでしょうか??
米林監督の設定によると、登場人物の相関図は、おおよそ以下の図のようになっています。ちなみに、この図は現在の屋敷の主人である貞子の視点から見たものです。貞子の父は既に小人を見ていたので、アリエッティの祖先も代々屋敷の床下に住み着いていたことが分かります。
貞子に他の兄弟がいるのか、貞子自身に夫や子どもがいるのかは不明ですが、もしいなかったとする場合(家系図もこの相関図のままだった場合)、屋敷の相続人は翔だけということになり、翔は心臓が弱い訳ですから、実は翔の一族の方こそ「滅びゆく」家系のように見えてしまう構図となっています。何とも皮肉なものです。



この設定によると、ホミリーは比較的高齢出産であったことも分かります。(人口を減らしていた)小人族の間では出会いが少なく、結ばれるのが遅かったのかもしれませんし、小人族は人間よりも比較的長命なのかもしれません。
ポッド(61)と貞子(68)の年齢があまり変わらないところも注目点です。数十年にわたって貞子に姿を見られずに「借り」をしてきたポッドの腕前は相当のものがあると言わなければなりません。




   作品編 (ネタバレあり)
アリエッティ一家は人間世界から様々なものを「借りて」生活していますが、ぶっちゃけ「盗み」なのではないでしょうかのでしょうか?
借りぐらしの小人は、人間から様々な物を「借りて」生活しています。もちろん、「借りた」ものは返すつもりはなさそうです。借りて返さない訳ですから、ありていに言えば「盗んでいる」ことになり、良く言っても「頂戴している」ことに他なりません。そういう意味では、確かに「盗んでいる」と言った方がしっくりきますね。
けれども、そこれは人間が世界を「所有」しているという観念に縛られた見方に過ぎません。人間だって、地球上に存在する様々なものを勝手に「頂戴して」、「所有」し、それを消費しながら暮らしているのであって、自然界に「返している」訳ではありません。つまり、「利用できるものを利用する」という意味では人間の行動も小人の行動も本質的には変わりないということも出来ます。
原作では、人間の男の子が「それは盗みじゃないか」と言ったことに対して、アリエッティが「大きいやつら(人間)は私たちの為に存在してるんだから、そいつらから借りて生活するのは当たり前でしょ」と言い合うくだりがあります。人間の論理がそのまま小人の世界に当てはまる訳ではないことが、うまく表現されていると思います。
床下の描写が清潔すぎるところが不自然です。普通、床下はもっとジメジメしているでしょうし、猛烈にホコリっぽいものではないのですか?
原作にはタイトルに「床下」とありますが、ジメジメして暗い印象がつきまとうことは否めません。ただし、原作で描かれたイギリスの民家の床下は、日本よりも乾燥していて過ごしやすいかもしれません。そういう意味では、日本の家屋の床下はいかにも湿度が高そうで過ごしにくそうです。
しかし、米林監督は、床下をそのようなジメジメしたイメージでは描きたくなかったと述べていますので、過ごしやすく描かれたのではないかと思われます。ホコリについても同様と思われ、場所によっては相当にホコリっぽいはずですが、少なくとも、アリエッティ達が生活しているところは清掃が行き届いているということでしょう。
翔は、どうして押し入れの床下にアリエッティたちの住み家があると分かったのですか? 本編では特に描かれていないので、設定資料などで新しい情報が開示されない限りは想像するほかありませんが、翔が角砂糖や花を床下の通風口に置いているところが解明の糸口になるのではないかと思います。あの通風口から床下を覗けば、レンガが不自然に積まれた怪しい一角が見えるでしょうし、レンガが積まれた場所を推定すれば、押し入れの下かなという見当はつけられるでしょう。
押し入れの床が(床下収納用の)扉になっていたのは、さすがに偶然だと思います。しかし、バールのようなものが放置されてハルに見つかっており、その前には釘を抜いているかのような描写もありますので、床下の扉は長い間釘付けされていたものと思われます。バールを用意し、あらかじめドールハウスの台所まで準備していた翔の準備の良さが印象的ではあります。
アリエッティ一家は床下にレンガを積み上げて住居にしていましたが、小人の力であんなふうにレンガを積むことが出来たのでしょうか。 確かに、小人だけの力では、レンガをあのように積み上げることはちょっと困難であるように思えます。翔の曾祖父が若かった時代(まだドールハウスが作られる前の時代)、人間が気を効かせてレンガをあのように積み上げたのかもしれません。もちろん、当時の小人たちは警戒して近づかなかったでしょうが、人間の記憶からも小人の記憶からも当時の状況が忘れ去られるほど長い期間が経過したのち、小人たちがそこを新しい住み家にして整備していったのではないかという推定が出来るかもしれません。
ハルが翔の部屋に鍵をかけたシーンに違和感があります。普通、鍵は部屋の内側から開けられるんじゃないんですか?
確かに、普通の部屋の鍵では、内側から鍵を開けられるような構造になっています。外(廊下側)から鍵をかけられて、内(部屋側)からは開けられないというのは、この鍵の構造は、後で描かれる翔とアリエッティの脱出シーンの伏線になっているのですが、意地悪な見方をすれば、その脱出シーンのためにやや強引に作られた設定という見方が出来ないでもありません。
ここは、詳細な設定が出てこない限り推定するしかないところですが、「子息の躾用」という可能性が考えられると思います。この家の持ち主は代々続く由緒正しい家柄であることを連想させ、当然ながら子どもへの躾は厳しいものがあったと想像されます。何かあったときには反省させるために部屋に閉じこめることもあり得たかもしれません。そのような「反省室」的な使われ方をしていた名残であると考えると、内側から鍵を開けられないようになっていても辻褄が合います。
そうでなければ、最初からそういう仕様(扉のどちら側からでも施錠でき、解錠出来るタイプの鍵だった)であると考えられます。いかがなものでしょうか(^-^;。
ハルが小人達を目の敵にする理由が分かりません。害虫のように嫌う必要はないんじゃないでしょうか。 ハルは家のお手伝いさんという設定なので、家のものを無断で「借りて」いく小人達は煙たい存在だったのでしょう。劇中での描写は特にありませんでしたが、家の中のものがいつの間にかなくなっていることには気付いていたのではないでしょうか。両面テープがなくなったり、クッキーがまとまって消えてしまったりと、心当たりはあったのではないかと思います。
また、原作では、とても意地悪なおばさん(ドライヴァおばさん)という設定なので、それに影響されたのかもしれません。




   その他
「アリエッティ」の舞台となった街はあるのですか? 原作ではイギリスの田園風景が描かれていますが、ジブリ版では現代日本の東京郊外(小金井市)に変更されました。小金井市は武蔵野台地の南西部に位置し、国分寺崖線と呼ばれる標高差20メートルほどの崖が横切っている地形なので、見晴らしの良い高台も実際にあります。小金井市WEBによると、「この崖線のいたるところに湧水がみられ、湧水を集めながら崖線に沿って「野川」が市の南部を東西に流れている」ので、実際にアリエッティ一家が移住するとしたら、この「野川」を下っていったのではないかと思われます。
なお、ジブリ版で描かれる屋敷や庭園は、2008年にスタジオジブリの社員旅行で訪問した青森県平川市の盛美園がモデルとなったとのことです。スタジオジブリ広報部長 西岡純一のアリエッティ日記より
「アリエッティ」はどうしてどうして原作通りイギリスを舞台にしなかったのですか? 『Brutus』2010年8月1日号の宮崎駿氏へのインタビュー記事によると、(現状では)原作通りイギリスを舞台にしては描けなかったためとあります。すなわち、「泥臭い、田舎臭い、100年以上前のイギリスを舞台にしても日本人ができっこない」ことに加え、「麻呂(米林監督)も何も知らない」からという要因を指摘しています。中途半端に勉強しても「ゲタ履いて畳の上を歩いているような映画」になってしまう恐れもあるので、とてもイギリスを舞台には出来なかったというようです。また、宮崎駿氏は、「日本人の今の観客はもうヨーロッパへ気持ちが向いていない」とも述べていて、日本の観客向けに作るのであれば、日本を舞台にした方が良いという判断につながっているのではないかとも思われます。
アリエッティ一家は原作通りイギリス出身のように見えるのですが、先祖はどうやって日本に来たのですか? 『ぴあ』に載っていた宮崎駿氏へのインタビューによると、「アリエッティ達の先祖は、イギリスから鳥に乗って日本に辿りついた」という設定のようです。洋風建築が少なかった当時の日本では、あの屋敷は借りぐらしにぴったりの場所だったことでしょう。そのためもあってか、アリエッティ達もイギリス風の生活習慣を残していますが、なぜか言葉は日本語になっていますね。
同様に考えると、スピラーも、渡り鳥に便乗するなどして日本にやって来た小人の子孫であるかもしれません。小人の世界は、想像以上に移動が活発で、国際色豊かなのかもしれませんね。
アリエッティとスピラーは将来結婚するのでしょうか? 原作の第4巻の記述によると、アリエッティはスピラーと結婚することになっていますが、ジブリ版ではどうなるかは不明です。
翔の心臓の手術は成功するのでしょうか? 「ぼくはあの年の夏、母の育った古い屋敷で一週間だけ過ごした」という翔の回想ナレーションがあるので、手術は成功したと考えるのが妥当なところではあります。しかし、本当に成功したかどうかについては、少なくとも映画公開時現在では何の情報もありませんので、翔の心臓手術の結末については推定するほかありません。あえて公表せず、観客それぞれの想像に任せるという形が良いのではないかと思います。
個人的な希望を述べるならば、手術は成功するでしょう。しかし、あの家で再び過ごすこともないでしょう。ほとんど一期一会だったともいえる2人の交流は、何とも切ないものです。






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