
刊行にあたって
被爆五〇周年も過ぎて、形だけの新法・「被爆者援護法」が施行されましたが、唯一新法の目玉といわれていた特別葬祭給付金にしても、対象となる遺族が被爆者手帳所有者に限られたために、二年間の期間内(一九九七年六月末迄)に国の予想を下まわる申し込みしかなかったのをみても、いかに新法が矛盾に満ちたものであるかがわかります。
また、この新法については国内の被爆者だけでなく、在韓被爆者をはじめとする在外被爆者にとっては旧原爆二法(原爆医療法・原爆特別措置法)と同様、日本を出国すると一切適用を除外されることから、失望の色はかくしようもありません。一九九〇年以降、アジア各地から燃え上がった日本政府への戦後補償要求の声は、日本国内で現在起こされている各種裁判だけでも二〇を越えています。その一端を担って、現在長崎と広島では、戦争中強制連行の上、被爆させられた在韓被爆者が、三菱と日本政府を相手どって係争中です。この裁判でも原爆被災に対する施策として、日本政府は新法・「被爆者援護法」をかかげています。
こうして国内、国外の被爆者から新法への関心が高まるにつれて、近年、孫振斗最高裁判決(一九七八年三月三〇日)があらためて見直されるようになりました。特に広島・長崎の裁判を支えている人びとのなかに、孫裁判自体を知らない人が増えていることから、これまでも絶版になった『朝鮮人被爆者・孫振斗の告発』(たいまつ社)の再版の要望が寄せられていました。
本をまとめた私としても、できたら「たいまつ社」にお願いしたいところですが、すでに出版社もなくなっていてそれもかないませんので、このたび新たに版を起こした上、その後の動きについて加筆して、自主出版することにいたしました。
振り返ってみれば、最高裁判決からでも二〇年近くたちました。その間、在韓被爆者支援の市民運動にはいくつもの山がありました。このたびの刊行に当たっては、その間の経緯についてもくわしくふれたいところですが、先づは孫裁判を中心に、その後の展開については年表を新たに編むことと、終章で孫判決がもたらした影響と残された問題点についてまとめさせて貰いました。
そのため、題名も『朝鮮人被爆者・孫振斗裁判の記録−戦後補償の原点』としました。かっても本づくりには、一緒に運動してきた各地の仲間たちに協力して貰いました。当時運動の母体だった全国市民の会は解散しましたが、昔の仲間たちの多くは、各方面で今も“地の塩”の活動を続けております。その中で本文にも随所に登場する福岡の伊藤ルイさんが、昨年一九九六年六月二八日、還らぬ人となりました。終始笑顔をたやさず難しいお役を引き受けて下さっていたルイさん。その後半生には目をみはるものがあります。ここにつつしんで御冥福をお祈り申し上げます。
一九九七年一一月
中 島 竜 美