三菱広島・元徴用工被爆者裁判の
現時点での法理論上の争点について

弁護士 足立修一


 「強制連行先で被爆した責任は三菱重工や日本政府にある」として未払い賃金や損害賠償を求めた「三菱広島元徴用工裁判」は提訴から九年近くが過ぎた。今年、中国人強制連行事件は、新潟勝訴、福岡敗訴、広島勝訴と司法判断が揺れている。しかし「国家無答責」「民法上の時効」「企業の保護義務違反」等耳慣れない用語が多く理解が難しい。そこで西松建設強制連行事件(広島高裁)で7月9日に勝訴を勝ち取られたばかりの足立修一弁護士に、わかりやすく争点を整理して頂いた。

一  裁判での請求の骨子

 この裁判では、現在、日本国、三菱重工、菱重を相手方として、@強制連行・強制労働、被爆後に放置したこと、国が違法な供託を受け付けたこと、国が日本国外の被爆者を差別してきたことに関して、不法行為に基づく損害賠償。A未払の賃金・強制貯金の支払。B強制労働の際の安全配慮義務違反という債務不履行に基づく損害賠償を求めています。安全配慮義務というのは、雇用されているか、それと同様の関係があるときに、労働させる者は労働されられる者が安全に労働しうるように配慮しなければならない契約上の義務のことで、安全保護義務ということもあります。

二  一審判決の概要と控訴審での争点

 この裁判の争点は、多岐にわたっていますが、一審の広島地裁判決(九九年三月二五日)における最大の問題は、強制連行・強制労働の事実認定を明確にしていないことです。そして、このような粗雑な判断をしていたことから、法律論のレベルでも、日本国に対する関係では、国家無責任の法理(旧憲法の時代に行われた公務員の職務上の不法行為につき、国に対し責任を問えないとする判例理論、行為時の法令が適用されることが前提になっています)で責任を問うことはできないとされ、除斥・時効によって消滅するかの論点以前の問題であるとして切り捨てられました。
 また、三菱重工ら企業に対する関係では、時間の経過により権利が消滅しているという不当な判断がされました。これは、@不法行為に基づく損害賠償請求については、不法行為があったときから二○年間の期間を経過すれば、請求権が消滅するとしました。これは、民法七二四条後段(不法行為ノ時ヨリ二十年ヲ経過シタルトキ亦同シ)の解釈について、最高裁(八九年一二月二一日)が「除斥期間」(行為時から二〇年経過すれば画一的に権利が消滅する)と判断したことに依拠し、その適用を制限すべきとの原告の主張を認めませんでした。また、A未払の賃金・強制貯金については、賃金について一年の短期消滅時効(民法一七四条二号)により、強制貯金についても、一○年の消滅時効(民法一六七条)により消滅したとされ、時効消滅を主張することは権利濫用で許されないとの原告の主張を退けました。そして、B安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について、本件では、前提となる安全配慮義務の内容の特定、違反事実の主張が不十分とされ、時効による消滅(民法一六七条)が問題になる以前に切り捨てられました。
 さらに、一審判決が不当なことは、郭貴勲さんが、九八年一○月に提訴し、○二年一二月に勝訴が確定した手帳裁判と同じ問題(日本で被爆者健康手帳を取得し、健康管理手当をもらっている人でも、日本から出国すると、四○二号通達により被爆者としての権利が消滅させられるか)についての判断に現れています。一審でも、原告らは、この問題を不法行為に基づく損害賠償責任を発生させる一つの事情として主張していました。しかし、一審判決は、後に厚生労働省が四○二号通達の誤りを認め、国外に居住する被爆者に手当等を支給継続するようになった点につきも、日本国外の被爆者に原爆二法等は適用を予定していないとして、日本を出国した被爆者の権利を消滅させてよいとも読める判断をしました。以上のように、この裁判での一審判決は、極めて不当な判決でした。
 広島高裁での控訴審の主な争点は、一審判決で、不当な判断をされた前記の@について、除斥期間の適用を認めるか。Aについて、時効を主張することが権利の濫用になるか。Bについて、安全配慮義務が存在するか、その違反があるか、時効を主張することが権利の濫用となるか、C国の責任を認める前提として国家無責任の法理を否定するか否かという点です。

三  最近の強制連行訴訟判決について

 従前、強制連行訴訟では、時間の経過により権利が消滅すると結論づける裁判例がほとんどでしたが、近時の中国人強制連行事件の判決では、時間の経過により権利が消滅するという企業側の主張を認めず、原告らが勝訴する判決も出ています。まず、企業に対し、不法行為に基づく請求を認めものとして、劉連仁事件東京地裁判決(○一年七月一二日)、三井鉱山福岡地裁判決(○二年四月二六日)。また、安全配慮義務違反に基づく請求を認めたものとして、リンコーコーポレーション新潟地裁判決(○四年三月二六日・国と企業に対し)、西松建設広島高裁判決(〇四年七月九日・企業に対し・高裁レベルで初めて)。
 このような判決を導くために、不法行為に基づく損害賠償請求を認めた判決(劉連仁事件・三井鉱山事件)では、不法行為時から二○年間経過していても、除斥期間を適用せずに権利の消滅を認めない判決をしました。また、安全配慮義務違反に基づく損害賠償を認めた判決(リンコー事件)では、一○年の経過により時効消滅したと主張するのは権利の濫用であり許されないとしました。この判決は、国に対しても請求を認容しており、これは国家無責任の法理を認めないことが前提になっています。
 また、結論としては、原告らが敗訴していても、国に対する関係で旧憲法の時代の判例理論にすぎない国家無責任の法理を否定する判決も出てきました。大江山事件京都地裁判決(○三年一月一五日)、中国人強制連行東京地裁判決(○三年三月一一日)、アジア太平洋戦争韓国人被害者損害賠償訴訟東京高裁判決(○三年七月二二日)、前記のリンコー新潟地裁判決、三井鉱山福岡高裁判決(○四年五月二四日)などの判決例が相次いでいます。

四  日韓請求権協定による権利消滅の主張

 そこで、国は、追いつめられてきたことを自認してか、六五年に締結された日韓請求権協定と同協定二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置として制定された法律(法律一四四号)で、大韓民国の国民の財産権であって「財産、権利及び利益」、「請求権」が消滅したとの予備的主張をはじめました。しかし、請求権問題が解決されたのは、あくまでも国家間のことで、韓国国民の権利が消滅させられることの根拠にはなりえません。国もこの点についての明確な根拠を提示できていません。

五  ま と め

 九五年一二月に広島で裁判を提訴してから、既に、九年になろうとしています。一審の段階で四六名おられた原告の皆さんは、原告団長を務められていた朴昌煥さんを含め、これまでに、二三名の方がお亡くなりになったことが分かっています。この間、郭貴勲裁判での成果により、在外被爆者問題では一定の前進をみた部分もあり、判例理論での前進も見られますが、未だ、来日できない被爆者の援護が十分なされておらず、強制連行・強制労働の問題では三菱重工の態度は頑ななままです。私は、本年六月二五日に行われた三菱重工の株主総会に出席し、広島、長崎、名古屋への強制連行について、裁判は別として企業としての考えをただしましたが、佃社長は、裁判で主張しているとおりと回答するのみでした。
 本年七月七日の弁論期日で、来る九月一三日午後一時三〇分に結審することになりました。控訴審での最終段階において、不当な一審判決を変更させるように力をふりしぼって努力したいと思います。皆さんのご支援をお願いします。      
〔以上〕