ビキニ被ばく50年を迎えて 



3・1集会・取組みの特徴

 太平洋・ビキニ環礁で1954年、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験により被ばくした事件から50年を迎えた。福竜丸平和協会をはじめとして焼津や静岡等各地で様々な企画が行われた。これらの催し物の中で強調された内容の主たるものは以下にまとめることができる。

 ○ ビキニ事件を忘れないよう事件そのものを当時の記録を中心に若者を中心にキャンペーンを展開する

 ○ ビキニ環礁で今なお苦しんでいる被爆者の調査及び支援と救援を求める方向を強調する

 ○ ビキニ事件の教訓を核兵器廃絶・原発の廃止を求めるた要求や運動の必要性強調する

 これらの内容は従来から言及されていたが国際情勢等の変化や50年の節目ということもあって、一層強く打ち出されている。

新しい動き

 また新しい動きとして次のような内容も提起された。

 ○ 第五福竜丸の乗組員や800隻を超える被災船の乗組員への日本政府へ『支援法』を求める要求が打ち出された。

  この動きは従来の要求から一歩進めたものであり、数万人と推測される多くも乗組員には大きな励みになる可能性はある。しかし、立法化の問題は現実的には非常に困難な面があり、運動のキャンペーンに終わってしまう可能性もある。

 ○ 久保山さんの臓器の一部がアメリカに渡ったこと、50年前の第五福竜丸の乗組員への治療や等、今まで日米関係ではっきりしない部分にも一部の報道ではあるが少しずつ明らかになった。(注:大量の輸血と被爆等によってC型肝炎ウイルスの原因によりすでに12名が死亡。今なお乗組員全員も病を抱えている)

今後の課題と方向

 上記のような様々な動きのなかにあっても依然としてはっきりしないものが多くあり、今後さらに調査・研究が必要である。
 第五福竜丸の乗組員であった大石又七さんは静岡の集会で「つらく悲しい50年で、振り返ると怒りと悔しさがこみ上げる。仲間の死は寿命ではないが、政治決着で私たちは被ばく者でなくなった」と強調した。また、指摘するような日米の政治決着を始め今後明らかにすべき内容は驚くほど広く多岐にわたる。
 以下、私の考える項目のみ列挙する。

 一. 原子力平和利用とビキニ事件の関係
 二. 日米関係におけるビキニ事件の関わり
 三. 被爆者援護法とビキニ被爆者との関わり
 四. ビキニ事件と科学者の役割
 五. ビキニ事件と原水禁運動

 上記のことを研究・勉強するだけでビキニ事件の『全容』が解明できるとは思わないが、さけて進むことができない内容である。そのためにも関わり・関心のある方々がこの五十年を機に結集し研究・勉強するグループを立ち上げることが必要である。

 アメリカは1954年(昭和29年)3月1日、太平洋のマーシャル諸島(現在はマーシャル諸島共和国)のビキニ環礁で史上最大の水爆実験を行った。この爆弾はこの時は秘密にされていたが、「ブラボー」という名の水素爆弾で、広島に投下された原爆の1000倍の強力な破壊力をもつものであることが後で分かった。その結果、公海上にいた第五福竜丸やマーシャル諸島の住民たち、アメリカの観測兵らが被曝した。国はこの年の年末までに放射能に汚染された魚を廃棄した日本漁船の被災船数は856隻と発表したが、これらの船の乗組員の汚染状態については不明のままになっている。
 大量の放射能によって太平洋の広い海域が汚染され、日本や太平洋諸国の漁業は大きな打撃を受け大きな損害を被った。しかし、アメリカは実その後も実験を続け、海洋汚染の範囲は拡大した。
 第五福竜丸の乗組員23名全員は、被曝して急性放射能症にかかったが、2週間後の3月14日に母港焼津に帰港。乗組員が持ち帰った爆発の灰(「死の灰」と呼ばれた)を科学者が分析した結果、新型の水爆と分かり、アメリカの秘密兵器と核兵器開発の構造を暴露する結果となった。乗組員全員は東京で入院して治療に当たったが、9月23日に最年長だった無線長の久保山愛吉さんが死去して国中に衝撃を与えた。その後、2004年の現在まで乗組員12名が死亡している。