私が大学に入ったばかりの頃、韓国文化研究会の新入生歓迎会に誘われた。そこで、しこたま酒を飲まされて動けなくなった私は、翌朝、鄭先輩の下宿で気がついた。二日酔いでモーニングサービスを食べながら、鄭先輩が広島の出身で、被爆二世であることを知った(陜川の出身であることは後で知る)。 被爆者は遠い彼方の存在と思い込んでいた私だが、とても身近なところにいて驚いた。鄭先輩は、韓国の民主化、朝鮮の統一は語っても、被爆二世であることはあまり語らなかった。個人的なことだから言わなかったのか、それとも他に語らせない何かがあったのか、それはわからない。 新幹社を始めてまもない頃、大阪在住の作家・元秀一さんから、自分の小説を原作にNHKドラマが出来ると聞いた。『猪飼野物語』(草風館)と「キンモクセイ」(『済州島』第一号)が原作だ。ともに私が編集にかかわった。その時に出来たドラマが「李君の明日」。それを制作したのが菅野高至さんだ。試写の時、初めて菅野さんに会った。そして菅野さんの心意気の一端に触れ、尊敬するようになった。 菅野さんから「されどわが愛」の企画を相談された時、まっさきに広島の鄭先輩のことを思った。そして、こんな知り合いがいるということを菅野さんに話した。広島にNHK広島の方々との打ち合わせがあるので、そのおり鄭先輩に取材したいので一緒に行こうということになった。鄭先輩はパチンコ屋さんになっていた。その取材が、ドラマの多くに反映されることになった。鄭先輩と菅野さんを結びつけることができてよかったと思っている。 現在のNHKで、「されどわが愛」のような企画を出したら、まずは通らないだろうと菅野さんは言った。一九九五年(戦後五十年)以降、日本はメディアも含めて右急旋回だ。朝鮮人被爆者、強制連行というテーマでは、もはやドラマを作れる情況ではないそうだ。ましてや、韓国の独立記念館の展示が映像として流れるなんてとんでもない、ということになる。 「されどわが愛」の最後、かつての総督府の役人が土下座をしてあやまるシーンがある。その描き方に意見がいろいろ出た。菅野さんは、「あやまって終わりにするのではなく、まず、あやまってから(植民地支配の清算などを)出発させなければならない」との姿勢をくずさない。このような頑固さがある限り、管野さんは、また、新たなドラマを作ると信じたい。彼はいま、金曜時代劇「蝉しぐれ」を作って、放映中である。 (コ・イーサム 新幹社代表) |