在外被爆者受け入れの現場から


《広 島》

●手当送金まもなく開始か

 郭裁判の勝訴を受けて韓国から手当申請のために来日する被爆者が激増。昨年十二月から七月末までの手当申請者は一千名を、被爆者健康手帳の新規申請者は七五〇名を越え、支援グループは受け入れに奔走してきた。広島市役所の受付会場には百名近い被爆者があふれるといった状況が続き、市側は担当者を増やすなどしたが、処理が追いつかず関係者は気を揉んできた。

 七月頃から来日希望者は一段落した感じだが肝心の送金方法が定まらず、送金がされないことに被爆者は不安を募らせていた。しかし八月に入りようやく見通しがついた。


(8・3 朝日新聞より)

●手帳新規取得の難しさ

 来日した被爆者が口を揃えるのは「証人捜し」の難しさである。たとえば、幼時に被爆し、日本を離れて半世紀以上、両親も亡くなり、住んでいた町名もわからず、会った人も誰かは知らない。それを二人も探し出すのは至難の技だ。おまけに既に手帳を取っている被爆者でなければならない。 そこで道は閉ざされているのだ。

●手当支給を却下された人達

 手帳を更新して医療機関で健康診断を受け、診断書を提出して帰国したもの。結果的に支給が認められなかった人が五月末の時点で、韓国だけでも二三名にのぼっている。

 通訳の態勢も不十分で時間的にも制約があるなか十分な診断ができたか疑問が残る。そこで広島県知事に審査請求をすると共に、ゆっくり時間を取って継続的に観察し診断してもらおうと、渡日治療広島委員会では共立病院の協力を得て、希望者に入院してもらい、その結果を見て再申請をすることを決定した。
八月中旬から数名ずつ来日が始まっている。

●健康管理手当の支給期限は撤廃されたが

 在外被爆者が中心となって強く要求してきた支給期限の撤廃は大きな前進だと受けとめられているが、広島市原対課によると、これまでに手当支給を認められた在韓被爆者のうち約四割は、現行どおり再申請が義務づけられている疾病―白内障や甲状腺機能亢進症、貧血などの為、現状では再び来日しなければならないことがわかった。

 これではせっかくの関係者の努力が報われず、糠喜びに終わってしまう。早急に実態を調べ、対策を講じる必要がある。

河井 章子


《長 崎》

●被爆者の立場に立った行政を

 長崎においても在韓被爆者の来日が相次いでいる。この半年あまり、受け入れには大変な困難があった。しかし高齢化する在韓被爆者のために労苦を惜しまない支援者の活動で、どうにか今日まで支援活動を続けることができた。

 そんな中、無理をして来日した被爆者の健康は極限状態になった。例えば、来日中に心臓の発作で危険な状態に陥った人、慣れない旅の疲れで具合が悪くなり帰国ができなくなった人なども一人や二人ではない。

来日しなければ被爆者手帳も健康管理手当も取得できないという困難を被爆者に押し付ける今日の国の姿勢には憤りを禁じえない。

 しかも、来日できる被爆者ばかりではない。本当に手帳や手当が必要な被爆者が見捨てられている現状を何とかしなければ在外被爆者問題の解決は遠のくばかりだ。

●支援団体が連絡会を結成―運動の強化を

 長崎では従来、課題ごとに支援グループを作って活動してきた。しかし李康寧裁判・廣瀬方人裁判の勝訴、金順吉裁判の上告棄却などの状況を踏まえ、多くの課題に直面している在外被爆者問題に対応するため、「在外被爆者支援連絡会」を結成することになった。それぞれのグループの構成員が重複することもあり、一本化して運動の強化を図ろうというものである。

「韓国の原爆被害者を救援する市民の会・長崎支部」「金順吉裁判を支援する会」「李康寧・廣瀬方人裁判を支援する会」「長崎県被爆二世教職員の会」の四団体が当面の構成団体となった。結成は金順吉さんが十年前に長崎地裁に提訴した記念日の七月三一日に行なわれた。そして翌日には厚生労働省と長崎県に対して健康管理手当ての早期支給と手帳申請の現地化などの申し入れを行なった。

●韓日被爆二世がシンポジウム

 七月二六日、韓国釜山市において第三回韓日被爆二世シンポジウムが開催され、韓日の被爆二世や被爆者ら約百名が参加した。

このシンポジウムは八九年に第一回が広島・長崎で開催された。その時は同じ被爆二世でありながら、その問題意識や直面する課題には日韓で大きな隔たりがあった。むしろ、その隔たりを認識することが重要な課題であったとも言える。十一年後の二〇〇〇年に韓国ソウル市において第二回が開かれ、主として日韓の歴史認識と在韓被爆者についての論議がなされた。

 こうしたシンポジウムや交流を通して日韓の被爆二世は連帯を深めてきたが、今回はさらに今後の共通した問題意識と活動の方向性を持つことをめざして、三回めが開催されることとなった。

 日本からは被爆三世の高校生三人を含む二五人が参加した。会場となった釜山駅前のアリランホテルには、主催の「韓国被爆二世の会」の李承徳会長や釜山支部の李太宰支部長ら多くの韓国の被爆二世が集まり、熱心な議論が交わされた。テーマは『日韓被爆二世の連帯で平和な明日を作ろう―再びヒバクシャを作らないために』というもので、次の四つを中心にして論議を深めた。

  1. 在外(在韓)被爆者問題への取り組みと被爆二世の役割について
  2. 被爆二世の現状と援護を求める運動について
  3. 北東アジアの非核化に我々はどう取り組み、北朝鮮とどう向き合うべきか
  4. イラク戦争後の世界の状況を我々はどう考えるのか―世界の平和をめざす日韓被爆二世運動の構築に向けて

 最後に共同宣言文を発表して終了したが 被爆者が高齢化するなか、韓国の被爆二世の力強い運動の息吹が感じられる有意義なシンポジウムとなった。

次回は二〇〇五年に広島で開催することをめざして、韓日の被爆二世の運動をさらに広げていきたい。(文責・平野 伸人)