劣化ウラン爆弾、核の恐怖

広島被爆者 銀林美恵子


 アメリカのイラク空爆を何とかくい止めたいと、今年二月中旬から反戦の波が世界中に広がっていた頃、三月二日の日曜日、広島の中央公園では「NO WAR NO DU!(Depleted Uranium)」の大きな人文字を作るという反戦・反核の行動がありました。二日前この計画と呼びかけを知って、私は「これこそ被爆地広島からの訴え」だとこおどりし、自分は参加できないものの、大成功を願って、会う人ごとにこのニュースを広げながら祈るような気持ちでした。翌三日の朝刊に、「被爆者をはじめ、全国各地から約六千人が集結。秋葉市長も市民の一人として加わり、午後一時から約一時間かけて縦五十六メートル、横百十メートルの人文字を作りあげた」の記事とヘリで上空から写した見事な写真を見て感動しました。

 半世紀前、米軍により広島・長崎に投下された原子爆弾は、人類史上初めての無差別大量破壊兵器、きのこ雲の下に展開された地獄の様は忘れられません。しかし、あの日の怪我や火傷のひどさ、蛆虫に苛まれるむごたらしさより、もっともっと恐ろしいのが核の放射能による被害で、それが後に続き、今も引きずっているのです。放射線は目に見えず、匂いも味も無く五感に何の痛みも感じられません。命拾いをしたと喜んでいた人が、ある日突然高熱にうなされ、紫斑が出て、脱毛し、血を吐きながら亡くなりました。幼い子どもほど放射能の影響は大きく、小さい体に核の被害を一杯受けて命を奪われていったのです。ただ一人無傷で連絡に走り回っていた元気な友人が晩発性の放射能障害で苦しみながら病没したのは今から十二年前でした。足を怪我した私は救護所に運ばれ動けなかったのが幸いして、放射線を浴びる量は少なかったかも知れません。それでも、核被害の縛りからぬけだせないのが被爆者の現実です。

 劣化ウラン弾について、私は数年前初めて耳にしました。核兵器や原発用燃料を製造するため、天然ウランを濃縮する過程で生まれる核廃棄物で、鉄の二倍の比重をもつ硬く重い真っ黒な塊、弾丸ぐらいにしか、使い道がないという話で、その時は、要塞や、軍需工場などを破壊するために効力を発揮するだけで、放射能とは無縁なのかと思っていました。九十一年の湾岸戦争のとき、米英軍がイラクに落とした劣化ウラン爆弾は九十五万発(300〜800トン)でした。直後の被害は原爆投下の広島とは異なっていたため、問題視されずに過ぎた十年そして今、その被害が次第に明らかになってきています。昨年現地を訪ねた方たちによると、白血病やその他のガン患者が病院に溢れ、産院では流産や死産が多く、生まれても無脳症など先天的障害を負って数時間で死ぬ子どももいるとのこと。出産した母親はかっては男女どちらかと聞くのが普通だったのに、今は障害の有無を聞くそうです。私自身、自分や娘の出産時の不安と重ね合わせ胸が痛みます。劣化ウランとはいえ、その放射能による被害のすさまじさを今になって知り、唖然としています。広島に落とされた原爆の何万倍もの放射能がばらまかれ、その半減期は四十五億年ともう気の遠くなるような数字です。 

 劣化ウランのために,核の放射能被害が増加しているというのに、アメリカはさらに今回もこの爆弾を使用しました。戦争が終わっても末永く残る核被害、イラクの子どもたちの健康、この汚された地に生きるすべての命が心配です。こんな大量殺戮兵器を使用したことは絶対許せません。 「NO DU!」被爆者の訴えです。