まず中島竜美氏より金井さんの紹介があった。 「中国新聞の金井さんは、広島で三代つづいたジャーナリスト。特にお祖父さんの金井利博氏に大変影響を受けていられます。 私が利博氏の言われたことで特に記憶していることが二つあります。その一つは、“日本人の精神構造というのは原爆で破壊されなかった”といわれたこと、もう一つは核兵器だけでなく、原子力利用をしているものをふくめて核廃絶をはやばやと提唱されていました。 一般的には原爆被災白書運動をはじめられ、これは市民運動の走りではなかったかと思います。原爆被災に関する資料の収集を民間でやろうという運動をはじめられていました。初期には中国新聞の論説委員をやっていまして、そのお弟子さんが大牟田稔さんや平岡敬さんたちです。」 まず少し自己紹介をしますと、中国新聞に入社して十年になります。ずっと被爆者問題をやっていたわけではなくて、東京にきて二年たちますが、それまでは事件とか事故とかの取材をしたり、一般法制的な仕事をしていましたので、多分皆さんのほうが関わりが長いことと思います。 ただ広島に本社があるという性格上、東京にいてもこの手の問題だけは地方紙の分際でわりとこまかく取材をしていますので、少し取材を通して感じたことを話さしていただきます。 まず、資料をお配りしましたが、その資料に沿ってわりと詳しく話すつもりでいたのですが、アメリカがイラク攻撃をしそうだとかの問題に忙殺されて、沿って話すことはむりかと思います。 資料はすべて新聞記事でありまして、裁判の流れの記事、自分が関わったことの記事を抜粋してあります。帰って読んでいただければ大体の流れはわかるようになっています。 変わっていない厚労省 実は今日、在外被爆者に援護法を適用させる議員懇談会が、坂口厚生労働相に要望書を提出しました。 簡単になかみを言いますと、国は今、在外被爆者に健康管理手当を支給しようとしていまして、そのなかに、申請手続きをするに当っては日本に来てください、というスタンスを取っています。 そこで、病気がちで高齢の被爆者のかたは来れないだろう、韓国、アメリカ、ブラジルにいても申請ができるようにすべきである、との要望書です。 私はそこにはおりませんでしたが、金子議員に聞くと、坂口大臣は、「二回目以降の申請については検討中」との回答をしたそうです。これは近々取材しなければと思っています。 ここ数年ですね、在外被爆者に関して国が対応を変えはじめたのは。ご存じのように大阪で郭さんが、健康管理手当をもとめるというかたちで裁判をおこされて、それが地裁で勝ち、高裁でも勝ち、最終的に国は上告をしないで、昨年十二月、健康管理手当の支給は海外でもしましょう、ただし必ず日本には来てくれという理不尽な対応ではあるのですが、そう対応を変えたわけです。 裁判が一番、国を動かすきっかけになったのですが、国が上告を断念するに至ったとき取材をしていて、なるほどなあと思ったことがあります。 取材をしても厚労省はなかなか本当のことを言ってくれないのですが、実は金子さんたちの議員懇であるとか、支援団体の方の「上告するな」という要望書に関して私が取材しましたところ、ここが一番ターニングポイントだったなあ、と思ったのは、与党三幹事長と郭さんが面談したことですね。セッティングしたのが、法務大臣経験のある山崎派の幹部の方なんです。この方は鹿児島県選出の保岡興治さん(元法務大臣)と言う方で、超ベテラン議員さんで、それまで被爆者問題に造詣ある方ではなかったのですが、厚労省が裁判に負けたということをたまたま聞いて、「これはもう上告はできない」と判断されて、動かれました。そこで自民党のなかで上告断念の了承をとりつけることができました。 公明党はもちろん坂口さんはじめ被爆者問題には前向きな党ですから、これは難なくクリアできます。というなかで流れが決まって、坂口厚労相はもともと発言のはしばしを聞いても何とかしたいと思っておられる方なので、大臣が判断する環境が整い、「手当を支給します」となりました。 個人的な意見ですが、もし保岡さんがこのことに気がつかなかったら、金子さんが保岡さんに話をしなかったら、話しても保岡さんが関心をもたなかったら、どうなっていたのだろう、と考えてしまいます。 綱渡りのような上告断念までの流れがあったわけです。 たまたまできた、決して厚生労働省が英断をくだして「やめよう」というかたちでなったものではありません。そこはわかっておいたほうがいいと思います。実際、厚労省の人は、大阪高裁の判決のあとでも「国は国家補償とはいっていない、社会保障といっているのだから、最高裁までやればいいんだ」という発言を実際にしているのです。 最初のころは官邸の記者さんからの話によると、国サイドでは何が何でも最高裁まで行く、ということでした。上告断念というのはたまたまやったことと思え、厚生労働省はそんなに変わってはいないと思っています。 福岡高裁でも李康寧さんが同じような裁判をおこされ、原告勝訴の判決がでましたが、国は上告をしました。 ぼくは正直いって上告しない、できないと思っていました。それが上告しました。 要するに、国が手当を支給するということはいい、これは支給する。ただ手続きとして国が支払うのか、地方の自治体がやるのか、ということで上告した。 記者会見で言っていましたが「原告の李康寧さんと争う気は全くない。問題は、だれが支払い業務をするのか、その一点である」そういう言い方をしていましたね。 なんでそこまで言うのか。国が地方にまかせている業務というのは、被爆者手当の支給だけではなくて、たとえば障害者福祉手当であるとか、農林水産省や経済産業省とか、許認可事務という国が地方にまかしている業務があって、そこでその事務を国がやるということを判例として定着させてしまうと、ほかの業務についてなにを言われるかわからない。 当初、取材をするなかで、「上告はするんでしょう。国が支払う義務があるといわれたのは、お金そのものは国がだしているだけであって、判決の解釈によっては国がお金を出しているのだから、国がやっている事業であるということができるのではないか」上告の発表をする前、聞いたことがあります。担当者は腕を組みまして、「やあ、でもねえ、それはむつかしいかもしれないな」それが上告発表の二日前。そのときに、おかしいな、と感じたのですが、どうしてもそこは譲れないというものがあるのですね。 「手当の支給は日本に来てください」という。実際、手当支給の業務というのは、地方自治体ですから、おもに広島とか長崎とか。それは地方がやってくれることになるので、それを国が受け止めると国が全部やらなければいけない。それができない。 国がやるということは、国家補償であるとか、ほかの戦後補償問題に波及しかねない、という頭ですね。 担当者に聞きますと、「そんなことはない」と言いますが。 そういうことがあってですね、健康管理手当支給は地方にまかせて始めましょう、となって、実は「三月からやります」と大臣も言っています。すでに政令は改正され、あとは省令を出すだけです。要するにシステムとしてスタートするのが三月一日です。 そうなんですが、実際その業務をやる地方自治体は、広島・長崎県で、制度上はどの都道府県知事もやるとなっていますが、業務量からいえば特段に二つの県が多いです。ほとんどといっていいほどです。 担当者は、手当の支給をどうやってするのか、海外にいる人にどうやったらいいのか。具体的には銀行振り込みにするのか、送金するのに海外の通貨にするのか、そこから始めなくてはならない。 手当の支給については、過去五年間にさかのぼって出しましょう、過去五年間の途中で手当を打ち切られた人は、こちらから探していって打ち切られた分を出しましょう、と決めたのですが、ではその打ち切られた人はどこに住んでいるのか、韓国やブラジルに住んでいることまではわかるのですが、ではブラジルの何丁目何番地に住んでいるのかというのは、これまでの申請書では書く必要がなかったわけですから、「どこに住んでいるの」ということから始めなければならない。 現地の被爆者協会などにお願いして調べることになるかと思いますが、仮にそうなったときに、確認ができても元気なのか、もしかして亡くなっているかもしれない、あるいは亡くなったときにどうそれを調べるのか。制度上亡くなった人には健康管理手当は出ませんから、亡くなった人にずっと払いつづけることはできない。払ってしまったら返還してもらわなければならなくなる。それはどうするのか。 国内では、指定病院で診断書をもらって提出する。海外の病院は指定することができるのか。 はっきりいって国は丸投げをしているのです。広島・長崎の担当者は、困っています。ところが政府としてはそういうことを全部棚上げにしたまま、地方にやらせようとしている。何も考えないまま、話をどんどん進めているために、仮に日本に来てもらうことを了承して進んだとしても、うまくいくのかどうか、わかりません。 われわれもチェックしていかないといけないし、市民団体のかたもそういうところはちゃんとチェックしていかないといけないと思います。 今が大事 ぼくが実際に在外被爆者問題にかかわるようになったのは、二〇〇一年三月からです。お配りした年表に、「日本政府調査団が北朝鮮を訪れ被爆者の実態を調査」と記してあるところくらいからです。その前のことはここにいらっしゃる方たちのほうがずっと詳しいと思います。 ここ数年の動きが変わってきたのは、さきほども言いましたが、非常に偶然というか、たまたまというか、取材を通して考えるのですが、もし、何々でなかったらこうはならなかった、ということがあまりに多いのですね。 一つは、もし坂口さんが厚生労働大臣でなかったらこうはいかなかったろう。そういっていけばもし与党三党の連立政権が成立していなかったら、というところまでいってしまうのですが。もしこの間の内閣改造で坂口大臣が留任していなかったら、だれかに変わっていたら多分ここまで行っていなかったでしょう。 それに国会議員さんの金子哲夫さん、この方は一期目の議員さんです。二〇〇〇年の選挙で初当選された方なんですが、議員さんになる前から被爆者問題をライフワークにされている方で、この方が二期になって二年前の四月、懇談会を発足されて、いわゆる国会内の窓口を作り出されました。実際にこの議員懇を通じて、政府と交渉し、韓国の被爆者が来たときも金子さんが段取りし、国会内で動いて在外被爆者問題を浸透させようとされました。この人が国会議員でなかったら、またここまで来ていないと思うのです。 坂口さんが大臣であっても、金子さんのような人が国会にいなかったらやはり実現できなかった。逆に金子さんがいても、坂口さんがいなかったらこれまたうまくいきません。これにうまく郭さんの裁判が重なった。 この時期だから厚生省がやる、ということは全くありません。ですから今ある状態はそんなに安心できる状態ではありませんから、やれることは今のうちにやっておかないと。最終的な結果はどうあれ、道筋をつけるようなことは今のうちにしておかないと、この先はちょっとしんどいでしょう。 坂口さんは大阪地裁で敗訴したときに検討会をつくられて、その検討会が結論を出して本年四月から新しい事業をしましょうということになった。また十二月に上告を断念して手当を出しましょうと決断した、すべて「人道的な」という言葉を使っています。国家補償でなくて、人道的な立場からやると。 検討会でも、国家補償の立場でするのか、社会保障の立場でやるのかはともかく「人道上の観点から今できることをやる」というかたちで、とにかく「人道的な」という言葉が乱発されています。 実は「人道的」という言葉はそんなに軽々しく使われる言葉だとは、ぼくは思っていません。 「広辞苑」には「人道」は「人の踏み行なうべき道」となっています。本当は重い言葉なのだけれども、「人道」という言葉を便利に使っているなあという気がしてならないのです。法的にどうこういえないから、「人道上」という上の句をつけて、この程度でもよいみたいな。「人道上」という言葉を使うとそれで国は納得して、進めようとする、そんな言葉に使われてしまっている。 本当は法的に国家補償はどうなのか、となるはずなのに、国は避けている、で、今の体制でこれは人道上なんだから、と「人道上」という言葉を軽々しく使うことで隙をつくっているのでは。 我々も、よくさまざまな事件で「それは人道上の話なんですか」などと質問したりしますが、そういうことを突いていく努力、突いていって物事を変えていくことが大事なのではないか。それから戦後補償問題だとか、援護法を適用すべきだとか、いろいろな議論があるのですが、本当はそれはしなければいけないのですが、個人的なぼくの意見ですが、それをする時間はもうないように思うのです。今の援護法では手当の支給を日本に来てもらわなければいけない。援護法に「健康管理手当の支給については都道府県知事の許可を受ける」と書いてあります。政令や省令ではなく、援護法に書いてある。もちろんそれは解釈のしかたでしょうが、本当にそこまでやるなら議員立法でもなんでもいいから、新しい法律をつくればいいと思う。それを待っている時間もあまりない。だから本当はやらなきゃいけないのだけど、今できること、今一番実現の可能性があることは何か。 手当の申請を海外でできるようにすることだと思います。一点に集中していかないと、実際に国は変わっていかない。あれもこれもとやると、論旨がぼやけて力が分散されるので、一つ一つクリアしていくような運動をすることが近道なのではないか。 援護法を適用させようという時間は本当にもうないと思うのです。それが一番いいけれども、現実的には無理なことがどうしても出てくる。だから今実現の可能性があることをやっていかないと、いずれ被爆者はもうどんどん少なくなっていってしまいます。国会議員さんのなかにも今回の手当の支給という決断を受けて、援護法適用を主張すべきではないか、あるいは新しい法律を改正させるべきではないか、という方がおられます。ぼくは「その時間はないですよ」といいました。今の状況では出しても通る見込みがないからです。ない状況でそれをしても、失敗したらどうするのですか。もう一回がんばりましょう、という時間はもうない、と言いました。そういうことを言われる議員さんは、在外の被爆者問題には理解をもっていらっしゃるのですが、今の国で訴えていけることをやっていかないと、間に合わない。 海外の被爆者団体、支援の皆さんもそういうかたちでやれないかなあ、というのがぼくの正直な気持ちです。 海外の被爆者団体でも援護法を適用すべきだといっておられるのは、当然ですけれど、それはできたとしても時間がかかる、亡くなっていく被爆者の方が多くいらっしゃる以上、少しでも近道をさぐることが必要に思えるのです。 最後に一つだけ、中国新聞は広島を中心に出ている新聞ですからいろいろ取材し、紙面に出すのですが、先日の大阪高裁の上告するしないについても、残念ながら東京の国会議員さん、役人さんは読んでくれません。読めません。口惜しいんですが、やっぱり国を動かす大臣が役人が国会議員が朝新聞を読んで、こんなことが書いてある、と思うのは大手の新聞ですね。そういうインパクトは絶対ある。ハンセン病の時がそうでした。 ぼくは当然取材をし、突っ込んでやりたいと思っていますが、大手の新聞記者やテレビ局が取り上げようという努力をしていただきたいと思います。そういうかたちで運動を広げていただければと思っております。
![]() 在ブラジル原爆被爆者協会の皆様(浅草にて) 右から森田ご夫妻・岩崎さん・盆子原さん |