はじめに 四月十五日から十八日にかけて韓国・米国・ブラジルの被爆者三団体代表が来日して厚生労働省交渉を行なった(日程等詳細については七頁参照)。三団体の共同行動は一九九七年以降毎年のように行なわれてきたが、今回は昨年十二月十八日に郭貴勲大阪高裁判決が確定して最初の「訪日団」である。 「手当」の継続支給をめぐって、いったん取得した「被爆者たる地位」が失われるかどうかを争う郭裁判第一審勝訴(〇一年六月一日)以来、国側は控訴による裁判の引きのばしを図る一方、「在外被爆者に関する検討会」を設置、その報告を受けるかたちで政省令の改定を行なってきた。こうした流れは後続の李康寧裁判ほか原告勝訴の追い討ちが続いているにもかかわらず、「渡日」を条件とした被爆者健康手帳(以下「手帳」)の交付・治療斡旋等々、実情に合わない施策を一方的に押しつけてきた。 この三月一日からは海外へ「手当」を送金するための新たな政省令改正も行なわれた。 しかし、一向にその実を上げるに至らずかえってトラブルが続出しているのが現状である。こうした問題が起る基にあるのは行政がこれまでとってきた在外被爆者対策の見直しを行なうことなく、判決理由抜きで「手当」支給の実務のみを実施しようとするところにある。勿論これまで無権利状態に置かれてきた在外被爆者にとっては、昨年度から初めて予算がついた新規事業に対しても活用できる点は活用したいと考えながら、これまで放置されてきた実態と行政の思惑との落差はあまりにもへだたりが大き過ぎる。例え距離的にも身体的にも渡日可能な在外被爆者が日本へ来て、「手帳」取得をはじめ「治療」「手当」等の諸手続ができたとしても、各被爆者協会としては会員に生じる新たな格差に対応していかなければならない。 そうしたジレンマを抱えながら、今回さきに坂口厚労相に提出した韓国原爆被害者協会・米国原爆被爆者協会・在ブラジル原爆被爆者協会三団体連名の「要望書」の回答を直接聞くことを主な目的として、代表三会長(李広善氏、友沢光男氏、森田隆氏)ほかブラジルから五名の被爆者が来日したのである。(八頁に「要望書」掲載) 国の被爆者対策と責任の所在 要望事項には次の四点を上げている。 一、 被爆者健康手帳の交付申請が被爆者の居住国においてできるようにすること。二、 各種被爆者手当の支給申請が被爆者の居住国においてできるようにすること。 三、 被爆者の居住国において医療の給付が受けられるようにすること。 四、 在外被爆者への手当支給に時効を適用する方針を改めること。 歴史的経緯も違い被爆の受けとめ方もさまざまな三ヶ国の被爆者団体が、共通した要望として掲げているのは、「四」をのぞいた三項目に『居住する現地での援護』を切望していることだ。被爆後五十七年が過ぎ平均年令七十歳をゆうに越えようとしている今日、残された時間はごく僅かしかない。 かつて『被爆者はどこにいても被爆者』の名言をはいて在外被爆者対策に道を拓いた坂口大臣とは、金子代議士の仲介で、四月十七日午後面会を取り付けることができたが、その言葉は年々慎重になり、この日も明解な返答は聞かれなかった。 病身を押してブラジルから二十五時間の長旅に堪えてきた訪日団のひとりが、余儀なく欠席せざるを得なくなった事実を、当の坂口大臣はどのように受けとめただろうか。 大臣に続いて担当(厚労省健康局総務課)課長ほか三名との交渉が行なわれた。そこには支援者も被団協の役員も参加した。担当官とのやりとりではだいぶつっこんだ質問も投げかけられた。しかし、依然としてガードが固く主な内容としては次ぎのような答えがかえってきた。
○ 海外からは何故「手帳」申請ができないか? 〈手当問題〉 以上のやりとりの中で一部検討の余地を残した発言もあったが、全体的には郭裁判で穴をあけられた “「手当」支給”の傷口をこれ以上広げまいとする行政側の守りの姿勢が目につく。 最後に課長が言った『今後できるだけ内外格差を縮める努力をしていくので、ぜひ建設的なご意見を』の言葉が特に印象に残った。 そもそも冷戦下戦後十二年目にようやく緒についた日本の被爆者対策は、当初から国の責任をあいまいにしたまま治療に限定された援護措置がとられてきた。その後改正を重ねて現行の原爆被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」)に至っているが、法の性格を定めた基本的構造はいぜんとして母法の「原爆医療法」にあることに変わりはない。 このことは裁判のたびに繰り返しこれまで論議されてきたことである。 それだけに一九六五年の占領下、沖縄在住被爆者の提訴以来今日まで、在外被爆者が切り拓いてきた権利獲得のたたかいの跡を振りかえってみれば、国が単に在外被爆者を放置してきたのではなく、冷戦構造の下いかに分断政策を行なってきたか。その盾となってきたのが旧原爆二法(「原爆医療法」「同特別措置法」)と、現行「被爆者援護法」の運用行政にあることは火を見るよりも明らかである。 二つの「認定制度」を持つ被爆者法 今度来日された森田隆さんの話では、ブラジルへ派遣される「検診団」には担当の役人も同行して、被爆者であるかどうかを調べた上で健康診断を行なっているという。そのため、毎回のように参加している会員から『何故被爆者である証明(「手帳)」をとるため、わざわざ日本まで行かなければならないのか』と質問される。これは厚労省に出した「要望書」にもある。“居住国での 「手帳」発給”を願う多くの在外被爆者を代表する声だ。 しかし、それに応えるべき被爆者法(旧二法及び現行法)の構造自体にも問題があるように思う。 そもそも “治療費の国庫負担”を要求する被爆者の声に押されて施行された旧原爆医療法は、登録制度の名のもとに先づ被爆者の条件と範囲(一号から四号)を定め、それを満たした者に「手帳」を交付する“認定制度”がつくられた。その上で全額国庫負担の治療対象者には高いハードルをもうけ、「原爆症」 “認定制度”を別に設定した。そのため当初は「手帳」を取ったからといっても殆んどの人が健康診断しか受けられなかった。現在のような一般疾病に対する援護措置がとられるようになるには、被爆者運動の長いたたかいがあったのである。こう見てくると現在北米・南米への検診団派遣は、国が被爆者対策として行なってきた初期の段階に過ぎないといえよう。 「原爆医療法」制定から十一年たって「同特別措置法」がつくられた背景には、国家補償を要求する被爆者運動の高まりがあった。そのため国は医療に限っていたこれまでの対策に「手当」制度を導入、原爆との因果関係が明らかでないいわゆるグレーゾーンの疾病にも対象を広げ、健康管理手当・保険手当等を新設した。こうしてそれぞれの「手当」に “認定制度”を定めたのは、それまで「原爆症」に限られていた医療の “認定制度”にバリエーションを持たせたことになる。 かつて「手帳」交付を求めて争ってきた孫振斗裁判で第一審勝訴の判決が下された一九七四年は、丁度「手当」制度の拡大時期に当っていた。判決から四ヶ月後、国側は控訴する一方で、これまでの「手当」の手続を改正する公衆衛生局長通達の末尾に、さりげなく『日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者は、同法の適用がないものと解される』とする “失権”を規定した例の四〇二号通達を出した。 これによって被爆者対策の二本柱である「手帳」と「手当」の “認定”を出国によって同時に失わせることになった。それ故後に郭貴勲裁判をはじめとする被爆者援護法裁判で、在外被爆者の法的地位をめぐる争点として大きな問題となったのである。 残された課題 昨年度から始まった在外被爆者に対する新規事業は、先ず渡日治療のための渡航費用等の支援策から始められた。つまりまだ「手帳」を持っていない人に、「手帳」交付と入院治療をしてもらうのだという。そのためには事前に必要な書類を送ってもらい、条件が整えば「確認証」を発行して交付手続をスムーズにするというのだ。これまでのことを考えれば手厚い方法のように見えるが、実はこうして日本へ呼ぶことで在外被爆者の実数を把握したいというのが本当の狙いのようだ。現に推定二八〇〇人の来日を予定して予算も組まれていた。 しかし、新たに在外被爆者への対策を立てるならば担当者を日本から派遣して、実態調査を行い、当事者のニーズを直接聞くべきではないだろうか。そうすれば潜在する被爆者も分かり、病状によっては「手帳」申請のための渡日が、いかに苛酷なものであるかも知ることができる筈である。ところがそうした前向きな方策もとられぬ前に、今年度から一転して海外への「手当」支給という新たな問題が発生したのである。 このことに対しても国はこれまで同様日本での手続に本人の渡日は欠かせないとしている。ここ迄くると四〇二号通達で途中で「手当」を打ち切った責任はどうなるかといいたい。「手当」でいえば具体的に日本からの送金方法の問題もある。 韓国の場合、業務委託の話し合いが日本側と大韓赤十字との間で進められているが、赤十字側は高齢の上に病身で日本へ行けない被爆者のことを抜きにして協力は困難――とすでに言ってきている。 これまで見てきたように郭裁判が確定したからといって、国の在外被爆者対策が根本的に変わるとは思われない。前述の担当官交渉でも分かるように今後の国の対応はあくまで現行法の枠内であり、「四〇二号」通達を使ってしばってきたことに反省がない点からもそれは明らかである。 今後についての検討 四月二十七日、今後新たな訴訟を起こすにはどんな方法が考えられるかを検討するため、広大の田村和之さんと永嶋・足立両弁護士を中心とした研究会が広島で行われた。 「市民の会」(大阪・広島)と市民会議から私のほか、広島に滞在中の米国・友沢会長、ブラジル・森田会長、同じく盆子原さんが参加した。郭裁判判決が確定して海外への「手当」支給に一定の前進は見られたが、時効問題や国の支払い義務等まだ残された問題は今後、李康寧裁判、広瀬裁判、それに在ブラジル被爆者裁判を通じて一層明らかにしていかなければならない。勿論今後支援活動を進める上で政府交渉、国会対策は欠かせないが、郭裁判を見ても分かる通り国は裁判に負けてようやく重い腰を上げたのが現実である。 当事者にとっては再び負担を強いることになるが、今後取り得る手段として訴訟提起が有力な武器であることに違いはない。 東京での中央交渉に期待を裏切られた米国・ブラジル代表だが、旅先の疲れも見せずこの日も積極的に意見を述べられ、かえって支援側が励まされるほどだった。以下田村・足立両氏から提案された主な内容をまとめると、一つには、これまで在外被爆者を無権利状態に置いてきた国の責任を、居住国から例えば“「手帳」申請”して問う裁判が考えらないか。 李康寧裁判(福岡高裁)判決でそれは「手当」問題にからんで「広義の被爆者」として提起されているが、属地主義を盾にこれまで在韓被爆者をはじめ在外被爆者の権利行使を拒んできたこと自体が戦後責任というべきである。 ちなみに三団体が会員として把握しているだけでも「手帳」を持っていない人の数は、韓国約千人、米国約三百人、ブラジル約三十人。そのうち韓国の場合国内では被爆者であることを示す証明書を独自に発行している。 ブラジルでも検診団に担当の役人が同行して、被爆者であるかどうか(現行法では直爆・間接被爆を一号〜四号とする)を調べているという事情を踏まえて、国がどう対応してくるかが問われることになる。 郭裁判を振り返ってみると提訴からは四年だが、その発想から準備段階を考えると優に十年近くかかっている。今後はそうした時間的余裕はもうない。幸いこれまで日本での裁判では無縁だった米国の友沢会長に、積極的な姿勢が見られるようになったことは心強い限りだ。 いずれにしてもこれからの支援運動は時間とのたたかいという意味で、一層厳しい状況にあるといわざるを得ない。 現行法の壁は厚いがそれを支えているのが政治である。流動化する国際状況の中で国境を越えた“人権支援の輪”の一環として在外被爆者問題をどう位置できるかが、今後の展望を開く鍵になると思うのである。 |