韓国人被爆者とのはじめての出会い

西山光雄
(全建総連東京建設従業員組合書記長)

何も知らずに「韓国人原爆被害者」の来日行動のお手伝いに参加した私は、生まれて初めて「韓国人原爆被害者」の方々とお会いすることになりました。

前日、知人が「腰痛で起き上がれなくなった。代わりに君が行ってくれ」と、電話をかけてきたからなのです。

「何か聞かれたら困る」と、控えめにしていたのですが、韓国人被爆者にしてみれば、私が「飛び入りの素人」だなんてことは知りませんから「どこまで行くの?」、「あと、どのくらい待てばいいのか」などと、分からないことはなんでも聞いてきます。

チンプンカンプンの私は、その都度、支援組織の方に、聞きなおしてから、質問した被爆者に伝えるのですから「手伝い」というよりも「足手まとい」という感じがしてはじめのうちはとても気が引けました。 しかし、厚生労働省前で行われた座込みと、そこで撒かれたビラを見て“在外被爆者にも援護法を適用せよ”という来日目的や、行動日程が分かるようになりました。

わたしも、「在外被爆者には援護法が適用されない」ということぐらいは、知っていましたが、それは、あくまでも知識としてボンヤリと、知っていただけで、目の前で座りこんでいる「ナマの在外被爆者」に接したこともなければ、その要求を耳にしたこともありませんでした。ましてや支援団体の存在と活動などは、まったく知らなかったのです。

事情が分かるにつれて、被爆者のアジョシ(おじさん)やアジュンマ(おばさん)たちと仲が良くなり、世間話に花が咲くようになりました。

「8月に、韓国語の恩師を訪ねて韓国へ行く予定だ」と言うと「じゃ、被爆者協会の会館にも寄ってくれ」と、道順から交通費のことまで細かく教えてくれました。

住所を確認するため、名刺を見せてもらうと「沈鎮泰」と書いてあります。

「沈氏というと本籍は慶尚北道の青松ですね」。名刺を見ながら、そう念を押すと「ネェ(はい)、そうですけど、日本人のあなたがなぜそんなことまで…」びっくりしている沈鎮泰さんに、さらに問いかけてみました。

「秀吉が貴国を侵略したときに捕虜として連れてきた、あなたと同族の子孫が日本にいますが、ご存じですか?」

いくら血筋を大切にする韓国人とはいえフツーの庶民が400年も前の同族の子孫、それも外国に連れ去られた末裔なんかに関心はないだろうと思ったのですが、それはこっちの思い違いでした。

「知っていますヨ。鹿児島に住んでいる沈寿官氏のことでしょう」。

まるで、隣人の名前を言うように、やすやすと答えたのには、こんどは、こちらが驚かされてしまいました。

韓国人が、これほど「姓」と血筋を大切にする民族なのだということが、いまさらながらわかったのです。

かつて、わが祖国日本は、この誇り高い民族に、命より大切な「姓」を捨てさせ、日本名を強制しました。さらに「徴用」で日本に連れてきて、あげくの果てに、原爆被害の道連れにしてしまったのです。

そしていま、韓国人が韓国に住むのは当たり前なのに、日本に住んでいないからという「変な理屈」だけで、援護法を適用しないというのは日韓の歴史的経緯に無知で、あまりにも無神経な政策としか言いようがないのではないでしょうか。