韓国・朝鮮と私

岡田弘隆
(江戸川原爆追悼碑事務局長・泉福寺住職)

私は、寺の住職の長男として生まれました。2歳で父を戦病死として亡くし、物心ついた時には、何故僧侶が人殺しの戦争に駆り出されたのかに疑問を持ちました。以来、戦争と平和、戦争と仏教との関係が生涯のテーマになりました。

お隣りの韓国朝鮮との関係は、古くは仏教をもたらしてくれた母国ですが、近代36年間の植民地としての歴史を抜きには考えられません。

朝鮮人民民主主義共和国とは未だ国交回復がなされていない状況ですが、大韓民国では民主的な政権が成立して、そこで被爆者その他との交流等に開かれた関係をもてるようになり、東アジアの歴史の大きなうねりと希望を感じます。

私は、29年前に、北九州地方の朝鮮人強制連行調査に加わらせてもらいました。

その時、当時連行以来在日となった長老の方々から生の証言を、連日聞き取りさせてもらいました。突然に面事務所に集合させられ、そのまま玄界灘を連行されて炭鉱やトンネル掘りに強制労働させられた方々が、仲間が無念にも殺されたことを含めて、昨日のことのように語られたことが忘れられません。

20年ほど前に被爆者の方々と、江戸川区に原爆被爆者の追悼碑を造ることになったとき、被爆者の中には当然に韓国朝鮮の被爆者も含まれるのだから、ということで、追悼の対象の被爆者には韓国朝鮮の被爆者を含むものとして追悼碑を造りました。

以来例年の追悼式ではそのことを司会の挨拶に必ず含め、また追悼名簿には韓国朝鮮の被爆者の名簿が含まれて追加されています。そうした活動を積極的に進めてこられたのが、地元の銀林美恵子さんです。第10回追悼式には韓国の被爆者組織の会長さんを招待し、その後も機会をみて地域にお呼びしてきました。

10年ほど前に子どもの学校の先生から、韓国からの駐在員さんの奥さん方が、日本社会になじみにくいので、一緒にお付き合いをしてあげて欲しいと、言ってこられました。これは良い機会と、相互に韓国語と日本語を教え合う教室として、お寺で私の妻(副住職)が中心となり「ハングル語教室」を開設しました。最初は3人の教室が、いつの間にか常時25人程度の教室に成長し、入門、初級、中級の3教室で、教室からハングルの通訳資格取得者まで出るまでになりました。時々は韓国にも代表団を送り、昔の先生方の大歓迎を受けています。授業料は極めて低廉のため、各地から日本人、在日コリアン、帰化した元コリアン等が熱心に通ってきます。

在韓被爆者の問題は、日本の被爆者団体も今日ようやく同苦の仲間として取り上げるようになりましたが、政府はいまだに厳しく差別をしています。

人類が、再び核兵器の被害者とならないために、内外の被爆者は人類の「宝」です。その宝を大切にしなければ、やがては核兵器が再び炸裂することを恐れるものです。

在韓被爆者の支援は、人類共通の宝を大切にするものです。私の行動には限界がありますが、これからも皆さんとどこかで共通の行動に駆り立てられている者として、歩んでいきたいと念願しております。

在韓の被爆者をはじめ、皆さんのご健康を心よりお祈り申し上げます。

合掌