10月5日衆議院第一議員会館で行われた「在外被爆者に援護法適用を実現する議員懇談会」は、各党議員と支援する市民の人々と被爆者が集まり、熱気に溢れていた。 前日行われた厚労省の検討会で意見を述べられた3名の在外被爆者に加え、当日は韓国の李在錫さん(10月3日「帰国で特別手当打ち切りは違法」と大阪地裁に提訴された被爆者)も在外被爆者の不当な差別を切々と訴え、参加者の共感を呼んだ。 李在錫さんの自己紹介で、何と私と中学同期生であることが判った。当時全滅の多かった中学1年生の生き残り2人、56年振りの予期せぬ再会を喜び合った。戦時中の朝鮮人への虐待と被爆を身をもって知る私であったが、今回帰国されてからのご苦労を聞くと、私達より二重三重の苦しみであったと察し涙した。 爆風に叩きつけられ、熱線で焼かれケロイドを残し、放射能で臨死体験をした2人には言葉は要らなかった、56年の空白は一瞬に分かりあえた。 そして李さんとの再会は、56年間持ち続けた記憶の刺を少し和らげた。ふと思い出すとチクッと痛む刺で、在外被爆者援護法適用問題の諸会合に足を運ばせた起因でもある。8月6日を界にプッツリ切れた消息、消息。学校に聞いても、生き残った学友に聞いても分からなかった、当時同級生であった朝鮮人、Tさんの消息……。 今回、李さんが同期生だと分かった時、もしやと思ったが違っていた。入学して3ヶ月一寸の学校生活は教練と建物疎開に追われ、授業は僅かだった。 別クラスの李さんとの記憶はあまり無いように思えたが、戦時下の友達の仲間意識は強く、李さんの事もこの頃少しずつ思い出されてきた。 戦争末期、小学校で教師の、朝鮮人の子どもたちへの凄まじい虐待と侮蔑はとても許せるものではなかった。しかし批判を口に出せる状況ではなかった。その中を潜り抜けて、一緒に進学したTさんのことが今でも気がかりである。被害者である私も加害者であることが刺となっているのである。 李さんとは、今後はお互い支え合いながら、援護法適用の実現を勝ち取ることを誓いあった。来年はワールドカップも行われる、談笑しながら観戦出来ればと夢も持ちたい。 |