「内鮮一体ということで日本にいっていた。今もこのことで一致してほしい」「広島で被爆した8月6日は日本人。そして8月15日から外国人になった。当時自分たちは、日本人であった。日本人被爆者として扱って欲しい」「日本人と同じように戦ってきた。日本人と同じようにして欲しい」「日本人被爆者と同等の援護をして欲しい」。「在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会」(以下、議員懇談会)は、発足以来の懸案であった韓国訪問が、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(以下市民の会)の皆さんのご協力でようやく10月20日から22日の日程で実現しました。 今回の訪問団は、議員懇談会の世話人を中心に呼びかけた結果、斎藤鉄夫(公明)、中川智子(社民)、中林よし子(共産)の各衆議院議員と私の4名が、参加することとなった。そして市民の会の市場さんに同行していただきました。 国会開会中ということもあり、非常に短い日程で、駆け足の訪問でしたが、多くの被爆者の皆さんにお会いし、そして直接、被爆や植民地支配時代の体験や要望を聞くことができたことは、大変有意義でした。 冒頭の言葉は、今回の韓国訪問で私たちが、お会いし話を伺ったすべての被爆者に共通する言葉でした。予想していたこととはいえ、あまりにも重い訴えの連続であり、日本人として責任の重さを痛感させられました。 20日昼過ぎ韓国・仁川空港に集合した訪問団は、直ちに最初の訪問場所である韓国被爆者協会ソウル支部をめざして車を走らせました。予定した時間より早めに行動できたため、私たちが訪れる1週間前に韓国を訪問した小泉総理も訪れたソウル市内にある西大門刑務所歴史館を見学することにしました。ご承知のようにこの西大門刑務所は、日本帝国主義の韓国植民地支配時代の代表的な弾圧機関としての役割を果たしてきた場所であり、日本による植民地支配が、いかに過酷なものであり、人権を無視していたかを実感することができました。 この見学は非常に短時間でしたが、今回の訪韓の最初にこの場所を訪れたことは、その後の被爆者の皆さんとの交流の中に生かすことができたと思います。 西大門刑務所歴史館見学を終えた訪問団は、韓国被爆者協会本部を訪れました。本部の建物前では、郭貴勳さんが、出迎えてくださいました。協会本部の事務所には、私たち訪問団に直接声を届けようとソウル支部の30名を越える被爆者の皆さんが、集まっておられました。初めて訪れた日本の国会議員に対する期待の大きさを痛感しました。 懇談が始まると、私も、私もと発言される被爆者の皆さん。「日本で生れ、9歳で被爆した。帰国時には、日本語しか分からず大変苦労した。今、日本語はすっかり忘れたが。一番の願いは、援護法を日本の被爆者と同一にして欲しい。また、手帳を取っていない人をどうするのかも早期に考えて欲しい。今協会に入っていてもそんなに利益があるわけではない。だからウソを言う人などいない」「古江で生れ、小学校4年生で被爆。後遺症のことなど知らずに帰国。健康手帳を韓国人としてはじめて出されたが、『あんたが飛行機に乗って帰国したらお金は払えません』といわれ、帰国後悔しくて悔しくてならなかった。長崎市の女性市会議員が、一人がんばって私のことをやってくれた。一人の力が大きい。国会議員が力を合わせてやって欲しい。」などなど。 そして、「1999年50名、2000年90名、今年はすでに100名を越える人が亡くなっている。あと5年もすればみんな亡くなってしまう。何とか早く援護法を同じように適用して欲しい」そして、次々と出てくる広島の地名を聞くたびに、広島選出の国会議員として、いよいよ責任の重さを思い知らされました。 私たち訪問団は、ソウル支部訪問を終えた直ちにテグ市に移動。そして21日には、ハプチョン支部の皆さん、ハプチョンにある韓国原爆被害者福祉会館入館者、そして慶北支部の皆さんから、お話を伺うことができました。 特に慶北支部では、100名近い被爆者の皆さんに駆けつけていただき、被爆者の皆さんの要望体験を聞くとともに、心づくしの手料理が準備されており、暖かい歓迎を受けました。 どこでも、私たち日本の国会議員に対する熱い思いを感ずるとともに、本当に一生懸命に、そして必死で生き抜いてこられたこの56年間の思いを知ることができました。 22日は、ソウル市内で韓国国会議員や韓国赤十字社、韓国保健福祉部を訪問し、意見を交換しました。 国会では、6月の郭貴勳裁判を支援し日本政府に控訴断念を要求された68名の国会議員の中心メンバーであるイ・ミギョン議員をはじめ6名の皆さんと、「被爆者問題」でははじめての日韓国会議員の交流を行うことができました。そこでは、「人道主義に基づいて解決すべきである」「明確にするためには立法も必要ではないか」等の意見が出されました。さらに今後も、被爆問題のみならず、人権問題、教科書問題などで新たな協力ができるよう交流を深めることを確認しました。 引き続いて訪れた韓国赤十字社では総裁に、保健福祉部では、次長と会談しました。ここでは、特に8月末に韓国を訪問した坂口厚生労働大臣との会談の内容を論議してきました。日本では、その際の会談内容が正確には発表されていませんが、韓国では両組織ともきちんとした報告書としてまとめられていました。私たちも資料として、持ち帰りました。 ある意味で重たい韓国訪問でしたが、やはり直接被爆者の声を聞くということは、大きな意味がありました。そして、議員懇談会の目的である「在外被爆者への援護法適用実現」は、1日も早く必ず実現させなければならない課題として取り組む決意を新たにしています。 もう間もなく厚生労働大臣の下に設置された「検討会」の結論が、出ることになりますが、在韓被爆者の皆さんの声を忘れず、全力でがんばる決意です。 終わりになりましたが、今回の韓国訪問のためにご支援をいただいた市場さんを始め多くの皆さんに心からお礼をもうしあげます。 |