金順吉裁判、最高裁に公正な判決をもとめて、日韓共同署名提出
五月一六日、長崎から六名の方々が右の目的で来京された。一行は、「日本国と三菱の戦争責任と戦後補償を問う金順吉裁判を支援する会」代表の岩松繁俊さん、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部代表の平野伸人さんほかの皆さん。
亡き金順吉(キム・スンギル)さんが、日本国と三菱重工を相手どり、未払い賃金と損害賠償をもとめる裁判をおこされたのは一九九二年七月。金順吉さんは惜しくも一九九八年二月二十日肺ガンのため亡くなられ、長男、次男が遺志を継いで原告になられたが、その長男も亡くなられて、今回は次男の金容培(キム・ヨンベ)さんが父の遺影をかついではるばる来日された。「韓国原爆被害者協会」釜山支部長車貞述(チャ・ヒョンスル)さんも金さんにつきそってこられた。
公正な判決をもとめる日韓共同署名は、実に三万七千五百九十三名。うち九千百四十五名は韓国での署名。
最高裁への署名提出には、市民会議からは銀林美恵子・石川逸子が同行したが、最高裁通用門前での集会(強制連行ネットワークの方々が支援のため門前に集まっていられた)では、金順吉さんの大きな写真を抱いて、金容培さんが静かに決意を述べられた。
署名提出後、雨のそぼふる東京駅北口でビラまき。ていねいに頭を下げて通行人にそっとビラをさしだされる金容培さんの姿が印象的であった。
その折のビラは次の通りである。(I)
償え!三重の被害
強制労働 強制連行 長崎原爆被爆金順吉裁判の公正な判決を求めます。
日韓共同署名(三万五千分)を5月16日(水)日本国最高裁判所へ提出しました。
1945年、日本の侵略・植民地支配の暴虐の果てに、日本国長崎の地に強制連行され、8月九日には原爆被爆の惨禍を受けた元徴用工・金順吉(キム・スンギル)氏が提訴した裁判の最高裁上告審にあたり、公正で正義の判決がなされるよう要請します。金順吉(キム・スンギル)氏が、日本国と日本企業・三菱重工を相手に未払い賃金と損害賠償を求める裁判を開始したのは1992年7月のことです。
金順吉氏は失われた人間の尊厳を回復するために命を削ってたたかいました。一審・二審判決は、日本国にも、三菱重工にも「不法行為があり、責任がある」として事実を認定した画期的なものでした。
しかし、「どう償うか」が問題となるべきにもかかわらず、判決は金さんの訴えを退けました。歴史の真実に真正面から向き合おうとしない不当で許しがたい判決です。
金順吉さんは一審判決後の1998年2月20日に病気のために帰らぬ人となってしまいました。現在は、金順吉さんの遺志を継いだ遺族の手によって裁判が続けられています。この裁判は、日本国が過去の侵略に対し深い反省と真摯な謝罪を表明し、原告並びに韓国を始めとするアジア諸国の人々のあたたかい心を癒すとともに、許しを得ることによって、誠実に平和を希求する国家として歴史の審判に耐えるべき重要な裁判です。
わたしたちは、日本国最高裁裁判所が、この裁判の歴史的な重要性を認識し、公正な審理のもと、良心と正義に基づいて正当な判決を下されることを切に望みます。
金順吉裁判原告・遺族
韓国・長崎原爆三菱徴用工生存者同志会
韓国原爆被害者協会釜山支部
日本国と三菱の戦争責任と戦後補償を問う金順吉裁判を支援する会
(石川逸子)