『ブラジル・南米被爆者の歩み』

編・著:森田隆・森田綾子

「ブラジル・南米被爆者の歩み」刊行委員会発行

 文字通りの二人三脚で活動を続けてこられた、在ブラジル原爆被爆者協会会長の森田隆さんと同事務局長の森田綾子さんご夫妻が編まれた本。地球の反対側にあってこれまで届くこと少なかった在ブラジル被爆者たちのなまの声と、血のにじむような日本政府への働きかけの数々が、二十一世紀を迎えてはじめて、私たちのところに届けられたことになる。

 一九八九年にブラジル原爆被害者協会がおこなった調査に寄せられた感想・意見がそのまま収録されているが、一人一人は思い出せば「涙があふれてしまう」被爆当時の惨劇をこもごも記し、さらにインフレのブラジルでの苦しい日日に一日も早い援護対策をと願っている。

 「父が広島市内で疎開作業中、原爆で死亡。九人家族で母と十五歳の私が残された。苦しい生活でした。中学を中退しパラグアイ移民で渡伯。結婚後長男が二歳の時ガンになり、両眼摘出、十一歳で死亡する。日本での原爆被爆者関係の法律が知りたい。帰国費用が欲しい。」

 「日本に帰国すれば無料と聞いていますが、そのお金があれば皆苦労はしません。只一人の娘に先立たれ、その後病気になったら、と思うと毎晩泣けてしまいます。」

 「夫婦とも被爆しているので一寸のことでも心配だ。経済は火の車、病気のときが心配だ!」

 右はそのほんの一端。このときからすでに一二年が経ってしまっている。協会の設立は一九八四年七月。二十七人の被爆者が集まって結成され、それから森田夫妻によって精力的に活動がなされていく。被爆後、実に三十九年たって被爆者組織がつくられたわけだが、夫妻それぞれの手記を読んでもわかるように、お二人にとってもその日その日を生きていくことで精一杯だったのだ。しかし、日本政府の応対は冷たかった。はるばる渡日して厚生省に申し入れをおこなったとき、「日本を出たような人に支給できない。税金を払ってないんだから、ブラジルに頼んだらどうか」と言われたことは忘れられないという。もともと海外移住は国策として奨励され、被爆者かどうかの確認もなく移住許可されたというのに、どうして長い間放置されたままなのか、これでは棄民だ、怒りの声が本書の随所から起ちあがっている。

 一片の局長通達によって在外被爆者を援護法から適用除外した不当について、在外被爆者三団体(韓国、アメリカ、ブラジル)と日本原水爆被害者協議会が共同行動で日本政府に働きかけはじめたのはやっと一九九五年からだが、それからのホットな資料も収録されており、「ブラジル・南米被爆者の歩み」の年表とともに貴重だ。

 一九九九年十一月、森田さんは、日本を出たとたんに健康管理手当を打ち切るのは不当として裁判を起こした郭貴勲さんに共鳴し、証人として出廷したが、その陳述書も収録されている。

 ブラジル被爆者は昭和生まれが多く、まだ余生は長い。最後の一人になるまで安心して生きられるようにしてほしいと、森田さんはそこでも訴えている。

(石川逸子)

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