丸木美術館・オッペ美術館に森田夫妻をご案内して
銀林美恵子
月末、NHK総合テレビで、人間ドキュメント「 才のおてんばさん、原爆を描く」という、大道あやさんの日常が紹介されました。いま、海外にいても、ただちに電波が届き、地球の反対側のブラジルでも、直後にこの放映があったそうです。
月8日、ブラジル被爆者協会の代表森田隆さんと綾子さんが今年も「在外被爆者への援護法適用を求める」行動のために、来日されました。成田空港に出迎えたときの最初の話題がこのテレビのことで「あれをみて感動しましたよ」と隆さん、「あやさんにお会いできたら……」と同名でいっそう親しみを持たれた綾子さん。昨年は「丸木美術館に行って、原爆の図を見たい」のご要望があったのに、日程の都合で行けなかったので、今回はそれも兼ねて、大道さんのオッペ美術館を訪ねてみようと石川逸子さんと二人で案内することにしました。
埼玉県東松山の丸木美術館では、原爆の図を見ながら、森田さんたちはあの日の地獄を思い浮かべておられたのでしょう。「水」の絵の前で「用水桶の中に頭を突っ込んで大勢の人が死んでました。」と痛々しそうにぽつんとおっしゃる綾子さんでした。その後、「南京大虐殺の図」も食い入るようにお二人は熱心に見ておられましたが「こんなひどいことをしたんだから、日本は謝らなければ……」と元軍人の隆さんの言葉は重いものでした。最後に、丸木スマさんの動物や草花などの明るく楽しい絵を見て、ほっと一息つき、外に出て川を見下ろすベンチでお弁当を開きました。丸木夫妻ご存命中にお連れできなかったのは残念でしたが、ご遺族の久子さんや美術館の人たちとの歓談もお二人に喜んでいただきました。
越生町にあるオッペ美術館は、案内役の私たちもはじめて訪ねるところです。丸木美術館の方に車で案内してもらい、 分ぐらい走って、梅林で知られる越生町に入り、坂道をどんどんあがった人里を離れた山の中のオッペ美術館にたどりつきました。けとばし山、ウトロ夢の森と周辺風景の命名もふるっています。越辺(おっぺ)川がこの町を潤し、川の上流にけとばし山があり、おてんばのあやさんがかけずり回る姿が、テレビの画面にもありました。「オッペ」とは、アイヌ語で「恋人を待つ」というロマンチックな言葉、それが美術館の名前です。小さな部屋に、丸木スマ・大道あやの絵、さらに人形や動物のやきものが所狭しと展示されていました。
その日、風邪ぎみだったあやさんでしたが、遠くからの客人を喜んで迎えて下さいました。同じ広島被曝で、やはり原爆体験の話が中心になりましたが、あやさんの子どもの頃のことなども広島弁で出て盛り上がり、大道さんは「私の本当の名前は綾子じゃったんよ」と、二人綾子さんは意気投合して話はつきません。夕刻になって、かわいい動物のやきものと絵葉書をお土産に戴いて、別れを惜しみながら帰路につきました。
綾子さんは「勇気をいただいた。よかった、よかった。」の連発で、長旅の疲れもみせず、にこやかで私たちも心豊かな幸なときをすごした一日でした。
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