森田夫妻を囲んで

東京都原爆被害者団体協議会 事務局長 飯田マリ子

 在ブラジル被爆者協会の森田隆会長と森田綾子事務局長夫妻を囲む懇親会が、十一月十一日の夜、東友会常任理事の有志により開かれました。
 この集いは日本被団協、在韓被爆者問題市民会議などの市民団体の共催で、在外被爆者にも被爆者援護法の適用を求めて十一月十三日衆議院議員会館の会議室で開かれた「在外被爆者問題での国会議員への説明懇談会」に参加するため、早目に来日される森田夫妻をぜひ東友会の方々に紹介したいという銀林常任理事からの申し出を受けて実現したものです。東友会は、韓国とアメリカの代表も一緒に紹介できれば との希望でしたが、両代表は都合がつかずブラジル代表のみとなりました。
 十一月十一日は、東友会常任理事会で、ご挨拶をいただいた後、有志十一人で森田ご夫妻を囲む集いを東友会事務所近くの酒場「新鮮市場」で開きました。歓迎の言葉、乾杯、ご夫妻の被爆状況、渡伯のお話、自己紹介などが和やかなうちに次々とつづきました。被爆前後のお話では、森田会長は応召されて二等兵となり、一般軍人として厳しい訓練を受けたあと中野の憲兵学校に入り、その後広島に赴任して六ヶ月の二十一才のとき爆心地から一・三キロで被爆され(場所は不明)、重傷の李殿下を救出し船で宇品に運んだ、とのことでした。綾子様は、広島市立高等女学校を卒業し県庁職員として衛生試験場に勤務中の二十才の時、爆心地から一・二キロの衛生試験場の建物内で被爆、爆風で四、五メートル飛ばされたそうです。実家は薬局だったとのことでした。お二人は戦後結婚されて、広島で時計屋を営まれ、縁あってブラジルに渡り、現在はサンパウロに居住し、お子さん二人は立派に成長されて、いまはスーパーを経営し事業も順調、余裕ある生活をおくっている―ブラジルから来日するには途中のロスアンゼルスでの給油時間を含めると二十時間かかる―息子や娘も両親の被爆者運動を応援してくれているので安心して来日できる―など話されました。お互い国会行動では話せない、聞けないうちとけた話がつづき、果ては東友会でブラジル訪問ツアーをしたいですネエーー大歓迎しますヨーなど、話は限りなく盛り上がり、親睦を深め合い、アッという間の二時間でした。
 同じ被爆者でありながら在外居住ということで被爆者に対する法の適用外におかれている国の現行施策の矛盾を、一日も早く
日本政府に是正させ、日本で受給認定を受けた諸手当は、外国にいても継続受給できるよう、私たち東友会は、首都東京の被爆者組織として運動の先頭に立ち力をつくさねばーと自らに言い聞かせています。

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