日本は「唯一の被爆国」といいます。広島でも長崎でも核兵器廃絶と被爆者の援護法を求める運動が繰り広げられてきました。
しかし、「唯一の被爆国」という時、二つの点に注目しなければなりません。ひとつは、いまでは原発事故をはじめとして「核被害者」は世界中に広がり、「ヒバクシャ」は原爆被爆者だけの問題ではなくなっていること。そして、広島・長崎において被爆したのは日本人ばかりでなく、多くの「外国人」が被爆したことを忘れてはいけないからです。
しかし、わたし自身も被爆二世としての活動を始めたときにはこのような視点はまったくと言っていいほど無く、「唯一の被爆国」と言った視点を疑いもしませんでした。
そんなわたしと在韓被爆者との出会いは1987年の夏に日本の被爆二世の訪韓で始めて韓国・ソウルを訪れた時から始まりました。
韓国の被爆二世から「日本人は嫌いだ」といわれたことも衝撃でしたが、それ以上に〈韓国にもこんなにも多くの被爆者がいる〉といった事実を知ったことも大きな出来事でした。と同時に、何の援護も受けることなく放置されていることに言い知れぬ怒りを感じたものでした。それはそういった事実も知らずにいた自分自身への怒りでもありました。以来、わたしは被爆二世の活動の重要な視点に「在韓被爆者問題」を据えて取組んできました。
鈴木賢士さんの写真集『韓国のヒロシマ』を手にしたとき、最初に訪韓して韓国の被爆者と出会ったときの感覚が鮮やかに蘇ってきました。鈴木さんは、あのときのわたしが見て感じたものと同じものを体感しているということを確信したのです。それは、同情でも憐憫でもない、感性に呼びかけられた使命感とでもいうものでした。わたしは長崎での平和運動のなかにその感覚を具現化してきました。鈴木さんは「写真」という表現方法を通して自分なりのメッセージを伝えています。
多くの韓国・朝鮮人が日本人と同じく被爆した事実。当時は創氏改名させられ、土地を奪われ、言葉を奪われ、すくなくとも8月9日までは日本人として被爆した人々。しかも、故郷に帰った多くの被爆者はその後の半世紀をほとんどなんの補償や援護も受けることなく放置されて来ました。鈴木さんの写真を通して見えるそれら被爆者の表情のひとつひとつに55年の歳月と在韓被爆者の静かな叫びを感じることができます。
鈴木さんは1997年の8月の訪韓をきっかけに韓国の被爆者と関わってきたそうです。わたしがこの写真集に新鮮さを感じたのはあるいはその関わりの時間の短さ故かもしれません。その意味ではこの本が本当に「生きる」かどうかはこれからではないでしょうか。この本のなかの多くの被爆者は〈わたしたちは単なる被写体ではない。写真の興味の対象でもない。わたしたちと長く寄り添える人しかわたしたちは信じない〉と無言のうちに語っています。
この本に魂を入れることができるかどうか、それは今後の鈴木さんを見守るとともに、その活動を大いに期待したいと思います。