現在、長崎・広島・大阪で取組んでいる訴訟は4つある。大きく2つに分けて、1つは在韓被爆者の典型例である徴用工被爆者の強制連行と、その結果もたらされた原爆被害に対して国と企業に補償を要求するものと、もう1つは日本国内の被爆者同様現行の被爆者援護法の適用を求めるものである。
前者はアジア各地の戦争被害者が日本で起こしている各種“戦後補償裁判”に連なるものであり、後者は国家補償を拒んでいる被爆者援護法に風穴を開けるもので、いずれも日本の戦争補償そのものが問われているのである。
〈金順吉裁判〉
孫振斗(ソン・ジンドウ)さんが原爆症の治療を求めて最初に提訴してから20年たって、同じ釜山に住む元徴用工の金順吉(キン・スンギル)さんが国と三菱を相手どって92年7月、長崎地裁に提訴した。
時代は変わり韓国をはじめアジア各地で民主化が進み、日本へ戦後補償を求める民衆の声が高まる中での裁判だった。
しかし、司法の壁は厚く、97年12月、長崎地裁での第1審判では「強制連行」「強制労働」それに「未払い賃金」の事実については認めたものの、国の責任に対しては旧憲法の「国家無答責論」で、企業の責任については現在の三菱にないとする「別会社論」で切り捨てられ敗訴した。金さんは福岡高裁に控訴したが、翌年98年2月に亡くなってしまった。
訴訟は遺児・金鍾文(キン・ジョンムン)さんらに引き継がれ、昨99年10月控訴審判決が言い渡された。
第2審でも歴史の重みは裁かれず敗訴。ただし1審で認定された強制連行等の一連の事実は覆されず、1審では否定されていた金さん連行の三菱の関与についても新たに認められた。現在、金順吉裁判は最高裁へ上告中である。
〈三菱広島・元徴用工裁判〉
長崎に続いて95年、同じく三菱と国に対して第1次朴昌煥(パク・チャンファン)さんら6名、続いて第2次40名の計46名の元三菱徴用工が集団で広島地裁に提訴。その中残念ながら今日までに,崔基昌(チェ・ギチャン)、金鍾煥(キン・ジョンファン)、朴景培(パク・キョンペ)、李永憲(イ・ヨンホン)、韓達洙(ハン・ダルス)、金正悦(キン・ジョンヨル)の6名の原告が亡くなっている。集団と単身の違いはあっても元徴用工裁判の狙いは同じである。訴訟を進めるに当たっては長崎での「別会社論」の対抗策として戦後引継の役割をした会社「三菱重工」の責任も取り上げられた。広島地裁の最終段階に入って裁判長が和解の打診をしたが、三菱側はこれを拒んだ。第1審判決は昨99年3月に行われ、内容は予想外の不当判決に終わった。
先づ国家の権力作用については私法は適用されないとする「国家無答責論」を長崎同様採用した上で、戦後在韓被爆者を放置してきたことについても、在外被爆者に援護法を適用するかどうかは立法裁量の問題であるとして司法としての判断を回避した。さらに筆者自身証人として出廷した孫振斗判決にも触れずじまいのままである。また企業の責任についても除斥期間(不法行為の期間)、未払い賃金の時効等、すべて原告らの請求は消滅したとして、金順吉裁判では少なくとも認めていた強制連行の不法行為にも踏み込んでいない。この裁判も現在、広島高裁に控訴中である。
〈2つの被爆者援護法裁判〉
元徴用工裁判に続いて、大阪と長崎で2つの「援護法」適用をめぐって郭貴勲(カク・キフン)さん、李康寧(イ・ガンニョン)さんをそれぞれ原告に訴訟が行われている。国と企業を相手どった元徴用工裁判と違って、ここでは国の被爆者対策に的をしぼり、在韓被爆者への法の適用を要求しているところに特色がある。これはまた既述のように在米、在ブラジル等在外被爆者全体にかかわる問題であり、98年10月先づ大阪地裁への郭さんの提訴に続き、長崎でも昨99年5月、李さんが訴訟に踏み切った。
この2つの裁判は国外にいる被爆者にも現行法を適用せよ−というもので、かっての孫裁判が『入り口』の被爆者手帳交付をめぐって争ったのに対して、今度は日本滞在中支給されている「手当」(両者とも健康管理手当)を支給期間も切れていないのに帰国と同時に打ち切るのは不当であるというのが裁判の争点である。それというのも国は単に「手当」を打ち切るだけでなく、被爆者であることを証明した被爆者手帳も同時に失効するとしていることから、在外被爆者の権利性自体が問われていることになる。
国側がその根拠としているのは旧2法(原爆医療法、原爆特別措置法)当時の『日本国の領域を越えて居住地を移した場合は(「手当」受給権が)失権する』とする厚生省公衆衛生局長通達(74年7月22日付)に過ぎない。
法文上には何らの規定もなく「援護法」と銘打った現行法に旧原爆2法の通達がそのまま受け継がれているところにも問題がある。つまるところ、在韓被爆者(他の在外被爆者も含め)は、1時期日本に滞在している間だけは「被爆者」であっても、日本を離れれば「被爆者」ではなくなるというのだろうか。
それでは「手帳」交付をめぐって7年間争い、原爆被害に対する国の戦争責任を認めさせた孫振斗最高裁判決とは、何だったのかということになる。
しかも前記通達が出されたのは、孫さんの1審判決(74年3月)直後、この判決をバックアップする意味から故辛泳洙(シン・ヨンスさんが「手帳」申請を行ったまさに同じ日に出されたものであった。かんぐれば孫裁判で敗訴を覚悟した国が、在外被爆者への法適用の退路をあらかじめ断ったと考えざるを得ないのである。
しかし、大阪に続く長崎の李裁判にしても、現在までの進行をみる限り、前途は明るくない。先行している元徴用工裁判との関連でいえば、それらの判決は当然のことながら後発の「援護法」裁判にも影響が出てくる。
他の戦後補償裁判をみる限り、1部で「立法不作為」(関釜裁判)や「和解金」(日本鋼管裁判)等の前進はみられるものの、国はかたくなに戦争被害に対する加害責任を明らかにせず、個人補償の道を閉ざしているのが現状である。
在韓被爆者問題でいえば、例の一時金「40億円」もここ数年で底をつこうとしているとき、現在行われている裁判はそれぞれに重い課題を背負っているのである。最近になって韓国の弁護士を中心に、釜山で元徴用工被爆者を原告とする裁判を立ち上げる動きが出てきている。
この場合、訴訟の相手は、「三菱」になるであろう。米国カリフォルニア州でも同様日本企業に対する戦後補償を要求する訴訟が準備されつつあるが、そうなれば行政・司法ともに責任回避の体制をとっている日本に対して、民間レベルでの新たな外圧になることは間違いない。
しかし、いずれにしても国内与論の動向が最も重要な鍵を握っていることを銘記しなければならない。(文責・中島竜美)
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