在外被爆者を迎えて

銀林美恵子(広島被爆)


▲22日懇親会で挨拶する森田綾子さん(鈴木賢士氏撮影)

10月被団協中央行動参加の韓・米・ブラジル代表の東京滞在日誌

 一年ぶりに、ブラジル、アメリカ、韓国の被爆者をお迎えしました。昨年、在外被爆者も含めて日本被団協主催の在外被爆者問題パネルデイスカッションが参議院議員会館で開かれ、多いに元気付けられ、それぞれに帰国されて以来の再会です。この一年間、この日本の国は危険な方向に向かうばかりで、在外被爆者問題には何の進展もないまま、この方たちを迎えることを心苦しく思いました。
 東京滞在中の6人の方たちと行動をともにする中での話をいくつか紹介します。

 静かでゆっくりできる所をと望まれる森田夫妻を目黒の庭園美術館にご案内したとき、うかがったこと。
 初めて、二人の幼い子供連れのご夫婦がブラジルに発たれた時の船旅 日間のできごと、死没された方の遺体を海中に葬る水葬があり、また赤ちゃんが誕生するなど長い船旅の人間のドラマから始まり、いろんな苦労話をお聞きしました。移民奨励の国策にのって、夢をもって着いたブラジルでの生活は厳しいもので、綾子さんは、何の経験もないお菓子作りに挑戦し、クッキーや甘納豆まで工夫して手作りし、それを売って、生活を支えられました。現地の材料で日本の甘納豆を仕上げるために、どれほどの試行錯誤を続けられたか? 豆の選択や煮加減、被せる砂糖が固まらなかったり、解け出したり一からの作業は大変なご苦労でした。その努力が実り、綾子さんの甘納豆は移民の日本人に故郷の味と喜ばれ、評判になり、企業としても大成功、今ではお菓子だけでなく、手広く食料品店と日本料理店も経営。優秀な二人のお子さんとその家族も家業に加わり、森田フアミリーはブラジルの日本人社会でしっかり根付いています。
 しかし、森田夫妻は広島の被爆者として、ブラジル被爆者の窮状にだまっておられず、被爆者の会をつくり、ほとんど自費で実態調査をし、夫妻で会長、事務局長として困難な状況の中、ブラジル在住被爆者のために、全力を尽くしておられます。
  年ぶりに初めて日本に里帰りし、厚生省を訪問、被爆者の援護を要請したときの役人の冷たい応対、しかし、懲りずに帰国の度に何度も国、広島、長崎の県、市や医師会に足を運び、隔年の医師派遣と渡日治療を実現させて来られました。

 郭貴勲さんのこと
 石川逸子さん、高福子さん、私と三人で成田空港に出迎えました。
 軍隊で被爆した郭さんは体に大きな火傷の後を残す被爆者です。大阪の銭湯で「あんたどうしたんや?」とケロイドの後をじろじろみて尋ねられたと。半世紀経ってもいまだに他人が驚くような傷跡を残す郭さん。大阪で裁判中ですが、全然むずかしいことではない。厚生省の一局長通達を変えればすむことなのにと。被爆者であると日本政府が認めたのが、なぜ日本を離れた途端に被爆者でなくなるのかと。
 西村眞悟防衛政務次官の「核武装発言」について、日本政府は十分承知の上で様子をみるためにアドバルーンをあげただけで、もう少ししたら、核武装も当たり前のことになるのではないかと、軍隊をもつ日本の将来への不安を話されました。この夏ようやく広島の平和公園内に移設された「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に、赤ペンキがかけられた事件もすでにご存じで、日本社会の未だに変わらない差別に顔をゆがめ、在日韓国人の高さんが大きくうなずいていました。日本のこういう恥ずかしいニュースは逸早く韓国のマスコミにも報道されていることを実感しました。

 韓国原爆被害者協会 崔日出会長
 崔さんとは会長就任以来、何度かお目にかかっています。特に一昨年の「東友会結成 周年記念韓国ツアー」ではすっかりお世話になりました。7月の江戸川の原爆犠牲者追悼式には昨年・今年とメッセージを寄せていただいています。
 今回被団協の代表者会議の会場にご案内しました。東友会の役員に暖かく迎えられ、会場に入ると、熊本の被団協の代表が遠くからとんで来られ、数日後熊本で開かれる熊本被団協主催の「崔さんの講演会」について話が弾みます。熊本の方は今夏、韓国慰霊祭に出席し、在韓被爆者の現状に触れ、この企画をたてられました。仙台からみえた宮城の代表は、「崔さんの被爆体験記を早く送って欲しい、宮城でも広めたいから」と。こちらは5月ハーグでの国際会議で親しくなった方でした。他にもハーグでの行動以来となつかしそうに挨拶される方も多く、被団協の中に崔さんのお知り合いが増えたことを嬉しく思い、会長就任後、特にこの一年間の熱心なご活躍の成果だと頭が下がりました。
 
 倉本寛司さんについて
 東京八王子にお住まいのお嬢さんの出産手伝いのため、ご夫妻でこの秋 月初めから来日されていました。私たちが一年ぶりにお会いしたのは 日、市民会議の例会前でした。元気な双子の女児出産を嬉しそうに話しておられました。被爆者にとって子や孫の健康は一番気になることですが、母子ともに健在と何よりでした。出版されたばかりのご本も持って意気軒昂でした。今年は手帳も東京で取り年内はご滞在。

 李康寧さんのこと
 郭さんに続いて、長崎で裁判を起こされた李さんに今回初めてお会いしました。実直そのもので、控え目な方で、皆で夕食をともにした時など余りお話を聞けませんでした。しかし、決起集会でのご挨拶には目を見張りました。理路整然かつ堂々と冷静に話される李さんを頼もしく思います。

 人間同士、同じ痛みを持つ被爆者同士、親しく顔を合わせる出会いが重なれば理解も深まります。日本政府は相変わらず、頑固ないじめの体質を守っていますが、韓・米・ブラジルそして日本の4か国被爆者が一致して共同行動をしていくことが、解決の糸口になるでしょう。
  月 日の郭さん裁判に初めて、倉本さんと森田さんが証人に立たれることになりました。これまで、異なる対応で分断政策を取られてきた在外被爆者が、一丸となって、不条理な援護法適用を正すために証言されることは画期的な出来事です。私もぜひ傍聴したいと願っています。

▲大阪へ向かう在外被爆者の方々と見送りの市民会議のメンバー(10月23日東京駅にて)