市民の会が支える四つの在韓被爆者裁判 |
韓国の原爆被害者を救援する市民の会事務局 市場 淳子
日本政府外務省は「在韓被爆者問題は四○億円でもう終わりです。追加はまったく考えていません。」と言っています。しかし、四○億円は「支援金」であり、協会の求めてきた補償ではありません。しかも、この四○億円も二○○三年には使い果されます。そのとき、在韓被爆者たちはふたたび、「病苦」と「貧困」の苦しみのなかで無援護状態に置かれてしまいます。そうなれば、今は亡き辛泳洙さんを中心に協会がようやくつかんだ問題解決の糸口も、見失われかねません。二○○三年を迎えるまでに、真の問題解決の糸口を切り開こうと、現在、在韓被爆者が原告となった四つの裁判が日本の裁判所で闘われています。各裁判の趣旨と経過をご報告し、ご支援をお願いします。
(1) 故金順吉さんの長崎・三菱裁判(現在、福岡高裁控訴審、今秋二審判決)
三菱長崎造船所に強制連行され被爆させられた釜山の金順吉さんは、一九九二年七月、長崎地裁に、日本国と三菱に強制連行・強制労働・被爆に対する損害賠償一千万七○円(七〇円は帰国の船賃)と、未払い賃金一二四円二八銭を求める裁判を起した。
これに対し、国は「明治憲法下では国(つまり天皇)に不法行為・違反行為があったとしても賠償責任を負わない」と、天皇制国家の論理である『国家無責任の法理』を全面的に主張し、三菱は「徴用は国策だった。未払い賃金は供託した(*長崎法務局は供託名簿はないという)。当時の三菱は財閥解体で解散し、今の三菱とは別会社で責任はない。仮に請求権があったとしても『日韓条約に伴う法律一四四号』で消滅した。」と主張した。
一九九七年十二月二日、長崎地裁は、被告らの手前勝手な免責の論理を全面的に認め、金さんの訴えを棄却した。ただし不当な判決のなかにも金さん自身も「実質勝訴」と評価した点がある。それは、国と三菱の不法行為を指摘した点だ。国については、強制連行時の脅迫・監視は徴用令にも「違法な徴用手段」であり、三菱の寮で海軍兵が監視していたことは「公務員の違法行為」であると断定した。三菱についても、監視体制下で軟禁に近い状態に置いたことは違法で「旧三菱重工には不法行為責任がある」と明快に指摘し、未払い賃金五○円についても「支払い債務を負う」と述べている。にもかかわらず判決は、国家無責任の法理と別会社論で、被告らの賠償責任を免責したのである。
金さんは「いっそう元気を出して勝つまで闘う」とただちに控訴したが、肺ガンのため一九九八年二月三○日に「あとを頼む」と言い遺して亡くなった。控訴審は金さんの三人の子どもが原告となって闘われている。年内にも判決が下される見通しである。
(2) 元三菱徴用工被爆者同志会の広島・三菱裁判
広島の三菱重工に強制連行され被爆させられた元朝鮮人徴用工被爆者のうち、ソウルと京畿道に済む二百数十名が、一九七四年に「韓国原爆被害者三菱徴用者同志会」を結成した。多くの会員が亡くなり、今日ではわずか約五十名となったが、そのうち六名が一九九五年二月十一日に、つづいて四十名が一九九六年八月二九日に、日本国と三菱に、一人当たり一千万円の損害賠償(強制連行・強制労働・被爆後の放置=日本人被爆者との間の著しい差別に対する補償請求)と未払い賃金を求める裁判を、広島地裁に提訴した。
その判決が本年三月二五日に出た。それは原告の被害の事実認定すらせず、「国家無責任の法理」と「時効」によって原告らの訴えを全面的に棄却するものだった。この不当判決は以下の二点において、とりわけ許しがたいものであった。
第一は、判決の精神が大日本帝国擁護にある点だ。判決は、原告らの訴えが日本国家の行った朝鮮植民地支配とアジアへの侵略戦争の結果として提起されたことに、目を向けていない。そのことが象徴的に現れるのが、原爆被害に対して「戦争中日本国民すべてが被害を受けたのだから堪え忍べ」という一方で、戦後の被爆者対策に関しては、「日本国外の被爆者」に被爆者援護法を適用しないことは「自然なことである」と述べた点である。これは憲法前文が強く戒めた偏狭な国家主義の立場そのものである。第二点目は、在韓被爆者の現実を全く理解していないことだ。判決は在韓被爆者への差別的取扱いを容認し、日本の被爆者第一という立場に立った。「在韓被爆者については遅きに失した感はあるものの、一定の施策(四○億円)などが講じられているから十分」というのだ。原告らは、その四○億円さえもが日本の被爆者に比べて著しく不平等であると主張したにもかかわらず、判決はそれを「一定の施策」があるから我慢しろと言ったのである。
原告たちは「日本と日本人は変わっていなかった」と怒った。第一審段階で六名もの原告がなくなったため、残された四○名が「命ある限り正義を貫きたい」とただちに控訴した。現在、控訴審の第一回を待っている状況である。
(3) 郭貴勲さんの「被爆者援護法裁判」(一九九八年十月一日)
一九四四年に広島の西部第二部隊に徴兵され被爆したソウルの郭貴勲さんは、一九九八年五月に来日して大阪府の病院に入院し、被爆後障害の治療を受けていた。そのさい大阪府から「被爆者援護法」に基づいて、「被爆者健康手帳」(以下、手帳)を交付され、「健康管理手当」(月額約三万四千円)」の支給が認められた。ところが七月に帰国すると、大阪府はその支給を一方的に打ち切った。郭さんは、一九九八年十月一日に、国と大阪府を相手に、この処分取消と二百万円の損害賠償を求める裁判を提訴した。
郭さんの訴えは、いったん日本に来て「被爆者援護法」の適用を受けた被爆者には韓国帰国後も引き続き「被爆者援護法」の適用を行うべきだというものである。
被爆者援護法には、被爆者が日本を出ると、手帳を失権させ、手当を打ち切るという規定は一切存在しない。なぜならこの法律は、原爆被害という特殊な戦争被害に対して、その被害を被った人の国籍、住所に関わりなく国が責任を取るという国家補償法的な性格をもっているからだ。そのことは、一九七八年の孫振斗さんの最高裁判決において確定したことでもあった。ところが国は、一九七四年に厚生省の公衆衛生局長が出した一通の通達に基づいて、被爆者援護法の海外での適用を拒否している。
この裁判で郭さんは、まずこの通達が、被爆者援護法そのものと、憲法や国際人権規約が定めた内外人平等の原則に明らかに違反していると主張している。これにたいして被告らは「被爆者援護法は社会補償法なので外国にいる被爆者に適用されない」と主張しているが、これは孫振斗最高裁判決を黙視した主張である。
厚生省の違法な取扱いのおかげで、在韓被爆者のみならず、アメリカやブラジルに在住する被爆者や、海外で暮らす日本人被爆者は、被爆者援護法から除外されている。この裁判は、これまで日本の平和運動のかげに追いやられてきた、在外被爆者の基本的権利を国に認めさせ、被爆者の国際連帯に道を切り開く闘いである。
(4) 李康寧さんの「被爆者援護法裁判」(一九九九年五月三一日に長崎地裁に提訴)
三菱長崎兵器製作所に徴用中に被爆した釜山在住の李康寧さんは、一九九四年七月から三ヶ月間、長崎の病院に入院して原爆後障害の治療を受け、健康管理手当を受給していた。しかし、帰国するとその手当が打ち切られたので、長崎市に処分取消を求めたが却下され、長崎県に審査請求をし、一九九七年十月には厚生省に再審査請求を行ったが、厚生省は一年半もかかって本年四月に却下した。
李康寧さんは、国と長崎市に処分取消と二百万円の損害賠償、ならびに、迅速に行われるべき不服審査をたなざらしにした国に百万円の損害賠償を求める裁判を一九九五年五月三一日に提訴した。
大阪の郭さんの裁判と連携して、厚生省の差別的で恣意的な在外被爆者、とりわけ在韓被爆者への取扱いをただしていく予定である。