在韓被爆者問題市民会議第十一回総会
〜一九九九・七・六・豊島区民センター〜



一、一年間の活動

笹本 征男

 昨年の総会(一九九八年六月二十七日)の後、東友会(東京都原爆被害者団体協議会)が、結成四〇周年記念事業の一つとして行った在韓被爆者との交流を含む韓国への旅(六月十日から十六日まで)に、東友会の会員であり、在韓被爆者問題市民会議の会員でもある三宅信雄さん、石飛力さん、銀林美恵子さんと市民会議会員の及川佐さんが参加し、在韓被爆者との交流を深めました。
 一九九八年七月三十日、広島地裁で行われた「三菱広島・元徴用工被爆者裁判」の第十一回口頭弁論に、市民会議会員の中島竜美さんが証人として証言しました。しかし、裁判は一九九九年三月二十五日、原告側が敗訴し、原告側は広島高裁に控訴し、現在裁判が継続されています。
 九八年十月一日、在韓被爆者の郭貴勲さんが、日本から韓国に帰国したことを理由に原爆被爆者健康管理手当を打ち切ったことは不当であるとして、国、大阪府、府知事を相手に大阪地裁に提訴しました。第一回口頭弁論(十一月十八日)を中島竜美さんと石飛力さんが傍聴しました。
 九八年十一月十三日、日本被団協による中央行動に、海外の被爆者三団体(韓国原爆被害者協会・米国原爆被爆者協会・在ブラジル原爆被爆者協会)の代表各二名(総計六名)が参加し、厚生省交渉他を行い、その後「在外被爆者パネルデスカッション」(日本被団協主催)が開かれました。その後、在韓被爆者問題市民会議の会員と海外被爆者団体の代表とが、ささやかな交流会を持ちました。
 九九年になって、一月には韓国の原爆被害者を救援する大阪市民の会代表の松井義子さん、五月には韓国原爆被害者協会の元会長の辛泳洙さんが永眠されました。心から哀悼の意を捧げたいと思います。

二、今後の運動方針についての提案

中島 竜美

 現在、在韓被爆者が提訴して進行中の裁判は大きく二つにわけることが出来る。一つは、在韓被爆者問題の典型ともいうべき、日本に強制連行された上に広島・長崎で被爆を受けた、いわゆる“元徴用工裁判”である。
 これには九二年七月、金順吉さんを原告に日本政府を長崎・三菱重工を相手どって、未払い賃金と慰謝料を要求して訴訟を起こしたのを皮切りに、広島でも朴昌煥さんら六人が同じく国と広島・三菱重工に対し同様の訴訟を九五年十二月に提訴した。その後、長崎の裁判は地裁で敗訴、原告の金順吉さんも亡くなられたが、御子息が代わって現在、福岡高裁で控訴審をたたかっている。広島での裁判はその後四〇名の元徴用工が加わって争ってきたが、九九年三月敗訴、ただちに広島高裁に控訴して争っている。この間、四六名中五名が志しなかばで亡くなられている。以上、二つの裁判のほか、第二のh被爆者手帳裁判iともいうべき新法・被爆者援護法の適用をめぐって、九八年十月、原告郭貴勲さんが大阪地裁へ、同様の主旨で、九九年五月、李康寧さんが長崎地裁に提訴を行った。
 前者のh元徴用工裁判iが、他の強制連行の被害者同様「戦後補償」を問うものであるのに対して、後者のh被爆者手帳裁判iは、かっての孫裁判の後を受け継いで、被爆者手帳が日本国内で適用されても、一歩国外に出れば医療手当は打切られ、被爆者であることさえ認められなくなることの不当性を問題にしているのである。
 この裁判は在米・在ブラジルの被爆者も同じ対象者として注目しているように、在外被爆者全体にかかわる問題でもある。
 近年、日本被団協を中心にようやく在外被爆者の連帯行動が行われるようになったが、市民会議では今年秋に来日予定の在米・在ブラジル両団体代表に在韓被爆者代表を加えて、在外被爆者問題の共通課題を検討する場を、市民運動としても持ちたいと考えている。そのためには先づ関係者を呼んでの学習会等を積み重ねる必要があるだろう。
 原爆被害の外延性が国の内と外とに拡がる中で、戦争責任問題を含めたh国家補償iのあり方そのものが問われているのである。 在韓と在米、在ブラジルとではそれぞれ運動してきた立場性も、その歴史的背景も異なっている。そのことを充分考慮した上で、市民運動として何ができるかを探っていきたいと思っているので、御協力を切に期待したい。