■例会報告■


 一九九八年十一月二十七日、在韓被爆者問題市民会議例会が、東京都芸術劇場五階小会議室1で開かれました。

一、郭貴勲裁判について

 韓国被爆者の郭貴勲(カク・キフン)さんが、韓国に帰国したことを理由に健康管理手当を打ち切ったことは不当であるとして、一九九八年十月一日、大阪府知事を相手に大阪地裁に行政訴訟を提訴しました。 「郭貴勲裁判」の第一回口頭弁論は十一月十八日に行われました。市民会議では石飛力さん(東友会)と中島竜美さんが口頭弁論を傍聴しました。石飛さんご自身が現在大気汚染の公害裁判の原告になって裁判を継続している関係で、公害裁判と郭貴勲裁判との比較をしながらの報告でした。
 口頭弁論において、原告の郭貴勲さんが「陳述書」を読み上げましたが、石飛さんはその内容が格調高く、素晴らしいものであったという感想を述べました。(なお、この号の別の頁に「陳述書」を掲載しました。)その後、裁判官が詳しい答弁書の提出を求め、次回の口頭弁論を一九九九年一月十三日に決めて公判は終わったのですが、石飛さんによれば「あっけなく裁判は終わった」ということです。傍聴には三十名近い人々が来ていたようです。
 石飛さんと中島さんは公判の後開かれた報告集会に参加しました。石飛さんは、今後、郭貴勲裁判について日本被団協や東友会がどうするのか、まだ決まっていないという報告をしました。この例会では、石飛さんは私見としながら、日本被団協が今後、郭貴勲裁判や広島三菱・元徴用工被爆者裁判、金順吉裁判など、韓国の被爆者の裁判に対する支援をすることが、国家補償を求める道につながっていくのではないかと述べました。
 ついで、中島竜美さんが報告しました。中島さんによれば、郭貴勲さんの裁判は孫さんの裁判に近く、現行法の適用問題です。それに健康管理手当が韓国に帰ると打ち切られるという具体的な問題です。孫裁判は入り口で闘い、郭裁判は出口での闘いということで二つの裁判は表裏一体の関係にあるのです。日本の被爆者の問題と在外被爆者の問題につながっているのです。そのような意味で現行法の被爆者援護法を見直す機運になればいいと中島さんは述べました。 広島でブラジルの被爆者の森田隆さんが健康管理手当打ち切りの問題で裁判を起こしたいという声明を発表しました。今後、どのようになるのか、現在の段階では分かりません。裁判ということになれば、支援を含め市民会議でも色々と検討することが必要となると中島さんは述べました。
     *  *  *
 会場から、現在、一橋大学の浜谷ゼミで原爆被爆者の生活史の勉強をしている小堀信吾さんが、韓国の被爆者の手記のなかに、日本人被爆者の福田須磨子さんが残したような被爆の時とその後の戦後の生活を詳しく記録したようなものはないかという質問がありました。福田須磨子さんは長崎市で被爆した被爆者です。
 この質問に対して、中島さんから、朴秀馥・郭貴勲・辛泳洙編著『被爆韓国人』(朝日新聞社、一九七五年、現在絶版)があるという返答がありました。さらに、山口明子さんから、石川逸子さんが出している『ヒロシマ・ナガサキ』に掲載されている韓国被爆者の聞き書があることが紹介されました。
 早稲田大学に留学している韓国人学生の李英姫さんは、釜山に住んでいて韓国人の原爆被爆者のことをそれとなく聞いて知っていたが、それ以上踏み込んで考えてこなかったことがくやまれると述べました。一九七〇年代、李さんが小学生の時代には、韓国でも八月になると韓国原爆被爆者のドキュメンタリーがテレビで放映されましたが、一九八〇年代に入るとそれもなくなりました。だから、現在の韓国の若い人たちは韓国原爆被爆者のことをよく知らないのではないかという感想が語られました。

二、VTR「金順吉さんの闘いの軌跡」(長崎・三菱徴用工裁判元原告の記録)の上映

 「金順吉さんの闘いの軌跡」は長崎放送が制作した三十分あまり番組です。上映の前に、笹本が簡単に金順吉裁判の概要を述べました。なお、会報の二十二号の「長崎三菱裁判(金順吉裁判)判決をめぐって」(笹本)を参照ください。

(文責・笹本征男)