「郭貴勲裁判」始まる!  

         中島竜美


 昨年(一九九八年)十〇月一日、帰国を理由に健康管理手当を打切ったことは不当であるとして、韓国被爆者郭貴勲(カク・キフン)さんが大阪地裁に提訴しました。これはかっての孫裁判に次ぐ“第二の手帳裁判”です。それというのも、在外被爆者の権利性を初めて認めた最高裁判決(一九七八年三月三〇日)を勝ち取った孫裁判が“第一ラウンド”の戦いであったとすれば、帰国と同時に被爆者の証しである被爆者健康手帳を失効とし、手当を打切った大阪府と日本政府に対して起した郭裁判は、あらためて在外被爆者の権利性を問う“第二ラウンド”になる裁判です。
 裁判の取組みには、すでに数年前から広島と長崎で検討を重ねており、そのトップバッターとして今度郭さんが名乗りを上げました。この提訴には在韓被爆者ばかりでなく、数多くの在外被爆者の熱い期待が含められています。
 ところで厚生省が“手帳の失効”即“手当打切り”の根拠としているのは、二十五年前に出した当時の厚生省公衆衛生局局長通達(衛発四〇二号)でした。
 この通達が出されたのが、孫裁判の第一審勝訴の直後、東京でケロイド治療中だった元韓国原爆被害者協会会長・辛泳洙(シン・ヨンス)さんが、孫裁判の勝利を期待して東京都に手帳申請を行った一九七四年七月二十二日であったことは、決して偶然のことではありません。
 当時の美濃部知事はその三日後に、独自の判断で日韓条約締結後第一号として辛さんに手帳を交付していることを考え合わせると、厚生省通達の狙いがどのにあったかは明らです。
 今後郭裁判では旧原爆二法時代の“通達”が生きているという「被爆者援護法」そのものが問われるでしょう。そこで今後争点となると思われる事柄を引き続き覚書”として連載していきたいと考えております。

<「郭裁判」覚え書> No.1

 今後、「郭裁判」を注目していく上で、当裁判の位置づけや、もたらすであろう影響を考える上での参考意見として記してみました。

 衛発四〇二号(一九七四年七月二十二日  付公衆衛生局局長通達)について

a.直接の狙い−旧原爆二法の一部改正にともなって在外被爆者にもふれているのが特徴。これは言うまでもなく、当日手帳申請をした辛泳洙さんのケースに対応したものと考えられる。
*「手帳」は都知事の権限で交付可能。国側は交付を予測。
 b.在韓被爆者対策としての通達の意味  
 (一)日韓条約締結以降、数々の申請があったにもかかわらず、渡航目的(ビザ)、在留期間(居住条件を含む)等を理由に一切「手帳」交付を行っていない。 

*この点は酷側からいくつかのその理由と他の在外被爆者との違いを引き出す必要がある。
 (二)日韓条約締結後第一号の手帳被交付者になる辛泳洙さんに対しては、「原爆症認定」もとり得る被爆者であることを国側はすでに知っていた。それだけに特別措置法(特措法)対策も同時に考えていたと思われる。
 (三)そもそも特措法の成立は「原爆症認定」患者に医療手当(当初一万円)をつけるところから始まり、後に「手当」の種類も増していくが、最優先されているのは「原爆症認定」患者であることは今も変わりない(障害が明らかに原爆に起因すると国が認める)。
  *ケロイドの例でいえば−治療期間 中は「医療特別手当」が、治療終了後は 「特別手当」が支給される。
 (四)在韓を含む在外被爆者対策を先取りして「通達」を出したのは、医療法は適用しても特措法(手当)は支給しないという基本線を打ち出したのではないか。
  *辛さんの手帳交付に続いて、制限を次第にゆるめながら手帳を出したが、「手当」第一号となった鄭七仙さん(広島で)は一九七七年五月二十七日。この場合所得制限があったため、ソウル税務署から“非課税説明書”の取り寄せまで行っている。
 c.「通達」の矛盾と問題点について
 (一)「通達」が手当支給者の国内移 動について便宜を図っていながら、「国外へ出ると失権する」としたため、日本人被爆者にもその後適用することになった。
 *在米の娘さん宅に長期滞在して打ち切られて例。
(二)国側が孫裁判第一審敗訴の後も、争点の一つだった「居住条件」へのこだわりがここで明らかになった。
 *これには新法・援護法にあっても構造的に医療法(要治療者対策)をベースに、それにリンクさせる形で特措法を上乗せし(二法の一本化)、身分関係論と均衡論(他の一般戦災者との)をクリアにしているとしている。ここには最高裁判決が認めた国家補償としても「外国人の権利性」もなく、被爆者総体に対する援護も「放射線被害」にわい少化している。
  さらに言えば、もしも辛泳洙さんが提訴したとしたら、国外に出たからといって原爆症の「認定証」を無効に出来るだろうか(後に辛さんは「認定」をとった。他の在韓被爆者としては厳粉蓮さん等がいる。)
(三)最高裁判決を基本懇意見書でくつがえそうとした国側の意図がすでにこの「通達」にも表れている。
 *在韓被爆者対策に始まった国側の対応が、他の在外被爆者に飛び火し、さらには国内被爆者も巻き込んで戦後補償に対する“国の枠組み”を揺るがしかねない問題にまで波及する可能性をはらんでいるとみるべきであろう。
 今回は「通達」中心にまとめてみました。今後も“通達行政”の狙いと在韓被爆者補償とのからみを多面的に追っていきたいと思っています。

<「郭裁判」覚え書> No.2

被爆者援護法体系の構造的特徴と問題点

(1)「原爆医療法」(以下、医療法)成立(一九五七年)までの経緯

 民間人の戦争被害者対策として作られた「戦時災害保護法」(一九四二年)が、敗戦直後打切られ、それ以降空襲被害・原爆被害等すべての民間人に対する援護等は行われなかった。そうした中で唯一日本人被爆者に対し継続調査(占領下はABCCと共同)を実施してきたのは、国が核時代の放射線影響(遺伝調査他)を特に重視してきたからである。
 しかし、その成果が原爆禍に苦しむ生存者に還元されることはなかった。民間医師が切望する“原爆症治療指針”(国立予防衛生研究所・原爆障碍症調査研究協議会)が公表されたのは、戦傷期をへて晩発性原爆症発生期に入った一九五四年八月であった(戦後九年目)。
 折しもその年の三月一日、ビキニ被災事件が発生。放射能による人体及び環境汚染が新たな問題として浮上するに及び、前記協議会はただちに改組して水爆被害(フォールアウト他)を加えた放射線障害調査研究機関へ移行、国は被災した第五福竜丸乗組員への補償問題をはじめ、水爆実験による被害について米国との交渉を開始した。一方、前年の一九五三年から被爆地広島で医師会有志が中心に活動していた原爆障害者治療対策協議会(原対協││民間基金による治療活動機関)は、こうした国の動きをみて被爆者治療への国庫負担の要求を強めていくようになる。
 原対協のメンバーでもあった山下義信(社会党・参議院)は、これまで国会議員として国との交渉役をつとめていたが、機が熟したとして「原爆障害者援護法要綱」を私案として発表した(一九五六年春)。 この私案には対象者として広島・長崎の被害者だけではなく。ビキニ被災者、将来に於ける原子力産業での被災者も含まれ、要求項目は“医療保障”と“生活保障”を柱としていた。
 その後、山下私案は社会党案として整備される段階(一九五六年八月)で、対象が広島・長崎の被害者にしぼられ、新たに“原爆症研究所設立”の項目が加えられた。こうした動きと前後して発足したばかりの広島被団協をはじめ社会福祉協議会等からもさまざまな「要綱」や「骨子」が発表されたが、表現に違いはあるが、いずれも原対協がこれまで行ってきた原爆障害者(重症患者−ケロイド等外科中心)の援護等を国に要求するもので、狙いとしては、旧軍人・軍属援護に準ずる施策を求めていたところから「援護法」と銘打っているもので、内容は社会保障に枠をでるものではなかった。
 山下私案を基にした社会党案は、その他地元広島の諸団体の意向を加え、数次の改定を重ねながら国会へ議員立法として提出すべく自民党との折衝を行う。一方、原水禁運動の高揚を背景に広島では、自社国会議員のかけ引きがみられ、両被爆地の市・県自治体決議もからんで、一九五六年十二月には自社共同提案が通過、一挙に「政府案」として浮上することになった。
 国は窓口として厚生省公衆衛生局に“企画課”を新設、ただちに法案づくりに入った。

(2)「原爆医療法」(原爆被爆者の医療等に関する法律−一九五七年三月成立)の特徴と構造上の問題点について

 先づ、「医療法」が山下案(改正も含む)から後退した点は、「国の責任」が銘記されておらず、内容的には「生活保障」と「原爆症研究所設立」がけずられていること。
 法律の対象者をみると「医療法」では、重症の被爆者に限定せず、新たに1号から4号(直爆・間接被爆・胎内被爆)までの規定を定め、自己申告制によって認定された者を広く「被爆者」と定めた。しかし、それにはさまざまな問題があり、後であらためて記す。
 援護の内容を「医療」に限定した上で被爆者を“要治療者”として扱う一方、医療給付にあたっては、被爆者健康手帳と健康保険の併用とした。
 次に法律の構造上の問題点を主に以下記すことにする。


 
 被爆者に対するランクづけについて

 医療法が法の対象者を重症者に限定していないことはすでに述べたが、逆に言えば国の枠組みに入る対象者のみを「被爆者」と認め、それ以外は除外されたことになった。
 この問題は在外被爆者にとっては重大な関心事である。
 また、医療法は第一関門として被爆者認定を行う際、被爆者健康手帳(以下、手帳)の種別として「一般手帳」と「特別手帳」(爆心から二km以内の直接被爆、又はそれに相当する被爆線量を受けた者)とし、放射線被害重視の姿勢を打出していたが、これをみても被爆者医療が“放射線による被爆線量”中心の後障害対策であることが分かる。
 言うまでもなく、原爆被害は熱線・爆風・放射能による総合的被害であり、こころ・からだ・くらしを破壊してきた。
 そうであるならば、そのうちの「からだ」についても、精神障害を含めトータルに対応すべきであるが、まだ解明されていない疾病は除かれ、“要治療者”としては扱えない回復不可能な、例えば「原爆小頭症」に対しても、当初、“原爆症”とは認めないような矛盾を含む制度として発足した*。 法律の狙いが具体的に表れているのが、医療費全額負担の対象者を選ぶ「原爆症認定」制度である(後に改正)。
 手帳交付時の「一般」「特別」の区分にはじまり、国が明らかに原爆に起因すると認める「原爆症」についても、自己申告、自己証明をもとめているところに医療対策の大きな欠陥があった。
*その後の数次の改正により「一般」と「特別」の枠がはずれ、手帳における差はなくなったが、最もハードルの高い原爆症の認定には基本的に2km以内の直爆が条件とされ、基準も厳しく現在に至るまで「原爆症認定被爆者」の数はのべ1万人を越えていない。
*原爆小頭症については、戦後二〇年以上たって認定論議が起こり、後に「特 別措置法」制定の引金となった。

(3)「原爆二法」(医療法・特別措置法)の特徴と問題点

 医療法制定から十一年たって「特別措置法」(原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律)がつくられる。
 これは医療法が内包するさまざまな欠陥が明らかになり、被爆者運動が国家補償による原爆被爆者援護法制定要求を強める中で、ようやく成立したが、国としてはこれをもって打切る態度をみせていた。
 先づ、“原爆症認定患者に一万円の手当支給”をうたい文句に登場した「特別措置法」(以下、特措法)は、その後被爆者格差を一層広げることになり被爆者の不満をかった。また、「医療法」に「特措法」を上乗せすることは、例えてみれば欠陥住宅の平屋に“医療援助”という通し柱を立てて二階建の違法住宅を建てたようなものである。もともと戦争被害対策としての基本姿勢がなく、障害別に線引きを行う「医療法」では病気と貧困の悪循環を絶つことができず、その上に更に格差を拡大させる“医療手当”を上乗せする特別措置は、当初から被爆者が切望していた国の援護とはほど遠いものであった。
 その内容をみると、原爆症(認定された)を頂点に国が定める特定の疾病と一般疾病とに分け、あくまでも“要治療者”への“医療手当”として各ランク付を行うものである。
 その後、数々の改正の経過をへて「旧特別被爆者」(二km以内の直爆)には、治療の有無にかかわらず一律「保健手当」を支給するに及んで、“医療手当”の矛盾は動かしがたいものになった。これはすでに述べてきたように、国の狙いがあくまでも放射線障害対策にあることをはしなくもバクロしたものである。

(4)占領下の沖縄在住被爆者からみた国の被爆者対策の矛盾について

 これまで国内対策としての原爆二法について、その問題点を検討してきたが、これを沖縄からみるとその内実が一層明らかになる。戦時中徴用その他で原爆の被害を受け、敗戦後帰沖した被爆者が分かっているだけでも三〇〇人以上いる。彼らは地上戦によって古里が潰滅した上に、米国の軍事占領の続く沖縄で苦難の戦後を生きてきた。 そうした中、無権利状態に置かれる一方、調査対象者としてリストアップされた被爆者には、ABCCの追跡調査が行われていた。これは被爆地からの「被爆者動態調査」と特定の対象者(例えば遺伝調査他)の「継続調査」のためである。ただし、この種の調査は朝鮮半島には及んでいない。
 本土の被爆者は“暗黒の十年”を強いられてきたが、沖縄在住被爆者はさらにサンフランシスコ条約によって分断され、その後施行された「医療法」も適用されないことから、一九六四年、真喜志つる他五人を原告に東京地方裁判所へ提訴した。

「医療費請求訴訟」の主旨

 米国占領下にある沖縄にも「軍人軍属遺家族援護法」は本土同様施行されているのに、同じ戦争被害者である被爆者に「医療法」が適用されていないには不当であるとした。

 裁判の争点

 原告側は「医療法」制定から現在までに自費で支払った医療費を国が支払えと主張した。この時点では本土でもまだ全額国庫負担を行っていない段階で、彼らの訴えはその意味で施策の先取りをするものであった。
 これに対して国側は門前払いの姿勢で臨み、“属人法”である「軍人軍属遺家族援護法」に対して「医療法」は“属地法”であるから憲法の及ばない沖縄には適用できないと主張した。

 「医療法」の性格について

 さらに重要なのは、「医療法」の性格について国はこの裁判で初めて「地域社会の福祉向上のため」にあると主張した。このことは後の孫裁判においても繰返し述べており争点の一つとなったことを特に記しておきたい。

 裁判の経過

 後に琉球民政府の府令という形で「医療法」に準じた特別措置が行われ、裁判は取下げられた。これによって指定医療機関がない沖縄からは<送り出し>という形の“渡日治療”が始まるが、現在でも重症患者にはま国が渡航費を負担する<送り出し>が制度として残されている。
 *在韓被爆者の<渡日治療>との違いに 注目。
 なお、要求した医療費については和解により一人一律二〇万円支払われ、後になって総ての病気を医療無料にした国の施策を先取りする端緒となった。

 「覚え書」No.3は基本懇意見書と新法・被爆者援護法との関係を中心に検討します。