在外被爆者問題
パネルディスカッション(日本被団協主催)

〜11月13日参議院議員会館第1会議室〜


▲ 壇上は韓国原爆被害者協会の崔会長 写真提供 鈴木賢士氏

司会は被団協の小西氏。


▽ 韓国被爆者協会会長崔日出氏

 戦後、日本の一番遺憾なことはアジアへの残虐行為に謝罪と補償をしなかったこと。金大統領来日に際し、金大統領・小渕首相双方へ国籍条項がない援護法を韓国被爆者にも適用させるよう政治的決断を望む要望書を提出したが、触れられず深く失望した。
韓国被爆者は三重苦に喘ぐ存在。    
日本の植民地支配による苛酷な政策により故郷にいられなくなって生きるために渡日、創氏改名により名を奪われ、また強制連行され被爆した。
 帰国後は、韓国民には原爆投下は解放をもたらしたとの認識が強く、関心なく放置された。日本も原爆医療法を制定しても自分たちは放置されたままであった。
 65年度の日韓条約では、不正義を公式に認定していない。被害に対しては公式な論議はなく、有償無償5億ドルは経済協力である。
 日本の首脳はこれまでに「陳謝」「お詫び」などという言葉を使っているが、韓国では謝る真の言葉として「謝罪」という。日本でも「謝罪」という言葉があるのに何故その言葉を使わないのか私たちはよくわからない。
 韓国と日本は古代同じ文化をもち、ひんぱんな往来をして近くて近い国であったが、秀吉の侵略・36年間の暗い過去が治癒されていない韓国人にとっては、日本は近くて遠い国となっているというのが率直な感想です。
 日本政府も大部分の日本人も真実を伝える勇気がなかったのではないか。真実を伝える勇気がなければお互いに理解しあえないと思う。
植民地をもっていたG7の5ヶ国は当時の植民地兵士に対して、現在の国籍がどこであろうと自国民兵士と同じく補償と援護をしている。日本だけなぜ補償しないのか。
 そのようなことがきちんとなされねば国連の常任理事国になるのは難しいと思う。
 われわれ在韓被爆者の要求は3点です。
1 23億ドルの補償(日本人被爆者が受け てきたもの)
2 40億円のガイドラインの撤廃
(センターの建立、医療目的に限られているので)生活支援を禁じているのは非人道的。用途を全面的に任せてほしい。
3 在外被爆者にも被爆者援護法の適用を願う。日本政府は1974年度の厚生省通達を改め、差別なく適用することを要望
する。

▽米国原爆被爆者協会会長友澤光男氏
 「私たちはアメリカ政府に日本と同じような援護法をつくるよう頼んできたのだが、受け入れないので諦めてしまった。そのときアメリカ政府は私たちの病気を原爆に起因するものではない、と否定した。一方、アメリカの保険会社は、お前たちの病気は原爆のために起こった病気だからと医療保険や生命保険も取り消してしまった。 
 それで被爆者協会に入会しない。
 アメリカでは65歳以上になると国家保険みたいなので医療費の55%は払ってもらえる。あとは自費になる。病院の部屋代が一日十万円ほど。一月入院して手術すれば自費分が1000万円になるのも珍しくない。そのことが心配でかえって病気になる場合もある。
 州政府によっては貧乏だと州政府が代わってくれる制度がある。しかし、ある被爆者が
(私の知っている)貧乏人として入院したが、三日間、看護婦も来てくれなかったそうだ。
「被爆者のため保険に入れなかったせいで、とても悲しかった」と話してくれた。
 故国日本を離れ、被爆者としての精神的苦痛からかえって死を早めることがある。
 カリフォルニアの被爆者が州政府に行って「被爆者のための医療制度を設けてもらえないか」と話したとき、ある議員が「お前たちは原爆が落ちたときは敵だったのだから援護する必要はない」と人種差別的発言をした。
 倉本名誉会長は「同じアメリカ国民なのにそういうことを言われて涙が出た」と言っておられた。
 倉本名誉会長は二十年近く日本に通って来られて「せめて健康管理手当だけでも該当するものに支給してほしい」と要求されている。
 私も会長になって四年間日本へ来たが、毎年厚生省へ行っても同じ返事。もう駄目かと思っているとき、日本被団協の皆様、市民会議の皆様が支援して下さると聞き、また希望が沸いてきた。
 韓国原爆被害者協会会長の崔さん、ブラジル原爆被害者協会会長理事長の森田さんと一緒にがんばりますので皆さんもご支援をよろしくお願いしたい。

▽在ブラジル被爆者の会会長森田隆氏

 南米の被爆者は約二百人。現在も日本籍をもった日本人の移民である。日本政府の許可した旅券で入国している。
 戦後の混乱期、外務省の奨励によって「行け行け海外へ」との宣伝文句に釣られて出稼ぎへ行った。現在、その二世三世がブラジル人として日本へ来ている。どうか暖かい目で理解してほしい。
 私どもの会は、1984年7月15日、二十七名集まって創立した。私は原爆のとき二十一歳、一・三キロの地点で被爆、翌年結婚し、二児を生み、十年のつもりで出稼ぎにブラジルへ行った。そして移民の悲哀のなかで食べていくことのみに専念、ようやく子どもたちが成人、実社会へ出て行くようになって始めて被爆者の身に立ち返った。
 日本でもあることながらまして外国では被爆者ということで差別がある。狭い日系社会のなかでも「被爆者の子」ということになると、結婚に大きな障害となるので、隠していたのも事実。そのため廣島県のほうから実態調査にきたこともあったが、それにも参加できなかったのが実情である。
 しかしそのとき「海外移住家族会」というのがあり、そこの理事がアマゾンへ行って被爆者がいたのに驚き、私と同県人のサンパウロの田村理事に「知っているか」と話し、田村理事は私が被爆者であることを知っていたので「被爆者のために会を創ったらどうか」と言われたのが創立の契機である。
 まずサンパウロの領事館へ家内と行った。
 「被爆者のためのなにか特典はないでしょうか」「被爆者という証拠はありますか。書類でも持っているか」と言われた。ブラジルへ行くときは「被爆者だが大丈夫でしょうか」と言っても「そんなことは関係ないから早く行きなさい。国は奨励している」と言われ、出かけた。これではどうしようもないから会を創ろうと呼びかけ、八十七名が申し出られ、一人ずつ面接して書類を作り、その名簿を持って二十九年目に来日した。
 外務省、厚生省、広島県、長崎県に陳情した。それが契機で翌年安倍外相が医師団派遣の約束をしてくれた。今月三日、第八回目の医師団が任務を終えて帰られた。
 在外被爆者も同じように原爆の苦しみを受けたのだから、冷たい仕打ちのないよう同じにしてほしい。

▽日本被団協事務局長藤平典氏

 日本被団協は一九八四年の基本要求に文章としては取り上げられている。「原爆被爆者援護法の制定は海外被爆者・外国人被爆者・さらに核実験被害者などに対して補償の根幹をなすものです。また一般市民の戦傷被害者への補償の道が開かれるものだと思います」
 そして在外被爆者たちとの交流をするようになってきた。しかし日本へ来られるにも観光ビザでなければ来られないとか各国の色々な事情があって、なかなか表面だった交流が出来なかった。一九九〇年に韓国政府の保健社会部が正式に実態調査で日本被団協を訪問、道が開けるようになり、辛会長らが来られ、交流が始まった。また一九九〇年にはブラジルの森田会長夫妻が来られ、アメリカの倉本名誉会長も来日された折には必ず被団協を訪問されている。
この流れを見てみると世界的な核兵器廃絶の世論が大きく高まっていくなかで、交流がなされるようになったと思われる。
 私たちは被団協の緊急要求のなかに「在外被爆者にも援護法を適用してほしい」を入れている。これは在外被爆者ばかりでなく、会社の社命で海外に出張しても手帳は使えないのですから。
 諸手当の受給者には離日後も支給をおこなうこと、手帳・健康管理手当などを在住している国で申請できるようにする、この二つを具体的に要求してきた。
 一九九七年、四者共同で「在外被爆者に関する要求書」を提出した。しかし、それに対して常に厚生省が言うことは、昭和四九年の厚生省公衆衛生局長通達「日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者は同法の適用がないものとして失権の取り扱いをするものと解される」、この通達をいう。
しかし、現在の援護法では国籍条項も居住条項も規定されていないのでおかしいではないか、交渉をおこなう度に指摘するけれども「慣例的に続けているから」としか答えない。
 今朝、四者共同で宮下厚生大臣へ要請を行った。離日しても継続してほしい、外国で申請できるようにしてほしい。
 「居住地は日本が原則」というので「通達が法律より優先するのか」と尋ねると、明確な答はなく、各代表からそれぞれ実情を訴えたが「今すぐには変えられない」という答しかなかった。政治を動かさないと官僚はすぐには動かない、という感じを受けた。
 日本を離れたら被爆者でなくなるというのはどう考えてもおかしい。大きな世論にしていく必要があると思う。

▽ 椎名麻紗枝弁護士

 行政は法律に従って運用しなければいけないわけだから、日本政府・厚生省の見解は非常なごまかし。
 法の適用と裁判権は全く別問題なのだが、政府は混同して「法の適用は国外には適用されない」といっているが、そういう一般原則は存在しない。そこをまず押さえておく必要がある。国外にいる人に対してどう法を執行するかはまた別の問題。国外に居住している人の財産を差し押さえるという場合、裁判権は及ばない。ブラジルに行って財産を差し押さえる、ということはできない。刑事事件の場合も追いかけていって逮捕することはできない。条約に従って引き渡してもらい、日本国内で裁くということになる。法の執行と適用は全く別なのだ。
政府はそれを全く同一にすりかえている。
 法を守らなかった人をどのように守らせるかが法の執行。
 援護法を適用させるということは不利益な行為ではなく、当人の利益になることだから全く問題ない。軍人恩給は海外にいる人にもちゃんと送っている。
 「国内にいる人しか適用されない」と言っているのは、法的にあてはまらない。
 国籍条項も居住地条項も援護法はないのだから、まさに違法の行政といえる。通達は法律ではないのだから、一片の通達でこのように法律を曲げて解釈するということは、一目瞭然の間違いである。    
 一九八八年の孫振斗裁判・最高裁判決は「わが国の戦争被害に対する他の補償立法は、補償対象者を日本国籍を有する者に限定し、日本国籍の喪失をもって権利消滅事由と定めているのが通例であるが、原爆医療法があえてこの種の規定を設けず、外国人に対しても同法を適用することとしているのは、被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆえに、その救済について内外人を区別すべきではないとしたものにほかならず、同法が国家補償の趣旨を併せもつものと解することと矛盾するものではない。」と、はっきり言っている。
 これから国会等でも政府にきちんと説明させて、行政を改めさせていくことが必要ではないかと思っている。政府見解は全く論 拠がないものなので国会議員の先生たちに是非これを指摘し、行政を改めさせていただきたい。

▽ 韓国原爆被害者協会元会長郭貴勲氏(援護法問題裁判原告)

 韓国に帰ったら手帳も健康管理手当も絵に描いた餅。やっと今年、大阪の病院へ入院して、五ヵ年健康管理手当を支給するとの通知をもらって、二ヶ月分もらってから「家に帰るので家の方へ送ってほしい」と要望書を出して帰った。「もし送ってくれなかったら文書で回答してほしい」との要望書も出しておいた。厚生省から「通達により送れない」との返事が来た。あまりにおかしい。韓国にいれば無効で日本に来れば有効。朝、韓国を出発するとき無効なものが日本に来れば有効になるし、一日のうち無効、有効、無効の手帳なら絵に描いた餅よりひどい。そんな思いがしてよく相談して、十月一日に大阪地裁に大阪府・国を相手に提訴した。
 日本の判事が日本の法律で裁判するからどいう判決を下すか、予想は出来ない。
根本的には、日本が法治国家か法治国家でないか、正したい。日本が民主主義国とか資本主義国とかいろいろ言うけれど、はたして法律で治めている国か。最高裁の判決より一局長の通達が優先するのか、常識的に考えればわかる筈だが、はたして法で治めていく国であるか。金のためではなく、隣りの国として日本が法治国家であってほしいと希望している。

▽ 米国原爆被害者協会  名誉会長倉本寛司氏

これまでいろいろな大臣と会ってきたが、今回の野中官房長官との会見は反応がとてもよかった。
 「厚生省とも会いましょう」と前向きに言ってくれた。
 今、七十六万人もの日本人が外国にすんでいる。一つの例をあげると、長崎の被爆者が老齢のためデンバーに住む娘のところで暮らすようになった。手当が長崎市から振り込まれていたが、密告があって差し止めになり、三年間分何万ドルか還せ、と言ってきた。なんで今となって還さねばならないのか。柳井外務相事務次官から厚生省に話がいき、今までの分は還さなくてよい、今後は送らない、と収まった。長崎から北海道に転居すればもらえるのに実におかしなことだ。 
 在外被爆者に援護法が適用されないのは真に不都合なことだ。


▽ このあと会場より「国家補償にもとづく援護法を、と主張してきた私たちは援護法が通った今、在外被爆者への適用要求を一番にやるべきではないだろうか。国家補償というならそれこそ在外被爆者抜きではおかしいのだから。核兵器廃絶をともに闘うためにも日本の被爆者の問題としてこの問題を進められていけたらと願う」(銀林美恵子氏)、「法律にないことが実施されているのは不合理。政治は行政の上に立たねばならない。まさにこの被爆者援護法は政治の問題であるので、是非国会が官僚の力を押さえて正しいことを実行していただきたい。また今回の郭さんの提訴を実に心強く思い、支援していきたい。国会の先生方、司法、両面から行政に立ち向っていく、一番強い道であろうと思い、門がやや開かれはじめている気がする」(三宅信雄氏)

▽ 列席の井上美代議員(共産)、斎藤哲  夫議員(公明)、今井清議員よりこの問題を考えたいと挨拶があったあと、厚生省交渉について被団協の山本氏が報告された。
「 宮下厚生大臣は、属地主義でやっている。戦後補償は全部属人主義なので崩せないといい、韓国、在米、ブラジルそれぞれの立場からの訴えにも検討するとさえ言わなかった。 野中官房長官は、村山内閣のとき関わったことがある。厚生省とも相談して検討すべきことは検討していきたいと答弁した」

▽ 大阪から駆けつけた郭裁判を支援する韓国原爆被害者を支援する市民の会の市場淳子氏は「日本の被爆者の方たちがこれだけ集まってこれだけ熱心に話し合われる場に初めて出会い、胸が熱くなった。」ブラジルの森田氏に椎名弁護士がこの問題は裁判で勝てる筈と提言されたことを聞いて、「この問題で裁判できる」と知った。「住んでいる場で援護法を適用してほしい、との思いから郭さんは  訴訟に踏み切った。私たちの会が事務局を担うことになった。是非、熱い支援をお願いしたい」
 郭さんの弁護を担当する金井塚弁護士(七人の弁護士がボランティアで付いた)は、「法律には被爆者は日本に住居を有することとは書いてない。居住地を有しないときはその現在地とする、となっている。最高裁はこれを指摘し、わが国に居住しない被爆者をも対象として予定していると述べている。法律があって最高裁があって何故できないのか。それ以前の通達が生きているのは全くおかしい。
 国は援護法には失権処分はないが出国という事実に基づいて現状操作した、と。大阪府は、法律上失権したものである、と。
是非、勝つ訴訟をしたい。」 
 市民会議の中島竜美氏より「通達が出されたのは、孫裁判の途中、第一審で勝訴したあとだった。美濃部都政の時代で、辛さんが手帳申請したその日に局長通達が出た。
 まだ手帳申請だけで手当支給もしていないのに、負けることを考えて早くも出口をふさいだのだ、と改めて思う。
 広島の三菱徴用工の裁判では、国は福祉国家の理念にもとづき、と主張している。国の被爆者政策は未だに福祉政策のままなのだ。」

(文責・石川逸子)

▲ シンポジウムで発言する韓国原爆被爆者協会元会長郭貴勲氏

▲ 宮下厚生相への要請行動