重い宿題

及川 佐


 さる6月10日より16日まで約1週間韓国各地での被爆者との交流が行われました。

 参加者は被爆者及び非被爆者4人を含め21名。最高齢は82才、最低年齢は私の50才なので平均年齢はかなり高いツアーでした。

 そもそも被爆者でない私が参加した理由は他の方とはちょっと違っていたかもしれません。これまでの3度の訪韓は二泊三日などのハードスケジュールであり、落ちついて在韓被爆者の方々と話せる機会がないばかりかソウルや釜山の都市が中心でしたので地方にはなかなかいけませんでした。今回1週間を使って専用バスで地方もゆっくり訪問できるし、落ちついて被爆者の方とお話できるのではないかと思ったのが一つの理由でした。また4年前最初に訪韓した時は、被団協の正式代表団が初めて訪韓した時でもありました。当時の韓国原爆被害者協会の会長は辛さんで戦後 年たってはじめての被団協の訪韓でしたが、被団協代表団(3名)及び市民会議代表団(3名)市民の会(1名)及び他の市民団体の方を大歓迎してくれました。市民会議のメンバーは今後日韓の被爆者の交流が広がっていくことを願いました。

 その後毎年被団協は8月6日には訪韓団を送るようになりました。

 今回の企画は、最初の被団協の訪韓団に東友会代表として参加した三宅さんが団長として全体をリードする立場にありました。

 また被爆者の地方被爆者団体としての訪韓は、恐らくはじめての事だろうと思います。私はこのツアーで被爆者どうしが 年以上もたって、お互いに向き合ったならどんな反応をしめすのか興味がありました。それが参加したもう一つの理由でした。

 一週間で協会の4支部を訪問し交流会が行われました。最初はお互いに自己紹介などでこわばっているようにみえましたが、時間とともに50年以上の前のお互い生活していた空間に舞い戻っていったように見えました。老人は壮年に壮年は少年に時間を飛び越えたみたいでした。広島・長崎は知識でしかなかった私ですが、その話しを聞くたびに当時のその場所にいるような錯覚に陥りました。

 韓国を訪問する際、考えなければならないのが日本の侵略戦争と戦後の政策と如何に向き合うかということです。被爆者といえどもこのことから逃れることはできません。これが他の被爆者の反核ツアーとも異なり、また一般の観光ツアーとも異なっていました。出発前にはこの点については若干の不安がありましたが、実際には見事に被爆者の方々はこの問題を解決なさっていました。

 今回の訪問の重要な陜川(ハプチョン)の福祉会館訪問は、別な問題をみなさんに投げかけたと思います。それは私たちが今なにができるのかとということです。特に福祉会館に入所なさっている被爆者のかたと十分に話しあえなかっことにもよるのですが、日本人として今後考えなければならないという重い宿題を背負って帰ってきました。

 私自身としてもこのハプチョンの福祉会館をみて、今後老齢化する被爆者の幸せとは何だろうかという漠然とした宿題を持って帰ってきました。