日本の被爆者に残された課題

江戸川在住被爆者

銀林恵美子


 今回の訪韓はいささか気の重い旅でした。前2回は市民会議の方たちとご一緒で、在韓被爆者支援の一環と目的が明瞭でしたが、今回は韓国と東京の被爆者同士の交流が主目的。同じ被爆者でありながら、戦後半世紀放置してきた方たちと、曲りなりにも援護法ができその恩恵を受けているものと立場の違う両者の交流がうまくいくのか心配でした。

 しかし、各支部ともあたたかく迎えて下さり、「広島の親戚が来てくれたよう…」と喜んでいただけたようでほっとし、またこちらも嬉しく幸せな気分でした。 どの会場でも話が盛り上がり「この縁が切れませんように…」と名残がつきません。しかし、植民地時代からのご苦労や被爆の苦しみ、その後放置されてきていることへの日本の権力への恨み、日本政府への怒りも語られました。「あなたたちには何の恨みもない」と言われましたが、その政府を選び、その政府から自分たちだけ援護を受けているものとして恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 いま韓国の被爆者は、月9万五千ウオン(約9千円)が支給されていますが、その財源は日本政府が建物を建てるなどを条件に人道的支援金として出した40億円の利子から始まったものです。陜川に福祉会館が建ち、元金が減ってこの財源も底をついてきています。いつまでこの支給が続けられるか、それが協会の方たちの心配の種です。実際、支給額を半分に減らして少しでも長く続けられるようにしようかという相談も出ているとのこと、本当に心が痛みます。

 各支部との交流の他に陜川の福祉会館を訪ねました。ここは定員80人のところ、私たち訪問の前日に亡くなられた方がいて、79名が入所されていました。98才から56才まで、平均75才です。建物は新しく、モダンで立派、地下にボイラー室、洗濯室、霊安室(?)があり、1階は事務室、治療室、2、3階に食堂、集会室、20の住まい部屋があります。ゆるいスロープがあり各階への移動も車椅子で出来ます。18名の職員がいて、食事その他の世話をされて、安定した生活のようでした。しかし、何だか活気がなく、わびしい雰囲気です。回りに何もない山間の一軒屋で、文化の匂いがないこと、6人部屋、3人部屋と見せていただきましたが、綺麗に整頓されていて、一人一人のスペースが殆どないことが一番気になりました。集会室に皆さん揃って下さっていましたが、元気がありません。日常生活の雑用がないまま、一日中、皆さんどのように過ごしておられるのかしらと思いました。  福祉会館を辞してのバスの中、「クリスマスか正月にでも、何か楽しめるプレゼントを贈れないか…」とSさんが言われました。また、旅の終り頃、Iさんから、「我々の手当の一部を出して、年に一回でもあの方たちに何かカンパを送れないか…」と相談されました。殆どの参加者がそんな気持になっていたと思います。帰国しての感想文には、韓国に多くの被爆者がいることに驚いたこと、その方たちへの日本政府の対応に憤りを感じたこと、同じ被爆者として救済しなければの声が沢山述べられていました。私たちは、今後、報告集を作って、在韓被爆者の実態を広めると同時に、暮には福祉会館にお住まいの被爆者へカンパを贈ることを決めました。

 民間の私たちのささやかなカンパでは問題の解決にはなりません。「在外被爆者にも被爆者援護法の適用を」の運動を進め、日本政府・厚生省に強くそれを求めていく運動に、日本の被爆者がどれだけ自分たちの問題として取り組めるか、これが残された課題です。