東友会結成40周年記念韓国ツアーに参加して

「忘れが難き大邱、釜山」

板橋区在住被爆者

石飛 力


 日本帝国が朝鮮を植民地支配していた頃、最南端の鎮海の領港に海軍指令部がありました。父がそこの経理部に勤務していたため、小学三年〜五年(1943〜敗戦直前)まで育った土地です。(空襲を逃れて広島の山奥に疎開する途中、入市被爆)

 朝鮮(韓国)は何といっても日本文化のふるさとです。「古事記」「日本書紀」「万葉集」「続日本書紀」などが、高句麗、百済、新羅などからの渡来人によって書かれたものであるとか、日本の皇室に朝鮮の血統が流れているとかということは周知の事実であり、弥生末期から古墳、飛鳥、奈良時代にかけて、一気に政治体制を確立し、文化の華を絢爛と開かせる中心にいたのは、他ならぬこれら渡来人でした。

 日本文化のルーツ、私自身の第二の故郷に対する思慕の念と同時に、豊臣秀吉の二度にわたる侵略やあの「日帝35年」の武断政治など、先祖や先輩たちの侵した罪を懺悔する辛い気持も抱きつつ……。

 一方、一昨年、被団協代表として韓国人被爆者慰霊祭に参列させていただいた際、お世話になった方々や、同年秋、江戸川区の銀林美恵子さんたちの招きで来日された五人の被爆女性の方々にぜひ再会したい思い。

 外国といっても「一衣帯水」のお隣、言葉も文字もわからないけど、野山や田園の光景は、見慣れた日本とほとんど変わらないし、行く先々の在韓被爆者の多くは、広島弁まじりの日本語で語ってくれるのですぐに打ち解け合えました。まるで、故郷の空で旧知や伯父、叔母などに逢ったような気分で安寧に交流しつつも、心苦しさの絶えること無し。

 一万七〜八千人の在韓被爆者のうち、被爆者として認定登録した人は、98年5月現在わずかに2314名、手続の面倒さとメリットの少なさのうえ、日本政府が謝罪も補償もしょうとせず、わずか四十億円の基金を分割払いすることで、韓国政府と手を打ったため、韓国被爆者協会としても、とても会員を拡大する余裕もない状況です。

 日本の侵略と蹂躙で、国土も富も全国民の身も心もずたずたにされ、やっとの解放も束の間、朝鮮戦争による壊滅的荒廃と死傷者数千万人、離散家族一千万人、これとても元はといえば、日韓併合無かりせばあらざりしものを…。何の謝罪も賠償もない屈辱的な日韓条約で一切をご破産にされた朝鮮(韓国)人一般。その上に、嫌々広島や長崎に住まわされ、被爆させられ、死んだ者も傷ついた者も53年たっても差別され続けている無告の、無言の被爆者を代表する協会各支部の約30名の役員さんたちは、どなたも懐かしそうに歓迎して下さったものの、その胸に秘められた70年前後の、筆舌に尽くしがたい恨み辛みはいかばかりかと、思い出しては、今更ながら目頭を熱くしています。

 「世界唯一の原爆被害者同士として、兄弟のように懐かしく思います。あなたたちには、恨みはない。しかし、未だに反省も謝罪もしない日本政府が許せない。戦争準備の日米新ガイドラインを止めさせるよう、頑張ってください」との釜山支部長の言葉は、声なき被爆者の声をも代弁しているように思えました。

 一方、五〜六千人の無言の被爆者もさることながら、訪韓中に会った方々の面影をしのぶにつけても、二千余名の会員に、まずは在日被爆者なみの援護(補償)を実現すべく努力しなければと痛感した次第です。

 釜山の李一守さん、大邱の金分順さん、趙今岳さんらの懐かしい方たちにも会い、特に大邱では、従軍慰安婦被害者本人を囲んで直接お話を聞くという衝撃的な体験もしました。