長崎三菱裁判(金順吉裁判)判決をめぐって

笹本 征男


 金順吉さんは、一九二二年、現在の韓国釜山市で生まれた。一九四四年十二月下旬、金さんに国民徴用令に基づく徴用命書が出された。いわゆる強制連行である。その結果、金さんは旧三菱重工業株式会社の長崎造船所に連行され、資材運搬等の労働に従事した。一九四五年八月九日、アメリカ軍機が長崎市に原子爆弾を投下した。金さんは作業場で被爆した。その後、金さんは自力で韓国に帰った それから四七年経った一九九二年七月三十一日、金さんは長崎地裁に、(一)被告の国と三菱重工業株式会社に対して、一、〇〇〇万七〇円(慰謝料一、〇〇〇万円と船賃七〇円)の支払い、(二)三菱重工業株式会社に対して、未払賃金一二四円二八銭および一九四五年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いの請求を求めて提訴した。

 この訴えに対し、長崎地裁は一九九七年十二月一日、原告の金さん敗訴の判決を出した。 担当裁判官は、長崎地方裁判所民事部裁判長裁判官・有満俊昭、裁判官・西田隆裕、村瀬賢裕である。

 判決は被告旧三菱重工業株式会社が原告に対する不法行為責任があることをを認めたーー「原告らを寮長以下の監視体制の下で半ば軟禁に近い状態にして、労働に従事させていたものであるところ、かかる行為は国民徴用令に基づく徴用でも許容されない違法なものであったといわざるを得ず、その限りで旧三菱重工業株式会社には不法行為責任があり、」。また、被告会社に未払賃金債務があることを認めたーー「未払賃金五〇円について、支払債務を負う」。

 しかし、判決は旧三菱重工業株式会社は新会社に「承継」されておらず、新会社は損害賠償債務も未払賃金債務も「承継」、負担することはないと判断した。

 「被告国の不法行為責任」については、国民徴用令は違法ではないと判断したーー「国民徴用令に基づく本件原告の徴用も、同令に定められた手続に則り実施される限り、合憲性、合法性を有する法令に基づくものとして、それ自体違法性を問題にする余地はなく」。しかし、巡査らの原告に対する行為が違法であることを認めたーー「このような徴用手段は、違法なものであったといわざるを得ず、また、平戸小屋寮では海軍の兵員が原告ら徴用工の監視役を果たしていたから、ここでも公務員が違法行為をしていたことになる」。

 しかし、国家無答責任論に基づいて国は損害賠償責任を負わないと判断したーー「国家賠償法の施行前においては、一般的に国の賠償責任を認める法令上の根拠はなく、旧憲法下においては、国の公法上の行為にうち権力作用による個人の損害については私法が適用されず、国は責任を負わないといういわゆる国家無答責任論が妥当するとされていた」。 

 私はこの判決に対して次のように批判する。  長崎地裁裁判官たちは、旧憲法下で行われたことに対して、なぜ、単純な疑問を抱かないのであろうか。一九四五年の敗戦から五〇年以上も経過しているのである。法律は万能ではない。法律は変えられるのである。裁判官たちは、すくなくとも国会に対して立法措置をとるよう要望する判断をすべきであろう。

 この報告をした後、金順吉さんは、一九九八年二月二〇日午前十一時、肺がんのために病気療養中の釜山市内の病院で死去した。七十五歳であった。私は広島で会った、元気だった時の金さんを思い出す。心からご冥福をお祈りする。

 金さんが福岡高裁に控訴していた裁判は、長男と二男が引き継ぐことになった。