関釜裁判判決について

山本 晴太


 去る四月二七日の関釜裁判判決(山口地裁下関支部)は、元「慰安婦」原告については国に三〇万円の賠償を命じ、元勤労挺身隊原告については原告の請求を棄却するというものだった。

 この判決について、部分的ではあれ国の賠償責任を認めたという驚き、三〇万円という金額の低さへの戸惑いが交錯し、混乱した評価を生んでいる。

 一部に誤解があるが、三〇万円という金額は原告の被害そのものに対する賠償額ではない。判決は軍隊「慰安婦」制度を『徹底した女性差別、民族差別思想の現れであり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるもの』と厳しく断罪し、「慰安婦」制度への国の関与を認めた河野官房長官談話から三年を経過した一九九六年八月までには国は元「慰安婦」の被害を賠償するための特別立法をすべきであったが、それをを怠ったのは違法であるとして、『将来の立法により被害回復がなされることを考慮し』三〇万円の賠償を命じたのである。すなわち、三〇万円という金額は法律をつくるべき期限から判決まで一年半余り法律の制定が遅れたことに対するペナルティーに過ぎないものであり、本来の賠償は特別の立法を行って実行するように命じているのである。したがって、三〇万円という金額は民族差別であるというような批判は判決の趣旨を誤解したものであると私は思っている。

ところで、この裁判での原告側の主な主張は、日本国憲法前文と九条は、侵略戦争・植民地支配の被害者に謝罪と賠償をすべきことを国に義務づけているというものであった。

 侵略戦争への反省を基礎に制定された憲法は、九条で戦争を放棄する一方、自国の安全は「平和を愛する諸国民の公正と信義」への信頼により達成すべきであると前文で述べている。そして、この理想を「国家の名誉をかけて、全力で」実現すると宣言しているのである。しかし、日本に隣接する「平和を愛する諸国民」とは侵略戦争、植民地支配の被害者に他ならない。その「諸国民」との信頼関係によって平和を維持せよと憲法が命じている以上、日本国には現在の日本の「公正と信義」を、侵略戦争・植民地支配の被害者からの信頼を受けるに足るものとする義務を負わされているのである。

 私たちは、この義務を「道義的国家たるべき義務」と呼び、原告への謝罪と賠償を根拠づける主な法的主張とした。

 関釜裁判の判決はこの「道義的国家たるべき義務」の存在は認めなかったが、次のように述べて元「慰安婦」について特別の賠償立法をすべき義務を認めた。

 『日本国憲法制定前の帝国日本の国家行為によるものであっても、これと同一性のある国家である被告には、その法益侵害が真に重大である限り、被害者に対し、より以上の被害の増大をもたらさないように、配慮、保証すべき条理上の法的作為義務(賠償立法すべき義務)が課せられているというべきであり、特に、個人の尊重、人格の尊厳に根幹的価値をおき、かつ帝国日本の軍国主義等に関して否定的認識と反省を有する日本国憲法制定後は、ますますその義務が重くなり、被害者に対する何らかの損害回復措置を採らなければならないはずである。』 

 原告は「道義的国家たるべき義務」と言い、判決は「条理」というが、次の点において原告と判決の認識は一致している。

1. 日本による植民地支配や日本の名の下に行われた戦争の被害者に対しては、現在の日本の責任おいて賠償すべきである。

2. その賠償の必要性は日本国憲法の価値観によって判断すべきである(すなわち、戦後補償は現在に日本のあり方の問題である)。

 謝罪請求に対する判断、勤労挺身隊の請求に対する判断など、この判決には不充分な点も多いが、私はこの認識を原告と共有したことについて、判決を非常に高く評価したいと思う。

 ところで、この判決は「全て原告敗訴であった戦後補償裁判で初めての一部勝訴判

決」と報道された。しかし、私の理解では、戦後補償裁判には原告が完全勝訴した先例がある。

 一九七〇年に佐賀県の串浦漁港で逮捕された孫振斗さんは、日本で原爆症の治療をしたいと訴え、適法な在留資格を持たないことを理由に被爆者健康手帳の交付を拒否する福岡県を相手に七年余りにわたる裁判を闘った。その結果一九七八年に最高裁判所は孫さんへの手帳の交付を認め、その理由を次のように述べた。

『原爆医療法は、戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、国家補償的配慮が制度の根底にある。…(したがって、被爆者が国内に)現在する理由等のいかんを問うことなく、ひろく同法の適用を認めることが、同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するというべきである。…被上告人(孫さん)が被爆当時は日本国籍を有し、戦後、平和条約の発効によって自己の意思にかかわりなく日本国籍を喪失したものであるという事情をも勘案すれば、(孫さんに原爆医療法を適用することは)国家的道義のうえからも首肯されるところである。』

 すなわち、この判決では原爆医療法の解釈との形をとりながら、「自国の戦争により犠牲になった者には現在の国籍を問うことなく補償することが、日本国の立脚すべき国家的道義である」との認識が語られているのである。これは、関釜裁判の原告や判決と同様の認識であり、戦後補償の問題で実現されるべき中心テーマである。

 孫さんが裁判を起こしたころに学生であった私は福岡で孫さんの支援の運動の末端に関わっていた。当時はこの判決のもつ普遍的な意味をよく理解していたわけではなかったが、弁護士として戦後補償訴訟を担当するようになり、改めてこの判決を読み直し、孫さんの裁判が戦後補償裁判の嚆矢であったことに気づき、「道義的国家たるべき義務」という用語にこの判決の文言を借用したのである。。

 二〇年前に被爆者健康手帳の交付という限定された場面で語られた認識が、今、被害者への損害賠償というより普遍的な場面で語られるに至ったことは、重要な一歩前進である。

 しかし、孫さんが串浦港で逮捕されたとき高校生であった私が当時の孫さんと同じ年齢になり、孫さんはすでに七〇歳を越え、今、私は孫さんが入居すべき老人ホームはないかと思案している。

 被害者達の年齢を考えるとき、この一歩に要した時間は余りにも永すぎるものであった。