中島竜美編・著
「朝鮮人被爆者・孫振斗裁判の記録
−捕縛社補償の原点」
    (在韓被爆者問題市民会議、1998年発行)評

田中 宏(一橋大学)


 本書は、「たいまつ新書」の一冊として一九七八年に刊行されたものの再刊だが、その後の二〇年間の経緯をも加えた改定版となっている。

 孫振斗さんが韓国から日本に「密入国」したのは一九七〇年十二月のことである。大阪で生まれ、両親、妹ともども一家は広島で被爆し、父は大阪で原爆症で死去。結局、残った家族は韓国に帰国するが、被爆後遺症に苦しむ毎日がつづく。

 本書は一九七〇年の入国から二十年近い間、孫さんが「唯一の被爆国日本」とどうむきあってきたかを丹念に記録している。それは一方では、あの孫さんとむきあおうとしてきた日本の市民運動の歩いてきた道のりと、それらがはたしてきた過程を語ってくれている。

 孫さんが「原爆症の治療を求めて『密航』してきたとき、私たちに突きつけられた最も大きな問題の一つは『何故、朝鮮人が広島で被爆させられたか』であった」と書き始め、刑事裁判、被爆手帳裁判はいわば型通りのものだったようだが、後の二つが主題となってくる。

 被爆者については、原爆医療法(一九五七年)及び同特別措置法(一九六八年)がある。前者によって「被爆者手帳」が交付されるが、それは原爆症治療の市民権確保する第一歩なのである。「不法入国罪」で懲役十ヶ月の刑に服する身であるが、「悪化した結核治療と原爆症の疑い」のため刑の執行停止を受けたところで手帳申請の試みられる。

 居所である福岡県に申請したが、結局、厚生省の「指導」で却下となった。原爆医療法には珍しく「国籍条項あないため、外国人だからといって拒否できない。厚生省の理屈では、「地域社会の一員として、社会生活を営んでいることが必要」という。この妙な理屈は、福岡地裁、同高裁、そして最高裁でも退けられ、孫さんは入国後七もたってようやく手帳を手にしたのである。手帳取得はやがて、退令問題にも波及し、特別在留許可にもこぎつけることとなる。

 その過程では、韓国での母の死、手帳裁判での被告側代理人の暴言(孫さんが被爆の様子を証言した際、「ガスを吸った」と表現すると、「炭坑爆発でもあるまいし、ガスを吸ったとはなんだ」と反対尋問し、かえって物笑いになった)、さらには、第一審判決の日、大村収容所が仮放免を認めなかったため、主のいない法廷での勝訴判決となる、などが記録されている。

 最高裁判決は、「被爆者であってわが国内に現在する者である限りは、その現在する理由のいかんを問うことなく、広く同法の適用を認めて救済をはかることが、同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するものというべきである」と判示した。

 最高裁判決は、「渡日治療」 への道をひらき、さらに九〇年になり在韓被爆者のために日本政府が四〇億円を拠出することに結びついていく。外国人被爆者の問題はまだ多くを残した課題に取り組む日本の市民運動のもつエネルギーとその役割について、ひとつの典型を見る思いがする。今後の戦後補償運動にとっても、多くの示唆を含んでおり、一読をすすめたい。