おたかの道 2
(黒井千次 武蔵野短編集)

もうここまで、という突き当たりの一歩手前まで来た時だった。

『なにか獣を感じさせるような太い木の枠組みの鈍重な札が蹲っていた。

真吉は、道などないではないか、とまず思った。
驚きと不満のないまぜになった奇妙な感情におそわれた。』

屋敷の裏門に似た戸が行く手を阻み、その足許を細い流れが走っている。
流れを目で追うと、家の裏道に似た小路がそれに沿って短く延び・・・・

また、人家に遮られて、先がどうなっているのかは見届けられない。
異様なのは貧弱な小路に仰々しく石畳が敷かれていることだった。

『とうとう出会ってしまったらしい・・・』と真吉は大きく息をついた。
たとえどんな姿であるにせよ、捜していた道がここにあることだけは明らかだった。

『行けば行くほど、それは不思議な道だった。左側にあるのは広い敷地をもつ旧農家ででもあるのか
がっしりした大谷石の塀が・・・延々と続くのに対し
石畳と似た幅しかない水路越しの右手は小さな人家の裏側であり、・・・

つまり、ありふれた校外住宅のすぐ背後に、冗談のように石畳の遊歩道がひそんでいるのだ。』

最初の四つ角で流れは横から来た水路と合流し、俄かに水の量が多くなる。

それだというのに、ほんのしばらく歩くとまた水は薄く勢いを失ってくる。

・・・、両側にアパートが多くなった。・・・

『・・・行く手に立ちはだかったのは、中に乗用車の納まった伸縮式の黒い鉄の門扉だった。
「お鷹の道遊歩道」と書かれた文字は黙って道の終わりを告げていた。

もう一度引き返してみようか、とちらっと思ったが、真吉はすぐその考えをうち消した。
振り向きもせずに鉄の門扉の前を折れ、勝手に駅の方向と決めた左手に向けて歩き始めた。』

いきなり名前を呼ばれて真吉はぎくりとした。
近くに家を建てて住む、大学時代の友人の渡辺に出会ったのだ。

「実はね、急に思い立って、〈お鷹の道〉というのを歩きたくなったから・・・」
「名前はいいよ。名前だけはね。〈お鷹の道〉なんて・・・」

言葉を跡切らせた渡辺が一度空を仰いでから急に顔を近づけてきた。
「全然別の話だけど、俺達のクラスにいたあのお多加さん、気の毒なことをした。」
「お多加さんがどうかしたのか。」

「亡くなってたんだよ、もう6年も前に。」
「死んだ?」

空がずうんと高くなった。

引き留める渡辺に、真吉は別れを告げて駅への道を歩き出した。

『細い一本の道が閉ざされたかのようだった。
閉ざされたのではなく、その先がふっと消えてなくなったかのようだった。』

『真吉の足は、先刻のバスで登った坂の途中に出ていた。とろとろと坂を下った底に
道を横切る水が流れていた。』

『しっかりと両岸をコンクリートで固められ、その上に等間隔でコンクリートの桁が渡されている
家と家との間の川だった。

夕闇に包まれた流れの色は黒かった。
お鷹の道の水路とどうつながっているのか、真吉には見当がつかなかった。
ただ、何となく水の流れる方向が逆のように思われてならなかった。』

☆☆

真吉が目にしたのは、「恋ヶ窪」を目前にする野川の源流の姿でした。
大岡昇平の「武蔵野夫人」では、多摩川の名残川のままのここで、道子と勉の心が揺らめきます。

礎石だけの武蔵国分寺、変わり果てた武蔵野の野川、人工の湧水
お多加さんと一緒に、『その先がふっと消えてなくなったかのよう・・・』になりそうです。


                                (2000.12.28.記)

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