石川啄木最初の上京

最初の上京

 啄木は、明治32(1899)年、14才の時、夏休みを利用して上京しています。上野駅の助役 に昇進した、啄木の姉トラの夫・山本千三郎家に滞在したとされます。中学校2年生、成績優秀で、ふっくら頬に学帽が似合う啄木の写真が撮られる頃です。

 当時、啄木は軍人になることに憧れていたと云い、軍人志願の2年上級の及川古志郎に近寄り、季節前の五月から白い夏服を新調して気取って歩いていたとの話もあります。また、春の運動会 では

 『この日、私は啄木に勧められて彼と二人三脚をやった。二人両足をしばって走ったが、まことに好調子でずんずん前の組を抜いてまさに第二着でゴールに入ろうとした時、二人は見事に横倒しにころんで、みんなからやんやといわれた。私はその時も思ったのだが、これは啄木の予定の行動で、わざところんだのだった。五月から夏服を着た彼は、とかく人目をひくようなことが好きだった。』 (伊藤圭一郎「人間啄木」p14)

 と、小学校時代からの友人である伊藤圭一郎が「人間啄木」で書いています。自分ではこの頃のことを「岩手日報」の「百回通信」に

 『二年に進みて丁級に入る。また先生(富田小一郎)の受持たり、時に十四歳。漸く悪戯の味を知りて、友を侮り、師を恐れず、時に教室の窓より又は其背後の扉より脱れ出でて、独り古城跡の草に眠る。欠席の多き事と、師の下口を取る事、級中随一たり。先生に拉せられて叱責を享くる事、殆んど連日に及ぶ。』

 と書いています。陽気な啄木の姿が浮かんできます。山本千三郎の家はどこにあったのか、夏休みをどのように過ごしたのか、わかりませんが、おそらく、上野の山、江戸城をはじめとして美術館や書店など様々なところを案内されたことでしょう。早熟の啄木には、それらに接し、 どのような印象を得たのでしょうか。

 単なる東京見物に終わったかも知れませんが、後に中学時代を回想して 「一握の砂」で

   不来方(こずかた)の お城のあとの 草に寝て
          空に吸はれし 十五の心

       かなしみといはばいふべき   物の味
              我の嘗めしは  あまりに早かり

   愁ひある 少年の眼に うらやみき
          小鳥の飛ぶを 飛びてうたふを

 と詠んでいるように、早熟な胸には、東京と故郷の距離に云いようのないたかぶりを感じ、いずれは東京へと密かな思いを描いたのかも知れません。 どのような日々を送ったのか知りたいものです。(2005.03.10.記)

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