浅葉野

(くれない)の浅葉(あさは)の野らに刈る草(かや)
   束
(つか)の間(あいだ)も吾(わ)を忘らすな
(巻第11ー2763)
(浅葉野に生える草は、すぐに刈り取られてしまうけれど
そういう つかの間にも私を忘れないで下さい)

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 浅葉野(あさはの)に立ち神(かむ)さぶる菅(すが)の根の
   ねもころ誰
(たれ)ゆえ吾が恋ひなくに
   或本の歌に曰く、誰葉野(たがはの)に立ちしなひたる
      右の二十三首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ

(巻第12ー2863)
(浅葉野に立って、神々しく もの古びている管の根のように
あなた以外に恋心を抱いたりはしません)

 武蔵野の野に生まれた恋の掛け合いのようにも受け取れる歌です。「東歌」や「防人歌」のように歌のふるさとの見当がつけられないし、2863は人麻呂歌集にのる歌です。果たして人麻呂が武蔵野に来たことがあるのでしょうか。それとも伝聞をもとに詠んだのでしょうか。

 上の2763は地名から武蔵国の入間郡「麻羽」=坂戸市とされていますが、2863と併せて静岡県浅羽町、長野県本郷村など候補地があります。

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坂戸市には、立派な歌碑がある
土屋神社のこんもりとした森の北側、土屋公園内(昭和55年建設)

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歌碑には11−2763の「紅の浅葉の野・・・」
が刻まれていて、近くに立つ説明板に12−2863の歌が付記されている

 坂戸市史は
 「歌に詠まれた浅羽(葉)については古来から近江の浅羽と坂戸市浅羽両説が唱えられて来たが、最近ではとくに巻第11の歌については『和名抄』に載せる麻羽郷の所在地である坂戸市浅羽付近を詠んだものであろうとする説がほぼ定説となっている。もっともこの歌にはよく似たいわゆる類歌があって、巻2にある草壁皇子が石川女郎(いしかわのいらつめ)に贈った

  大名児(おおなご)が彼方野辺(おちかたのべ)に刈る草の束の間も吾忘れめや (110)

などは、上二句の「大名児が彼方野辺」という言葉が「くれないの浅羽の野らに」と替わっているだけである。」 
 (坂戸市史 通史編1 p288)としている。

 こうなると、人麻呂の2863も、何となく関連が出てきて、納得というところですが、「草の一束を刈るわずかな間も忘れないで・・・」とは武蔵野にぴったりと、我が意を得たところです。

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古墳の上に土屋神社は建てられている。

 ちなみに、土屋神社には、本殿の横に、樹齢約1000年といわれる杉の木があり、まさに神さびたたたずまいをみせています。周囲からは万葉の時代の住居址も発見されています。道を聞いた時、教えて下さった坂戸のお年寄りが
  『あんちゅったってよ・・・、この辺は、今よか、ずっと昔によ、盛(さか)っていただとよ・・・』
と欠けた歯で素敵に笑った笑顔が忘れられません。

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土屋神社の神木杉

 坂戸市には、もう一つ万葉遺跡があります。「入間路の 大家が原のいわいずら・・・」の歌(14−3378)です。いずれ、東山道武蔵路との関連を調べてから、ご案内したいと思います。紹介した写真は96年4月に撮影しました。現在は変っているかも知れません。
                                              (99.05.13.記)

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