横山へろ

こんなに逢いたいのに!!
あの母親に、追っ払われちまったよ

シシじゃあるまいし。

妹をこそ あひ見(み)に来しか 眉引(まよびき)の  横山辺(へ)ろの
  鹿猪(しし)なす 思(おも)へる  14−3531

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こんなかわいい歌碑があります。
東京都八王子市御殿峠、多摩の横山の峰の中にある

社会福祉法人多摩養育園 老人施設・知的障害者厚生施設の庭先です。

しゃれた「訳」が添えられています。

逢いに来ました 
横山あたり

逢わせてくれずに
母親は

猪みたいに追い払う
           
           竹下数馬訳            
1960年11月3日

シッシッと追っ払われた?

 『・・・、横山辺りの猪のように、自分はシッシッといって追っ払われた。男は相当にじゃけんに母親に追っ払われたのですね。』 佐々木幸綱さんの解説です。(佐々木幸綱 万葉集を読む 岩波セミナーブックス72 1998年 p77)

 若者は、どこかへ呼び出そうとしたのでしょうか。それとも、夜、そっと忍んできたのでしょうか。強力な母親のパンチの前に、肩をすくめて、うなだれて、横山を歩く、男のぼやきがそのまま聞こえて来るようです。
 何とも言えぬ滑稽な中に、8世紀の東国で、次男・三男坊の置かれた、ほろりとされる姿が浮かんできます。いかにも東歌らしい(歌のふるさとは不明)一首です。

 たまたま、「横山」にちなんで、地域の社会福祉法人の理事長さんが、施設の庭に歌碑を建てました。東国の山里ならどこでもふさわしいように思います。

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社会福祉法人多摩養育園は施設自体が横山の中に包み込まれている。

山あいの小さな集落が背景

 この歌は、山あいの小さな集落が背景になっているように思えます。丁度、八王子のこの辺はその雰囲気にぴったりなので、歌碑を起点にご案内します。

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八王子市鑓水(やりみず)の集落。さほど高くない尾根を背景に南斜面の麓は谷つとなり
わずかな低地に、水田を切り開き、高地には畑が広がっている。

尾根筋が絹の道であり、当時の姿が保存されている。

 鑓水地域は、江戸時代から養蚕が盛りとなり、明治には、絹の道として一躍脚光を浴びました。万葉の奈良時代には、「谷つ」ごとに数軒の竪穴住居の集まりがあって、それぞれに交流をもっていたと考えられます。

娘は出たくても出られなかった

 歌の主人公は、その一軒に恋人を訪ねたのでしょう。当時の竪穴は、出入り口が一つで、親たちが、その出入り口近くに寝起きしたようですから、娘はどんなに出たくとも、親の許しなしには出られません。
 『奥の床に母、外の床に父が寝ているので、あなたが来て、私が起きれば、母が知るだろう。出て行けば、父が知るだろう・・・』と、歌われています。(13−3312 ただし、この歌の場合、竪穴かどうかはわかりません)

 親は、税の負担や農作業、耕地の財産上の管理などから、娘を嫁がせるには、相当の覚悟と気を遣ったようです。特に、東歌が編集されたと考えられる、8世紀の始めから中頃にかけては、中央による法と刑罰に基づく社会秩序に、地域の特性にいろどられた生活がモロにぶつかり合ったときでした。
 それだけに、働き手、口分田の所属、財産分与など、倫理上の監視もさりながら、経済上の問題からも、母親が厳しい役割を負ったのではないでしょうか。万葉集の中には、この歌に類するものが結構あります。

母はきつかった

 汝が母に 嘖(こ)られ 吾は行く 青雲の いで来(こ) 吾妹子(わぎも) 逢ひ見て行かむ 14−3519
(おまえの母に叱られて、(仕方ないから)私は帰る。出ておいで、私の愛しい人よ、一目でも逢って帰りたい)

 等夜の野に 兎
(おさぎ)(ねら)はり おさおさも 寝なへ児ゆえに 母に嘖(ころ)はえ   14−3529
 (等夜の野で兎を狙うように 彼女
(おまえ)の所へ忍んでいった。 ちっとも寝たことがないのに、母に叱られるなんて・・・何ということか)

 誰そこの わが家戸に来
(き)(よ)ぶ たらちねの母に嘖(ころ)はえ 物思ふわれを    11−2527
 (誰ですか。私の家の戸口まで来て、私を呼ぶのは。母に叱られてふさいでいる私なのに・・・)
  叱られたばかりなのに、また、あなたが来てしまって、困ってしまう・・・。


 現在のひ弱な教育ママと違って、当時の母親は、きつくて強かったんですね。さて、男の方です。

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しょげきって、こんな山道を、とぼとぼ帰ったのでしょうか。
八王子市鑓水(絹の道)

万葉娘はたくましい

 この歌を口ずさみながら、つくずく思います。母親に叱られながらも、万葉娘はたくましいです。
 ・お母さんに知れたって構わない、泊まって行きなさいよ(11−2687)
 ・新嘗(にいなめ)の神聖な祭りだけれど、愛しいあなたを外に立たせておけますか(14−3386)
など、情熱的に歌い上げています。それに反し、男は、ぼやくだけとは、元気がなさ過ぎませんか・・・。

なぜ、男どもは元気がないのか

 生産力の低さがそうさせたのでしょうか。私の住む東大和市には、第二次大戦後まで、「オンジー」という悲しい響きの言葉がありました。農家の二・三男で、一家を構えることも、結婚もできなくて、いつの間にか中年になってしまった、独り者を指します。実家や近くの地主に雇われて、農作業に従事する男の陰口でもありました。

 ひょうきんなこの歌に接するとき、ひょっと出てくる記憶が、この「オンジー」です。奈良時代、山間の村々はさらに厳しかったのかな、と神妙になります。

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隣接する谷つに「白山神社」がある。(中央の小高い丘の頂上)
経筒が発掘されて、平安時代に、この地方に「長隆寺」があったことがわかった。
八王子市最古の寺といわれる。
また、荘園の「舟木田荘」の所在を告げる奥書がある。

この地域には、ものすごい歴史が眠っている

 面白いのは、もしかしたら、男がぼやきながら、娘と逢えるように、大願成就を願ったかも知れない、隣接する谷つの奥山にまつられた「白山神社」と「長隆寺」の前身です。
 古代寺院「長隆寺」があったことは、経筒の時代を少し遡る万葉の時代に、寺をまつった豪族の発生を考えさせます。しかも荘園までつながることは、確実にこの地方に継続する一つの歴史が展開されたことをうかがわせます。

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白山神社に保存されている「長隆寺」の礎石
学術発掘が行われていないため、遺跡の位置、内容、関連施設など全容はわからない。

説明板には、鳥居の近くの字「堂山」にあったと書いてある。

 万葉の時代、山間の集落も大きな転換を迎えたはずです。それがどのようなものであったのか、これらの谷つと尾根を結ぶ地域の全体が明らかになることによって、はっきりするはずです。その解明が楽しみです。

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横山は新緑に包まれ、山間の集落は静か。見渡せば、直ぐ近くまで、高層住宅が押し寄せている。
一見、それは蜃気楼のようではあるが、今後どのように実の姿を表すのか
1300年前の男の嘆きは救われるのか、悲鳴になるのか。

 高齢者や障害のある方々と一緒に、この歌碑は何ともほほえましいです。できれば、おっかないおっかさんに対する、娘の反撃と、男の願いの成就の二つが加わって、三つ並んで語りかければ、もっともっと楽しいでしょう。

歌碑設立のいわれ

 歌碑を訪ねて行ったとき、設立の趣旨について尋ねたところ、理事長の足利さんが、ご丁寧に、いわれを送って下さいました。原文のまま、一部を紹介します。

 『・・・「眉引の横山」それは必ずしも多摩の横山の謂いではないかも知れません。しかしその横山の枕詞の「眉引」そのままに美しい多摩の丘をたたえて、今はこの地にしておきましょう。そして碑石も碑文も、専門の方々から見れられれば笑止のものかも知れません。しかし、私たちはそれでよいのです。どこから補助のお金をもらうわけでなし、おのが地におのれらの力によって楽しくたてたのです。眉引の多摩の横山。美しいその名の如く、どなたもどうぞ険しい心を捨てられて、これを眺めてやって下さい。・・・以下省略』

 と書かれています。(光明第118号 63.12.2 p1)

コース

 歩く距離は結構ありますが、訪ねてみれば簡単です。
 JR八王子駅北口 「神奈川中央バス」橋本行き(5番 72)御殿峠下車。峠の頂上(そのままの方向)に向かって徒歩5分 「御殿峠」 「絹の道資料館」の大きな案内標識の交差点を左折。
 左折して直ぐの左側の建物が社会福祉法人多摩養育園 養育園の階段を上がると歌碑の前に出る。

 養育園の前の道を戻らずに、約20分歩くと「絹の道資料館」。この間、山間の集落のたたずまいを残す鑓水の集落が続く。やがて、庚申塔が並ぶ塚に出る。道は二つに分かれている。
 @そのまま通り過ぎれば、「絹の道資料館」を経て、鑓水商人の家(小泉屋敷)へ。約10分。
 A左折すれば保存された「絹の道」。ムードを楽しんで、大塚山公園(道了堂跡がある)まで、約15分。

 大塚山公園から北の台団地を通って白山神社へ約20分。
 神社の山容と集落の関係を見るには、途中で、中山小・中学校への降口を降りて、神社の正面に回り、学校側から見る。ただし、神社への階段は直登で先が見えない。息が切れる。

 帰途=バス
 中山から八王子駅方面・・・・・1時間に1本程度。
 白山神社から北の台団地へ出て、白山神社前から八王子駅方面・・・・・約10分おき。

逆コース
 白山神社を出発点にして回る場合は、JR八王子駅南口下車 京王バス 白山神社方面行き白山神社前下車。

                                                99年4月30日 記

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