さすらいの航海 ★★☆
(Voyage of the Damned)

1976 UK
監督:スチュワート・ローゼンバーグ
出演:フェイ・ダナウエイ、オスカー・ウエルナー、マックス・フォン・シドー、リー・グラント



<一口プロット解説>
大勢のユダヤ人を乗せた豪華客船セントルイス号がキューバに向かうが、キューバ政府は乗客の下船を拒否する。
<雷小僧のコメント>
一般的に言って豪華客船を舞台にした映画は、時に非常に魅力的なものになることがありますが、この映画もそういう中の1つであると言えるでしょう。というのは、こういう映画は豪華とは言えちっぽけな客船が広大な大洋の中を航行する中で演じられるドラマを描くわけであり、その対比によって限られたスペースの中で行われるドラマが一層引立つからであると言えましょう。まあこういう特殊な環境下であると通常では考えられないような人間関係が発生したりと、映画には格好の材料となるであろうし、また実際にそういう環境に憧れて一生に一度は豪華客船に乗って世界一周でもしてみたいという人は、いくらでもいるわけです。
但し、これには1つ重要な前提条件がつくことを忘れてはならないでしょう。それは、いくらいつもとは違う環境に憧れたとしても、自分のアイデンティティが危殆に瀕するような状況であってはならないということです。自分が自分であるという範囲を越えての冒険というのは、冒険家のやることであって、一般ピープルはそういうものを恐れるものであるし、又それは肉体的な危険だけでなく精神的な状況をも含めてでもあります。ところが、この映画の中のセントルイス号の乗客達はそういう精神的な危機状況で航海するわけです。何故なら、乗客は全てユダヤ人であり、時代は第二次世界大戦が始まる直前だからです。
ストーリーの概要は、次のようなものです。セントルイス号という豪華客船が大勢のユダヤ人を乗せハンブルクを出港してキューバに向かうのですが、政治的な都合でキューバに入国出来なくなります。それ故、他の国が彼らを受入れない場合には彼らはハンブルクに戻らなければならない状況になってしまいます。ということは、イコール強制収容所行きということになるわけであり、彼らの運命はまさに他国の判断如何に懸かっているということが出来ます。結局、最終的にはヨーロッパの数か国が彼らの入国を認めることになり一件落着というところで映画は終わるのですが、実は最後のスーパーインポーズが示すように、これは悲劇の終わりではなくて始まりにすぎないのです。というのは、歴史が示すようにオランダやベルギー等の彼らを受入れた国は、すぐにドイツ軍によって蹂躪されてしまうからです。尚、この映画は実話をもとにしているようです。
そういう面において、この映画は危殆に瀕したアイデンティティを描いていると言えるのですが、一番私目の印象に残っているシーンは、船員のマルコム・マクダウエル(彼は明らかにユダヤ人ではない)が、あるユダヤ人の乗客に「ドイツの中でユダヤ人として暮らしているというのは、どんな感じなのだ」というような質問をするのに対し、そのユダヤ人は「ユダヤ人であるということがいやでも思出されるようなものだ」というような返事をするところです。ユダヤ人が自分がユダヤ人であるということを常に思出さされるということは、ある意味において自己が自己分裂していることを意味しているわけであり、これは難しい言い方をすればメタレベルの自己が裏口からこっそり忍び込んで自己を支配していることを暗示しています。メタレベルの自己というのは一種の他であり(それならもとからある自己は本当の自己とどうして言えるのかなどという鋭い質問が飛んできそうですが、これを議論し始めるときりがなくなるのでそれは止めます)、自分の中に他人を忍び込ませることにより(但し、自分の中に他人を他人として礎定する能力の獲得は子供の発達において重要な要素をなすというような発達心理学かなんかの説があったような気がしますが、これは他人を自己として礎定するのとは意味合いが違うでしょう)徐々に本来の自己が切り崩されていくわけです。この映画で言えば、ある乗客がかみそりで手首を切って自殺しようとする(或いはわざと怪我をして家族をおいて自分だけ船から逃亡しようとしたのか)シーンがありますが、このシーンなどはまさに自己のアイデンティティが完全に荒廃してしまった極限の状態を示しているように思われます。権力というのは巧妙なメカニズムを通して人民を支配するすべを知っており、それは外的な圧力機構だけでなく人民自身の心の中に権力機構を据付け内在化してしまうという方法によってです。ナチスもこれをよく知っていたのか、ユダヤ人の心の中に自分はユダヤ人であることをいやでも思出させるような回路を作って、彼らは迫害されてしかるべき人民だという運命感を甘受させようとしていたわけです。
それから、題材が題材だけに悲しみを表現したシーンが多いのですが、この点においては3人のベテラン女優が実にうまくその辺を表現していますね。その3人とは、リー・グラント、マリア・シェル、ウエンディ・ヒラーです。これに対し、主演格のフェイ・ダナウエイとオスカー・ウエルナーは少し浮いて見えますね。特にウエルナーは、もとから時々オーバーアクティング気味になる(動作ではなくてしゃべり方がですが)ことがある人ですが、どうも少しはずしているような気がしてしょうがないのですがどうなんでしょうかね。そういえば、この人はこの映画の10年前にも同じような船上でのドラマを扱った「愚か者の船」(1965)というスタンリー・クレイマーが監督した素晴らしい映画に出演していましたね。
最後に一言言いたいのですが、この映画のキャストは本当にすごいですね。今まで挙げなかった俳優にも、更にマックス・フォン・シドー、ジェームズ・メーソン、ベン・ギャザラ、キャサリン・ロス、ホセ・フェラー、デンホルム・エリオット、オーソン・ウエルズ、ジュリー・ハリス、フェルナンド・レイ、ジョナサン・プライス等がおり、確かに亡くなった人あり人気がなくなった人ありで今でもスクリーンに顔を見せているのは、フェイ・ダナウエイとこの映画でデビューしたジョナサン・プライスくらいのものでしょうが今となっては考えられないような豪華キャストです。恐らくこの映画と「タワーリング・インフェルノ」(1974)、「遠すぎた橋」(1977)あたりが本当にオールキャスト映画と呼べる最後の映画なのではないでしょうか。但し、「さすらいの航海」の海外での評価はあまり高くないようですね。少し長すぎて若干だれる雰囲気があるのは確かですが。

1999/04/10 by 雷小僧
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp