スージー・ウォンの世界 ★★☆
(The World of Suzie Wong)

1960 US
監督:リチャード・クワイン
出演:ウイリアム・ホールデン、ナンシー・クワンシルビア・シムズ、ローレンス・ネイスミス



<一口プロット解説>
香港にふらりとやってきた画家のウイリアム・ホールデンは、フェリーボート上でスージー・ウォン(ナンシー・クワン)という名の娼婦に出会い、惹かれていく。
<雷小僧のコメント>
1950年代中盤から60年代前半にかけて東洋を舞台にした映画がしばしば作成されていました。「サヨナラ」(1957)を始めとする日本を舞台にした映画、またこの「スージー・ウォンの世界」を始めとする香港を舞台にした映画などです。こういう映画を見ていると、東洋に対する西洋人の偏見や憧憬がよく分かるものがあります。これについては、日本を舞台にした映画についてのレビューを書く時に少し述べてみたいのでここでは詳述しませんが、エドワード・サイードが「オリエンタリズム」という書物の中で分析しているように、西洋人が東洋を見る見方というのは、西洋人が西洋(東洋の間違いではありません)をこういうものであると規定する見方の正確な反映であるということが忘れられてはならないのですね。すなわち東洋を描いているようで、実際は逆説的に西洋を描いているのだと言っても過言ではないでしょう。オリエンタル(東洋的)なものというのは、何がオクシデンタル(西洋的)でないかということとニアイコールなのであり、本来的に言えば東洋人自身は自分達をオリエンタルなものとして捉えているわけではないのです。けれども、本来的にと言ったのは、サイードも述べていなかったように思いますが、ここにまた逆説の逆説が発生することがあり得るということです。つまり、東洋人自身もだんだんとこの西洋人が東洋を見る見方を自己の内に吸収してしまい、我々東洋人自身が、西洋人が東洋を見る見方を通して東洋を見るようになってしまうわけです。なんとなく、こういう東洋を描いているアメリカ或はヨーロッパ映画を見ている時、何か変だなとは思いながらもその東洋を描くあり方に納得してしまう時、我々東洋人も最早単純に東洋人であることは出来ないなということに気が付かないといけないかもしれません。
さてそれではこの「スージー・ウォンの世界」はどうでしょう。簡単に言ってしまえば、西洋人のウイリアム・ホールデンと東洋人のナンシー・クワンの雨降って地固まる式のラブ・ロマンスなのですが、だいたいこういう西洋人と東洋人のラブ・ロマンスというのは、文化的な相違を如何にして克服出来るかという主題がちらちらと見隠れしてきそうなのですが、この映画はその点に関してはちょっと違うように思えます。というのは、主演のホールデンは典型的な西洋人を演じているわけではなく、画家というかなりマージナルな領域に位置する人物を演じているわけであり、東洋が西洋から見て地理学的にマージナルであるのと同様な意味で、同じ西洋の中でも文化的にマージナルな領域に彼が属していると言えるからです。比喩的に言えば、ホールデン自身の存在が西洋社会の中で極めて東洋的な位置に存在していると言ってもよいかもしれません。やはり、この映画にも御多分に漏れず、東洋に対する偏見をおしげもなく語る人物達が登場するわけですが、少なくともホールデン自身には最初からそういう傾向は見られないわけで、何やら東洋に避難所を求めにきた西洋人の落ちこぼれのようにも見ようによっては見えるのですね(これぞまさしく西洋的な見方なのでしょう)。またこの映画のほとんどのシーンは人人人でごったがえす香港の街中で撮られており、また最後のがけ崩れのシーンが示すように生活の不安定性を象徴しているように見えるシーンがそこかしこにあり、またもや西洋人の東洋に対するお決まりの見方が如実に出ているかなと思える場面が少なくありません。1つ誤解を避ける為に付け加えておきますと、このように言ったからといって、何も生活の不安定性が当時この国に存在していたというのが嘘だと言っているわけではなく(というか当時の香港の実状は私目にはよく分かりません)、わざわざそれを目立つ仕方で取上げるというあり方それ自体が、一つのある固定した見方を前提にしているということに注意する必要があると言いたいのです。
けれども、やはりこの映画にはそういう偏見ばかりではなく、東洋に対する憧憬というのもそこかしこ感じられるような気がします。この映画或は東洋を舞台にした映画では、活気に溢れた街中の様子が全篇を通じて描写されているものが多いのですが、不思議なことにこういう生活のディテールを感じさせるようなシーンが描写されている映画というのは、何故か決まって東洋の国或はイタリアやスペイン等のラテン系の国が舞台になっている場合が多く、何やらあたかもアメリカ人達は自分の国の生活を生に描写するのを嫌がっているのか、それともそういう生命感溢れる生活は国内にはもう存在しないと思っているかのごとく見えることが多々ありますね。いずれにしても、この映画では香港の活気溢れる様子がよく描かれており、日本も同様なのですが1960年或は70年代を通してのこの国の経済的ブレークスルーをもたらしたもののエネルギーの源泉をちらりと窺うことが出来るように思います。それからホールデンが、同じ西洋人のシルビア・シムズよりも東洋人のナンシー・クワンに惹かれるのも、前段で述べたような意味において彼が心情的には東洋的な位置にいるということもあるのかもしれませんが、何やらいかにも西洋の上流階級的に上品に纏まったシムズよりも、明日は何が起きるか分からないというこの頃のこの国の状況と同様なダイナミズムを持つクワンに大きな魅力を彼が感じているからなのかもしれません。またそれがある意味において、この頃の西洋人が東洋について感じていたポジティブな面の一つなのではないでしょうか。けれども時代は流れて2000年を過ぎた今日では、東洋も果ての果てに位置する日本ですら、状況は如何にもアメリカ的になってしまったのではないでしょうか。どうもこの映画で見られるような活気というのは、ここ日本にもありませんね。そういうわけで、何か新鮮なイメージがこの映画を見ているとするのはかなり逆説的なことなのかもしれません。まあそれは別としても、この映画のエキゾティックな香港の風景描写は、東洋人の私目で見ても実に魅力的ですね(きっと私目の頭の中がアメリカンカルチャーで汚染されているのかもしれません)。
さて最後になりますが、女優さんのホームページも出している私目としては、このチャーミングなレディ、ナンシー・クワンに触れないわけにはいかないでしょう。彼女はこの映画で鮮烈にデビューし、60年代を通じてハリウッドの映画にしばしば出演しています。正直に言って典型的に東洋的な顔立ちをしているとはいい難いかもしれませんが(私目などたとえばシャーリー・マクレーンの方が東洋的に見えることすらあります)、いずれにしても東洋の女優さんの中ではハリウッドで最も成功した人の一人なのではないでしょうか。70年代以降はあまり国外で活躍することはなくなってしまったのが何とも残念ですね。

2000/07/30 by 雷小僧
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