サイレント・パートナー ★★☆
(The Silent Partner)

1979 CA
監督:ダリル・デューク
出演:エリオット・グールド、クリストファー・プラマー、スザンナ・ヨーク、セリーン・ロメス



<一口プロット解説>
野暮ったい銀行の出納係エリオット・グールドは、ひょんなことからクリストファー・プラマーの銀行強盗計画を察知し、逆にそれを利用して自ら大金をせしめてしまう。それを知ったプラマーは激怒して彼を追い詰めようとする。
<雷小僧のコメント>
最も1970年代的な俳優さんは誰かという質問があれば、私目はチャールズ・ブロンソンでもスティーブ・マックイーンでもロバート・レッドフォードでもなく、真っ先にエリオット・グールド(と恐らくジョージ・シーガル)を挙げます。何故ならば彼のアンチヒーロー的且つアンチクライマックス的キャラクターがそういう印象を強く与えるからなのですね。マックイーン、レッドフォードがいつもヒーロー的ヒーローであったのに対し(後で述べるようにブロンソンはヒーローではあるのですがヒーロー的ヒーローとは呼べない面がありますね)、ハンサムというにはほど遠い容貌をした彼(あれならば俺の方がマシだと思う人はいくらでもいるでしょう)はいつもどこかだらしなく且つ頼りない役を演じていて、たとえばアルトマンの「ロング・グッドバイ」(1973)ではいかにもダサいフィリップ・マーローを演じて物議を醸していました。1970年代に入ると徐々にこのグールドのようなタイプの全くヒーロー的ではないアンチヒーロー的俳優さんが主演する映画が登場するようになります。たとえば、「フレンチ・コネクション」(1971)のジーン・ハックマンがそうです。勿論この映画がハックマンのデビュー作ではないのですが、私目が子供の頃何やらジーン・ハックマンというすごい俳優さんが現れたぞというのを聞いて、どんなカッチョいい俳優さんなのかと思っていたら、なななななななんと!40過ぎのおっさんではないか(まずい!今では私目も40ではないか!げげげげ!)と思ってしまったことを今でも覚えています。いずれにしても、彼はこの映画で執念深く且つ犯人逮捕のためなら何でもするというような、言わばヒーロー的騎士道精神が限りなくゼロに近いポパイ刑事を演じ、映画に新たなるキャラクターパターンを導入することに成功したわけです。逆に言えば、ハックマンのような俳優さんが主役の座に座れるようになったのはそれが1970年代であったからこそであり、それ以前ならば貴重な脇役ではあり得ても決して主役にはなれなかったはずです。それから前出したチャールズ・ブロンソンもそうです。勿論彼の演じるキャラクターはハックマンのように大きく屈折したものではないのですが、まずその風貌が以前のヒーローのイメージとは全然違うのですね。しかも彼の場合のヒーローというのは、そういう邦題の映画もあったようにストリートファイター的なヒーローであり、かつての高貴且つ華々しいヒーローというよりは何か路地裏ヒーロー的印象が強いのです。またクリント・イーストウッドのダーティ・ハリーも確かに一人で悪者を血祭りにあげるというような従来のヒーロー的側面があるのは否定出来ないところですが、それと同じくらいの割合で反権威的且つ公共の秩序良俗を乱してまで犯人を追いかけるというアウトロー的な側面が強調されていたが故に、当時あれ程受けたということもまた間違いないように思われます(昨今の映画においては、そういうキャラクターはいくらでも跋扈していて全く珍しくもないばかりでなくそれが普通になっているわけですが)。そしてこれらの俳優さん達よりもはるかにアンチヒーロー的なキャラクターを有していたのがエリオット・グールドであり、まさに彼は語の真の意味においてアンチ−ヒーロー的でありそれ故1970年代的なのです。アンチヒーローというのは、ヒーローの反対の悪、或はダーティー(dirty)とかイーヴル(evil)というのとはまた違っていて、実はアンチクライマックス的なキャラクターを指すと私目は考えているのですが、要するにドラマチックなクライマックス性を全く持たないのがアンチヒーローなのです。その意味においてたとえば、アル・カポネというキャラクターは悪ではあってもアンチヒーローではなかったことになるわけであり、善悪の判断を抜きとれば彼もまたヒーローたり得るのです(その証拠に犯罪者の仲間の間であれば彼はヒーローということにもなるでしょう)。
というわけでそのアンチヒーローの権化のようなエリオット・グールドが主演しているのがこの「サイレント・パートナー」です。この映画でも彼は銀行の出納係といういかにもアンチヒーロー的なキャラクターを演じているのですが、けれどもここが実に面白いところなのですが、この銀行強盗を扱った映画で一介の出納係を演じているにすぎない彼が、被害者を演じているわけでは決してないのです。すなわち、強奪された金額を水増しして報告し、差額を自分の懐にちゃっかり収めてしまう彼もまたある意味においてプラマー以上の犯罪者なのであり、しかも他人のあさった死肉に食らいつくはげたかのような犯罪者なのですね。従って彼は正義の味方的ヒーローでもなければ、またアル・カポネ的な悪でもなく、実にさもしい根性をしたアンチヒーローなのです。動物アクションアニメがあったとして鷹が主人公になることはあってもはげたかがそうなることは決してないといえるように思いますが(何じゃそりゃ?)、この映画はまさにそのはげたかが主人公なのです。それにしても彼のダサさはどうでしょう。くすねた金を保管してある貸し金庫の鍵を何と!このおじさんはビン入りジャムの中に埋め込んで隠してしまうのです。一体どこのだれがそんな気色の悪いことをするのでしょう。家政婦が間違えて生ゴミに出してしまって慌てている彼の姿は、実にカッコ悪くダサいのですね。それからデートをしていてもななななななんと!買ったばかりの熱帯魚が入っているビニール袋を持ち歩いているのです。というような按配で風采の上がらないのがトレードマークのような彼が、この頃から暴力的な役廻りが板に付いてきたクリストファー・プラマー演じる銀行強盗と対決するわけですが、面白いのは両者とも犯罪者であるが故に互いに敵でありながらもある意味で共犯者であらざるを得ないという点が、この映画の面白さの1つになっているのです。暴力的にグールドを追いつめようとするプラマーに対し、グールドの方は巧妙なトリックで対抗するのですが、いかにも風采の上がらない彼が次第に状況を逆転させていき、最後はものの見事にプラマーを罠にかける辺りは、この映画のストーリーテリングの巧妙さ及びテンポの良さを示しているように思われます。まあそういう風采の上がらない彼でも、一歩また一歩とプラマーとの位置を逆転させていきながら徐々に自らも自信をつけていくあたりは(何せデートをしていてもおたくのように熱帯魚の話ばかりしていた彼が、キザなセリフを吐くようになるのです)、彼と同じように風采の上がらぬ人間にとっては(え!オレはそんなことはないゾ?)なかなか共感出来るところなのですね。
それからこの映画、最後はこのアンチヒーローたるエリオット・グールドが金と女(スザンナ・ヨーク)をまんまとせしめてしまうところでエンドになるのですが、銀行強盗映画における銀行強盗の成功率というのは極めて低い(すなわち内輪の争いが発生して仲間の誰かが逮捕され口を割ってしまうとか、盗んだ金が何らかの理由でパーになってしまうとかいうように、銀行強盗映画で銀行強盗がこの世を謳歌してエンドになるということはまずないのですね)ことを考えると、まさに彼がアンチヒーロー的であるが故にこういう結末になるのであろうなという気がします(勿論彼自身が銀行強盗をしたわけではないのですが、ワルの上前をハネるというようなある意味で銀行強盗以上にアンモラルなことをしているわけです)。まあコメディ的な銀行強盗映画であってすらも銀行強盗がなかなか成立しないのは、モラル的な観点が入り込むが故であるように思いますが、ある意味でアンチヒーロー的な存在というのは結構そういうモラル的な側面からは離反することがあるのですね。すなわちアンチヒーローというのは、ヒーローに対するアンチであるというよりも、正義の味方=ヒーロー対悪というようなモラリスティックな判断様式自体とは全く異なる様式であるという意味におけるアンチなのではないかということであり、たとえば「フレンチ・コネクション」のポパイ刑事がアンチヒーロー的であるのは、彼の風采そのものも勿論ありますが、まさにヒーロー=正義VS悪という従来的な図式に全く依拠していない点に関してよりそのように言えるわけです。またダーティ・ハリーでダーティなのは警官であるクリント・イーストウッドの方なのであり、いわゆる善玉=クリーンな正義の味方、悪玉=ダーティなアウトローという基本方程式から完全に逸脱しているわけです。まあ70年代と言えばベトナム戦争が泥沼化し更には敗戦ということになる時代であり、何に関してでもストレートフォワードであったはずのアメリカ人達も単純に正義対悪というようなモラリスティックな判断を自信を持って信ずることが出来なくなったが故にこういうアンチヒーロー的なキャラクターが登場し始めたのではないかと言ってしまうと、いかにも陳腐なクリーシェのように聞こえてしまうのですが、あながちはずれているわけでもないように思われますね。それからこの件については別の映画を題材にして述べたいと思っていますので、ここでは詳述はしないことにしますが、映画自体の寓話性がどんどんなくなっていくのが70年代から80年代にかけてであり、70年代にアンチヒーロー的キャラクターが増えてきたということも、そういう傾向と何らかの関連があるように思われます。
ということでこの映画はいかにも70年代終盤頃の映画だなという印象があるのですが、カナダのトロントでしょうか、バックがこの小品の舞台としてはよく合っていて、全体的な纏まりが非常によいように思われます。確かにクリストファー・プラマーが金魚をピンで突き刺して壁にとめたり、割れた水槽のガラスで彼を裏切った女の生首を掻き切ったりというようにバイオレンスシーンに時折走るのですが、まあ彼の暴力性を表現しているというように考えて大目に見てあげることにしましょう。それからグールドの反撃が頂点に達するラストシーンはやはり意外性もあって見物でしょうね。この映画は、一番最初のグールドがプラマーの銀行強盗計画を察知するところ(カーボン用紙に残っていた筆跡とプラカードの筆跡が一致していたことから彼の計画を察知する)から、この最後のシーンに至るまでストーリー展開が実に巧みに組み立てられていて、犯罪ものとしては非常に面白い部類に入るのではないかと思います。それからイギリスの女優さんスザンナ・ヨーク(中央の画像参照)がまだまだ魅力的なところを見せています。もともと童顔であると言えばそうだったのですが、そういう人は逆に老けて見えるようになるのが意外に早かったりするものですが、当時既に40才近くなっていたはずの彼女であるにもかかわらず昔のチャーミングさが失われていないのが実に嬉しいですね。というわけでカナダ産の小品ながらなかなかお薦め品の映画です。

2001/06/09 by 雷小僧
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