コンドル ★★☆
(3 Days of the Condor)

1975 US
監督:シドニー・ポラック
出演:ロバート・レッドフォード、フェイ・ダナウエイ、マックス・フォン・シドー、クリフ・ロバートソン



<一口プロット解説>
コンドル(ロバート・レッドフォード)が所属するCIA部署が、ある日突如武装集団に襲撃され彼を残して全滅する。残されたコンドルは、最初は殺し屋から必死に逃げ回るが、やがて徐々に反撃を開始する。
<入間洋のコメント>
 その昔始めてこの映画を見た時、随分と風変わりでモダンな感覚のある映画であるような印象を受けた。というのも、まず冒頭のタイトルバックに流れるデーブ・グルーシンの風変わりな音楽が妙に新しく感じられた上、タイトルクレジットが、その頃は一般にはまだあまり知られていなかったコンピュータから出力された文字として現れるのが実に新鮮であったからである。勿論、そのような技巧は現在ではむしろ逆に古臭く感じられてしまうのがオチだが、公開当時は大きな効果があったことは確かであろう。シドニー・ポラックはまだ現役の監督であり、また俳優としても時々顔を見せているが、この作品が製作されてからもう30年も経ったことが信じられないような気がする。

 さてこの映画は、CIAの内部分裂というアイデアを出汁にした一種のスパイ物ポリティカルミステリーサスペンススリラーとでも言うべき映画であり、ややジャンルの特定が難しい作品である。何故ミステリーであるかというと、冒頭でCIAのある支部がロバート・レッドフォード演ずる主人公のコンドル(コンドルとは暗号名である)一人を除いて全員射殺されてしまうが、誰が何の目的でそうしたのかという問いによってオーディエンスは最後までストーリーに惹きつけられるからである。何故サスペンススリラーであるかというと、調査研究を専門とする素人スパイのコンドルがプロの殺し屋(マックス・フォン・シドー)の手からいかに逃れるかに終始ハラハラドキドキさせられるからである。何故ポリティカルであるかに関しては後述する。スパイ物映画と言えばボンドシリーズのようなパロディ的な作品を別にすれば、それまではソビエトを代表とする東側諸国がスパイ活動の対象であり敵は外部に存在した。ところが、この「コンドル」においては、敵はCIA内部に存在するのであり、要するに内輪もめということになる。そのように考えてみると、この映画はある程度当時の政治的状況が反映されているという強い印象を受けざるを得ない。内輪もめと言えば、たとえば「コンドル」が製作された頃に発生したウォーターゲート事件などは言ってみればアメリカ政治の壮大なる内輪もめである。ウォーターゲート事件に関しては「コンドル」の翌年に同じくロバート・レッドフォード主演により製作された「大統領の陰謀」(1976)で詳しく扱われているが、当時の世相を反映しているという点においては「コンドル」もまた同様である。またアメリカがベトナムから撤退するのも丁度この頃であり、いわば矛先が外部の敵よりも徐々に内部に向かうようになったのがこの頃のアメリカの政治的状況であったと言えよう。

 またそれと同時に、裏を返せば外部の敵が実はそれ程大したことはないということが分かりかけてきたのも1970年代であったと言えるのではなかろうか。確かにアメリカはベトナム戦争に敗れ、アフリカや南米のいくつかの発展途上国が左傾化したのもこの頃であったが、国際的な政治情勢がそうであったとしても、経済的な面から言えば社会主義、共産主義は実は大きな問題を抱えているのではないかということが現実的に見え始めたのもこの頃であった。これに対し1950年代や1960年代の初頭には経済成長率では資本主義諸国よりもいくつかの共産圏諸国の方が上回った頃もあり、ひょっとすると資本主義よりも社会主義の方が本質的に優れているのではないかという疑いが西側知識人の脳裏をよぎったこともあったはずである。映画界をも巻き込んだマッカーシズムなどは、そのような状況における過剰反応として捉えられるだろう。しかし1970年代に入るとソビエトを始めとする東側諸国の経済は逼迫し始め、F・A・ハイエクのような競争的な自由市場の存在を前提とした自由主義経済の旗手達がかつて警告したように、計画経済は全体主義のような抑圧手段抜きでは破綻するであろうという予言が恐らく間違いないであろうことが明確化する。その頃の国際情勢が示すように西側がたとえイデオロギー的な圧力として社会主義に劣っていたとしても、人間が存続する上で必要不可欠な要素である経済面において優っているならば、外面的な政治状況はそれ程気にする必要はないとも言えることになり、事実は1980年代以降その通りの展開になる。すなわち1970年代の政治的状況における発展途上国の左傾化傾向が、その本質において西側資本主義に対する社会主義/共産主義の絶対的優位性を示すわけではないことが経済面において証明される展開になる。そもそも社会主義/共産主義のエッセンスの大きな部分は経済面に存することを考えれば、その経済が破綻すればイデオロギーとしての社会主義/共産主義も後追い的に破綻することが論理的必然であることは明らかであったということである。かくして、1950年代や1960年代を通じて強大であるように見え、あまつさえ本書でも取り上げた「影なき狙撃者」のような作品をその脅威により生み出してきた外部の敵も実は大きな問題を抱えていることが分かり始め、敵は外部にありというよりもウォーターゲート事件やベトナム戦争敗戦の余波で内部紛糾を始めたというのが1970年代のアメリカの政治的な状況であったと言えるのではなかろうか。そのような世相がCIAすなわち己の国の官僚組織の内紛というストーリーに見事に反映されているのが「コンドル」であり、従って冒頭でこの映画はポリティカルであると言った次第である。

 そのように当時の政治的な状況が色濃く反映されている点がこの作品の第一の大きな特徴であるが、それに加えこの映画でもう1つ面白い点は、悪の張本人が錯綜した官僚機構の網の目に埋没して見えにくいことである。最後に明かされる悪の張本人は、個人としてはただのオッサンに過ぎない。つまり限りなくnobodyに近いようなオッサンが指令を出してコンドルの所属するCIA部門を抹消したことになる。何が悪であるか或いは敵が誰であるかが不透明であり、ここには現代の官僚主義社会のミステリーが存在する。その点において、マックス・フォン・シドー演ずる殺し屋の存在が実に興味深い。自身で述べるように、彼は主義主張に基づいてではなく単なるビジネスとして殺しを請け負っているが、このような稼業には何が悪であるかが明瞭に分からないような状況の方が遥かに都合が良い。またクリフ・ロバートソン演ずるCIA支局長の存在も面白く、彼はコンドルよりも高い地位にいるにも関わらず、本質的な面においては彼以上のことを知っているわけではない。またこのCIA支局長とジョン・ハウスマン演ずる高官の間で交される会話の中で、後者が昔の明瞭性(clarity)が懐かしいと述べるが、この言葉が官僚機構の不透明性及びそこに埋没する悪を見分けることの困難さを如実に物語っている。誰も知らないところで誰も知らないようなnobodyが、錯綜した官僚機構の網の目を潜ってとんでもないことを実行しているという官僚化された社会のミステリーがこの映画ではうまく表現されている。従って、この映画のハイライトである悪の張本人が割れるラストシーンは、クライマックスではなくむしろアンチクライマックスである。何しろ、それによって巨悪が糾弾され正義が復権されたというのではなく、ただのオッサンが半ば妄想気味にゲームをしていたということが暴露されるのみだからである。しかもそのオッサンは、素人スパイのコンドルに問い詰められた挙げ句、敢え無く自分が雇った殺し屋に殺されてしまう。要するに官僚機構の外に一歩でも足を踏み出せば何も出来ないオッサンが、官僚機構という砦に守られて悪事を重ねていたということであり、それならばそもそもそのような官僚機構の存在がなければこのストーリーの中で展開されているような悪は存在しなかったはずではないかと思わせるところが、この映画の持つ1つのポイントでもある。たとえ妄想によって誇張されていたとしてもコミュニズムという白黒がはっきりした恐怖に脅えて製作されていた1960年代の映画と、いかにこの映画が異なるかが理解出来よう。

 また、「コンドル」には、錯綜し且つ緊張感溢れるストーリーの中にあって痛快な側面もあり、それは素人スパイのコンドルが逆にその素人性によってCIAの上層部やプロの殺し屋達を次々と出し抜いていくところにある。最初はおどおどしていたコンドルが反撃に転じていくところが実に痛快である。この映画をミステリーとして捉えると、ミステリーの糸を徐々にほどいていく探偵役はロバート・レッドフォード演ずるコンドルであるということになるが、この映画は通常の探偵映画とは違い、探偵役となるはずのコンドルが状況にどっぷりと漬かっている。そのような立場からミステリーの糸をほどくに従い、彼の立場も弱者から状況を支配する側に変化していくプロセスが、彼に感情移入するオーディエンスの立場からすれば実に小気味が良い。一言で言えば、ストーリー展開が良く出来ているということである。但し難を言えば、良く分からない登場人物が錯綜したストーリーを更に錯綜させているような難点も存在する。たとえば最初の方のシーンでハイデッガーという人物が殺されるが、まさか丁度この当時亡くなったドイツの高名な哲学者のことではないという確信だけはあるが、現在でもこの人物がストーリー上どのような位置を占めるかが良く分からない。いずれにしても「コンドル」は、21世紀になっても未だ現役であるシドニー・ポラックの代表作の1つであることに間違いはなかろう。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2004/01/17 by 雷小僧
(2008/10/18 revised by Hiroshi Iruma)
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp