アルゴ探検隊の大冒険 ★★☆
(Jason and the Argonauts)

1963 UK
監督:ドン・チャフィ
出演:トッド・アームストロング、ナンシー・コバック、オナー・ブラックマン、ナイジェル・グリーン



<一口プロット解説>
ギリシャ神話に基くストーリーで、主人公のジェーソンは世界の果てにあると言われるゴールデン・フリース(金の羊毛)を求めて、ギリシャの勇者達と共に船に乗って旅立つ。
<入間洋のコメント>
 この映画を取り上げた理由の1つは、この作品が1950年代及び1960年代をメインに活躍した特殊効果の神様レイ・ハリーハウゼンの代表作の1つだからである。ハリーハウゼンの特殊効果は、複雑な関節構造を持つ人形を駆使して、人形の個々の関節を1コマ1コマ少しずつずらしながらアニメーションを製作するという非常に手の込んだ技術が用いられており、たとえば髪の毛一本一本が蛇で構成されるメデューサのアニメーションを製作する場合、個々の髪の毛の位置を少しずつずらせながらアニメーション処理を行うというような手順が取られる為、完成迄には気の遠くなるような労力が強いられる。ハリーハウゼンの特殊効果が用いられた映画においては、このような人形アニメーションと実写が合成されることになるが、その結果その映画に不自然とも言える独特な印象が与えられることになる。彼の特殊効果が利用されたある作品のDVDの特典の中でハリーハウゼン自身が述べているように、彼の特殊効果の最大の狙いはオーディエンスの想像力をいかにして飛翔させるかという点にあり、決していかにリアルに見せるかではなかった。現代の映画においては、架空のストーリーであってもいかにリアルに見せるかという点に重点が置かれがちになる傾向があるが、架空のストーリーとはオーディエンスの想像力を膨らませる為の1つの素材であると見なすならば、その最良の手段は必ずしも全ての情報を一部の隙なく充たしてしまうリアルさを提供することではなく、想像力を働かせる為の余白を残しておくことが重要になることは言うまでもない。不自然とも言える迄のハリーハウゼンの特殊効果は、架空のストーリーとオーディエンスの想像力との間の効果的な接点として機能し、想像力を飛翔させる為の媒介として極めて有効であったことが「アルゴ探検隊の冒険」を見ていると明瞭になる。

 その点について、更に詳しく述べてみよう。まず指摘可能なことは、ビジュアル的に不自然に見える彼の特殊効果は、それによって聴覚的或いは触覚的な効果をも生み出していることである。たとえば「アルゴ探検隊の冒険」における例としては、ギシギシと音を立てそうな程ギクシャクした動きをする巨人タロス、滑らかでウニョウニョした動きが気色の悪いヒドラ、或いはポキポキと音をたてそうな骸骨などである。映画というメディアはその性質上視覚が中心になることはやむをえないが、ビジュアルな手段によってビジュアルな効果を得るのみではなく、それによってビジュアル以外の効果をも演出すること、これこそが見る者の想像力の飛翔を強力に媒介する要素の1つとなることは言うまでもない。この点においてハリーハウゼンの特殊効果は恐ろしい程有効に機能しており、彼の特殊効果によってビジュアルな手段による五感(さすがに嗅覚と味覚は苦しいかもしれないが)のオーケストレーションという荒業が奇跡的に成就されていると言っても必ずしも言い過ぎではなかろう。「インプットとしてはビジュアルなものではありながらもそれによって五感のオーケストレーションを効果的にアシストし、それを通じて見る者の想像力を飛翔させる」こと、これこそが彼が映画というメディアにもたらした最大の貢献である。現代の映画がともするとビジュアルな手段によるビジュアルな効果の突出になりがちであるのとは大きく異なるということである。

 さて、レイ・ハリーハウゼンの特殊効果以外にも「アルゴ探検隊の冒険」には注目すべき点がある。それはこの映画が、ギリシャ神話を題材としていることである。ギリシャ神話が興味深いのは、近代小説のみならず歴史というパースペクティブそのものをクリエートしたとも言えるキリスト教の影響を受けた文学よりも遥か以前に生み出されたものである為、極めて特異な性質があるからである。そのようなギリシャ神話の特異性がこの映画でも効果的に表現されている。まずギリシャ神話の特質として挙げられることは、重要な登場人物(?)であるオリンポスの神々が、キリスト教などの近代宗教の一神教的な普遍抽象的な神様とは異なりむしろ具体的な存在であり、いわば人間の上に立つ上位存在であるというよりは人間と併置的な存在であったことである。この映画でも主人公のジェーソン(トッド・アームストロング)がオリンポスに連れて行かれそこで出会うのは、威厳に満ち溢れたただ一人の神様ではなく、人間世界をチェスに見立てて楽しんでいる複数の具体的な神様達であり、そもそも人間が神様に出会うなどというイベントそのものが人間と神様の併置性を示していると言えよう。ここにあるのは、普遍的な原理に基づく一神教的な神ではなく、人間同様それぞれがそれぞれの個性さえ持つ神々である。

 また、文芸評論家のエーリッヒ・アウエルバッハによればギリシャ神話の物語構成は極めて併置的であると言われるが、この映画でもそのような特徴がよく現れている。併置的とはどのような意味かというと、各エピソードが何らかの上位レベルでの文法に従って統合的に配置されるのではなく、たとえば巨人タロスとの闘い、ヒドラとの闘い、不死のスケルトンとの闘いといったような個々のエピソードが並列的(paratactic)に配置されていることを言う。古代におけるこのような並列性は神話のみではなく、たとえば美術に関しても当て嵌まる。美術史家のE・H・ゴンブリッチは、アートの歴史を扱った世界的なベストセラーの中で、古代美術の特徴の1つとして、遠近法のような統合的な視点が全く存在せず、個別のオブジェクトが各々最も明晰に見えるように並列的に配置される傾向があると述べている。たとえば同一の絵の中に垂直方向から見た池(水平方向から見ると池の中を泳ぐ魚を見ることが出来ないのである)と水平方向から見た木がより高次の規則に従うことなく平然と並べられる。これに対して、文学にしても美術にしても、時代が下ってくると個々のシーン或いはオブジェクトが高次の文法によって統合される傾向が顕著になる。美術では遠近法が最も良い例であろうが、より卑近な例を挙げよう。かつて巷を席巻したファミコンゲーム「ドラクエ」で主人公がモンスター達と戦うのは、単にその場その場でモンスター達を負かすことだけが真の目的ではなく、主人公の経験値を上げる事が目的の1つであり、またそのようにして経験値を上げることにより、最後にボスキャラを打ち破ることが最終的な目的になる。ところがこの「アルゴ探検隊の大冒険」を見れば分かるように、ギリシャ神話における冒険においては「ドラクエ」のように主人公が経験値を上げて成長していく様子が描かれているのでは全くなく、そもそも主人公のジェーソンは最初から成長したキャラクターとして登場する。というよりも成長過程にある20年は一瞬にして飛ばされ、彼の成長を描くのがストーリーの主旨ではないと言わんばかりですらある。また、たとえば巨人タロスとの闘いなどにおいて、ジェーソンが打ち破られそうになると、オリンポスの女神であるヘラが介入してきて彼を助けるが、「ドラクエ」でそのようなことが起こればそれはチーティングと呼ばれるだろう。或いは、ジェーソン達の乗った船が狭い海峡を横断しようとした時に両岸が突如狭まってきて彼らを押しつぶそうとするその瞬間、突然巨大な神様が出現しジェーソン達が海峡を横断し終えるまで両岸を両手で抑えてくれるが、主人公の成長に主眼のある近代冒険小説でそのようなシーンが挿入されれば誰もそんな本は買わないだろう。しかし、この映画は近代冒険小説が原作ではなくギリシャ神話が元になっているのであり、そのような都合の良いシーンを不適切であるとする上位レベルでの文法が希薄である為にそれらのシーンがそれ程不思議には見えない。そもそも前述したように神様と人間が併置的な存在として扱われているギリシャ神話においては、くだんの巨大な神様も人間達と同等な資格を持ってストーリーに登場しているとも言える。確かにこの「アルゴ探検隊の大冒険」でも世界の果てにあるゴールデン・フリース(金の羊毛)を持ち帰ることが1つの目的となってはいるが、それが各エピソード間の強力な結合要素として機能しているかというと決してそのようなことはなく、むしろ個々のエピソードを語りたいが故にその言い訳としてゴールデン・フリースの獲得というテーマが置かれていると言った方が正解であるようにすら思われる。現代のアクション映画では、持続的なストーリー性よりも瞬間的なアクション性が重視されることは「アクション映画のルーツはイギリス映画?《007は殺しの番号》」で述べたが、ギリシャ神話及び「アルゴ探検隊の大冒険」のこのような併置的構成様式は或る意味で現代のアクション映画と共通する面があると言えるかもしれない。裏を返せば現代のアクション映画とは古代的思考様式への先祖返りであるということになるが、さすがにこれは言い過ぎであろうか。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2001/08/11 by 雷小僧
(2008/10/15 revised by Hiroshi Iruma)
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