Smile ★☆☆

1975 US
監督:マイケル・リッチ
出演:ブルース・ダーン、バーバラ・フェルドン、マイケル・キッド、ジェフリー・ルイス


ビューティページェント(本来の発音はパジェントの方が近いのですが)を扱った映画というのは、この作品と最近の「デンジャラス・ビューティ」(2000)くらいしか思いつかないのですが、言ってみれば映画のテーマとしてはかなりゲテモノでしょうね。「デンジャラス・ビューティ」の方はコメディ的要素にミステリータッチが加えられていたのに対し、こちらはコメディタッチは無きにしもあらずですが、ビューティページェントを扱うこと自体が目的であるような映画であり、思わずよくこのような題材を映画にするなと感心してしまいました。しかし実は、この映画、あちらでは評価が極めて高いのですね。というのは何故かというと中産階級的なダブルスタンダードモラルがビューティページェントを舞台として絶妙な仕方で風刺的に描かれているからです。すなわち、ビューティページェント(美人コンテスト)とはまさに誰が最も美人であるかを決めるコンテスト(ただ一人の勝者を決める競争)であるにも関わらず、その存在意義として調和であるとか人に対する思いやりであるとかいうようなモラル的側面が異常な程に強調されるのです。たとえば、ビューティページェントで各参加者が行うパフォーマンスではそういうモラル的側面が強調されたものでなければならないと見做されており、この映画のタイトル「Smile」にもあるように常に笑顔で他人との調和を乱さず決して「鏡よ鏡よ鏡さん。世界で一番美しいのはだーーれ?」とか言いながら一人で鏡に見入っていてはいけないわけです。表向きビューティページェントがコンテストであるというよりはモラル教育の一環であると見做されているということは、「デンジャラス・ビューティ」で、キャンディス・バーゲン演ずるビューティページェントの主催者がビューティページェントは教育プログラムであると言っているのを見ても分かります。ビューティページェントにおいては、競争であるにも関わらず他人を蹴落とそうとする素振りを少しでも見せれば、それはチャンピオンになるには相応しくないと見做されてしまうのであり、言い換えればビューティページェントの参加者は人類学者グレゴリー・ベイトソン言うところのダブルバインド的シチュエーションに置かれていると言っても過言ではなく凡そ不可能なことが要求されているわけですね。すなわち、勝つ為には勝ってはならないのです。何故ならば、勝つことは本質的には他人を蹴落とすことであるからです。そのような考え方はビューティページェントの勝者を司会者が発表する時の実に曖昧且つ微妙なアナウンスの仕方に如実に現れています。まず次点を発表する時のアナウンスは、

Remember, ladies and gentlemen, that if, for any reason, our California young American miss selected tonight is unable to fulfill her responsibilities, this is the girl that would take her place. Our first runner-up・・・
(皆さん、もし何かの理由で今晩選ばれたカリフォルニアの若いミスアメリカがその責務を充たすことが出来ないならば、その代りは彼女が務めるでしょう。次点は・・・・)

というようなものです。非常に儀式的且つ婉曲的な言い方なのですが、要は実際は次点というのは敗者の一人であるわけですが、その事実を巧妙に隠す言い方をしているわけです。何故そうするかと言うと、ビューティページェントには表向き敗者がいてはならないからなのですね。それが最もよく分かるのが優勝者のアナウンスでそれは以下の通りです。

Remember there are no winners and losers here, because each of our girls is a winner. But if there ever was a winner, this would be it. This is the gal・・・
(ここでは勝者も敗者もないことを思いだして下さい。何故ならばここにいる一人一人が勝者であるからです。しかしながら、もしただ一人の勝者がいたとしたならば、それは彼女でしょう。勝者は・・・)

「if there ever was a winner」という言い方は、中学校の英語で習ったように仮定法過去であり、現在の事実に反する仮定をする時にこの用法が使用されるはずにも関わらず、ここではそのような言い方がされています。これから選ばれる勝者は現在の事実に反するわけでは全くないどころか事実そのものであるはずなのにそのような言い方がされるのは、本当は勝者がいてはならないと考えられているのにも関わらずそれを選ばなければならないという二律背反がそもそもビューティページェントの本質としてあるが故に、このような婉曲的且つ技巧的な言い回しが必要になるからなのですね。以下はおまけで、「デンジャラス・ビューティ」でウイリアム・シャトナー演ずる司会者が勝者と次点を同時に発表する時のアナウンスですが、「Smile」とほとんど同じような婉曲的な言い方がされているので、アメリカのビューティページェントではこのような言い方がスタンダードに行われているということなのでしょうね。

The first runner-up who will have to take the winner's place if, for any reason, she cannot fulfill her duties is New Jersey, which means our new miss United States is Rhode Island!
(勝者が何かの理由でその義務を全う出来なくなった場合にその代りを務める次点者はニュージャージーです。すなわち、我々の新しいミスアメリカはロード・アイランドです!)

というわけでニュージャージーとは我らがサンドラ・ブロックのことであり、彼女は惜しくもミス・アメリカにはなれなかったということです。

まあ本来このような裏と表の二枚舌的ダブルスタンダードは日本人の専売特許かと思っていたのですが、意外やストレートなピープルであると思われているアメリカ人にも結構そのような傾向はあるのだなと思わず安心してしまいました。このようにこの映画は一種の社会風刺映画として捉えるとなかなか面白いのは確かなのですが、やや全体的な展開にメリハリがなくあちらの評者が言う程優れているとも私目には思えないところで、殊に娯楽的な面白さという点では「デンジャラス・ビューティ」の方が遥かに優れていますね。尚、若いメラニー・グリフィスがビューティページェントの参加者の一人として出演していますのでもし見る機会があれば捜してみて下さい。


2003/06/14 by 雷小僧
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