My Favorite Year ★★★

1982 US
監督:リチャード・ベンジャミン
出演:ピーター・オトール、マーク・リン・ベーカー、ジョセフ・ボローニャ、ジェシカ・ハーパー

左:マーク・リン・ベーカー、中:ピーター・オトール、右:ジェシカ・ハーパー

この映画は非常に素晴らしい映画であると思うのですが、日本語タイトルを探しても見つからないので日本未公開であるように思います。元来そういう映画を日本語レビューのページで書くのはよろしくないのかもしれませんが、80年代の映画の中では私目の最も好きな映画の1つなのでここに挙げました。この映画の監督のリチャード・ベンジャミンは俳優でもあるのですが、どうも俳優としては今一つパンチ力に欠ける人だったのですが(奥さんは女優のポーラ・プレンティスであり、インターネットのどこかのサイトでインタビューがありそこでプレンティスは自分よりもベンジャミンの方が俳優として有能であったというようなことが書いてありましたが、私目はプレンティスの方が遥かに俳優としては上であったと思うのですがどうでしょう)、監督としてはなかなか手腕を発揮しているようです。ところでこの映画の何が素晴らしいかと言うと、テレビ時代の到来が今まさにやって来ようという1950年代の中頃が映画の舞台となっているのですが、登場する人々が如何にもエネルギッシュでこれからの未来を自分達で創造していくんだというような意気込みがうまく表現されている点です。これが後20年も経つと、たとえばあのシドニー・ルメットの「ネットワーク」(1976)が描くように、否定的なイメージがTVメディアに対して色濃く付着してくるのですね。ところで、実際は「My Favorite Year」が制作されたのは、「ネットワーク」の6年後の1982年なので何となく状況が逆転しているようにも思えます。けれども、この辺はアプローチは逆でも語りたいことは同じなのかもしれません。すなわち、「ネットワーク」は現代(と言ってももうこの映画ですら20年も前の話なので時の過ぎ行くのは実に速い)の否定的な側面を128倍引き伸ばして見せるのに対し、こちらはそういう否定的な側面が顕在化していなかった時代を生き生きと描くことにより逆に現在におけるそういう暗い側面をネガティブに暗示しているのかもしれないということです。過去の栄光を賛美する動機の1つには、常に現在における栄光感の欠如があるというのは1つの真理かもしれません。いずれにしても、この「My Favorite Year」を見ていると、不思議にもというか逆説的にも何かが失われたなという感覚が湧き起こってくるのですね。その1つは、この映画が描いている時代は時代の趨勢がまださ程明確でなかったということもあるのでしょうが、個人の創造力を生かせるような環境が未だあったなという感覚であり、それが登場人物のエネルギッシュな行動から透けて見えるのです。これに対し「ネットワーク」が描くのは、リアリティがマスメディアによって捏造されているような世界であり、まさにTVメディアの仕事はこの擬似リアリティをどうやって維持していくかというようなことです。ここには、個人の創造力の入り込む余地は最早なく、人間が状況を支配しているのではなく状況が人間を支配しているのであり、たとえば「ネットワーク」に登場する人物はフェイ・ダナウエイにしろピーター・フィンチにしろ状況が作り出した人間を演じているのです。ところで、最近私目が読んだ本の内で感心したものの1つに、建築家クリストファー・アレグザンダーの書いた「Pattern Language」(鹿島出版会から邦訳もあるはずですがタイトルが分かりません)という書物があります。この人物はコンピュータ業界にもオブジェクト指向ということに関連して非常に大きな影響のあった人であり、ご存知の方も中にはおられるかもしれませんね。アレグザンダーのキーワードはパターンです。パターンと言っても構造的なパターンということではなく、何がある建築物を生きたものとし、またその欠如がある建物をそこに住む住民にとって死んだものにしてしまうかというようなことです。たとえば、現代の高層建築物がそこに住まう人々にとって生きたものと言えるでしょうか。答えは明らかにノーです。現代の高層建築物の威圧感とその均質性は、本来繊細且つ多様性のある生物である人間を圧殺するものであるからです。アレグザンダー氏は、この書物の中でしばしば近代建築の祖とも言われる建築家のル・コルビジェ氏を批判していますが、機能偏重により現代の建築物が如何に人間の住まうものではなくなってしまっているかということに警鐘を鳴らしているのです。これは、何も建築物だけに限ったことではなく、文化全般に当てはまると私目は思います。「ネットワーク」の描く世界は、均質性が支配する量的な世界であり、これは2000年を迎えた現在でも変わってはいないと思います。アメリカにおいては、既に60年代の後半からカウンターカルチャーであるとかポストモダンであるとかそういう動きを通して、もっと質的な多様性を求める運動が起こってきていますが、日本においてはいまだに経済効率偏重の量的世界にどっぷりつかったままというのが実際なのではないでしょうか。この「My Favorite Year」という映画は、そういう世界にどっぷり漬かって抜け出せない我々に、何かそれとは違った価値の存在を教えてくれると言っても過言ではないでしょう。私目は、それは何もノスタルジアというのではなく現代という時代の相対化を行う為のきっかけであるように思います。

2001/02/25 by 雷小僧
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