泳ぐひと ★★☆
(The Swimmer)

1968 US
監督:フランク・ペリー
出演:バート・ランカスター、ジャニス・ルール、マージ・チャンピオン、キム・ハンター

左:ジャニス・ルール、右:バート・ランカスター

これはまた奇妙な映画です。海パン一丁の主人公(バート・ランカスター)が、他人の家のプールでちょいと一泳ぎしながらプール伝いに自分の家まで戻ってくるという恐ろしくケッタイなストーリーが展開されます。しかも、プールからプールへと渡り歩く内に、そこで出会う人々との会話を通じてだんだんと主人公の過去のネガティブな行状が浮き彫りになり、あまつさえ、家では妻と娘が待っているので長居は無用などと公言しているにも関わらず、ラストシーンでは彼の住む屋敷は実は住む人が誰もいない廃虚であることが分かります。また、彼のネガティブな過去が暴露されるにつれ、心象風景が描かれるかのごとく天候が悪化し、最後は大嵐の吹き荒れる中、住む人が誰もいない家の前で主人公が呆然とうずくまるシーンでジエンドを迎えます。極めてシュールな作品であり、内容に関してなぜという問いを発してもあまり意味はないかもしれません。たとえば、主人公が我が家であると称する屋敷が廃虚ならば、それでは一体海パン一丁の彼はどこからやってきたのか、或いは彼は精神病院から脱走してきたのかなどと問うても大した意味はないのです。しかしながら、かくしてシュールな面が色濃く存在しながらも、カウンターカルチャーに影響された当時のシュール調の作品にしばしば見られるサイケデリックでわざとらしい舞台装置が用いられることはなく、映画の題材として普通はわざわざ取り上げられない微細な日常生活シーンを素材にしてそれが表現されているのです。それだけに余計にシュールな印象を受けるという方が正しいかもしれません。日常生活において現実と理想の間には少なからずギャップがあるという印象は、多かれ少なかれ誰でもが抱いているはずですが、「泳ぐ人」はそのような齟齬を顕微鏡でどんどん倍率を上げながら暴いているかに見えます。日常のちょっとした行き違いでも、それが極大化して描かれると一種異様でシュールな印象を与え、そこには一種の異化効果が生み出されますが、「泳ぐ人」はまさにそのような異化効果が最大限に狙われている、ブレヒトさんも裸足で逃げる作品なのです。また、「泳ぐ人」はいわば一種のサイコドラマとしても捉えられます。しかしながら、「サイコドラマ」の「サイコ」という語の意味を赤裸々な心理描写、或いは深層心理などのドロドロとした個人心理に結び付けるのは誤りであり、むしろ主観的な心理描写を客観的な心象風景で代替したような印象を受けます。心理学的な用語を借りると、パラノイアック(偏執狂的)であるよりもスキゾフレニック(分裂症的)な様相が濃いと言えるでしょう。確かに見る人を選ぶ方の作品ですが、個人的には嫌いではありません。但し、陽から陰へどんどん移行する作品なので、見終わった後はブルーになること請け合いです。落ち込んでいるときは見ないようにしましょう。


2002/04/14 by 雷小僧
(2008/11/06 revised by Hiroshi Iruma)
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