会長のあいさつに代えて、中村益行会長が96年10月から熊本日日新聞紙上に連載したエッセー「きょうの発言」の一部を紹介します。会の発足の経緯などが紹介されています。

なかむら・ますゆき(脊梁の原生林を守る連絡協議会代表)
 昭和46年、国有林の除草剤大量散布への反対闘争を切っかけに熊本県上益城郡矢部町の地元住民で結成した「内大臣の自然を守る会」事務局長。同50年、町議になり現在6期目。平成6年から脊梁の会代表。矢部町津留在住。63歳。


  ΨΨわれわれが木を植えるわけ

 内大臣山系(矢部町にある九州山地の最奥部)の原生林の稜線が櫛の歯を欠くように年々まだらになっており、山々が冬枯れの様相を呈してくると、いっそう目立ってきて悲しい。現地に登って見ると、大木が無残にも根こそぎ倒れたり折れたりしていて、そこから山腹崩壊を引き起こしているところもある。カタクリの群生地もこの数年ですっかり荒れて以前の面影はない。
 山系の大半が人工林となり、原生林に覆われていたころより山全体が湿潤性を失って大木が弱っているようだ。強風がくると、杉の人工林では風のエネルギーを吸収する能力が天然林のそれとは比較にならず、もろに当たって、弱った大木は耐えきれずに倒れることになる。行き過ぎた拡大造林のつけである。
 われわれは緑のダムをコンセプトに、広葉樹林の保護と再生に取りくんできた。森林を環境保全の公共財とする視点から、あるべき林政の確立を求めてである。それに、緑のダムにはコンクリートダムを対極においた治山、治水の一元化の意味もこめている。
 一方で、われわれもまた体験を通して自然や林業について認識を深めていこうと、いま広葉樹の植林に取りくんでいる。これまで、約六ヘクタールに一万八千本ほど植えた。だがそれには内外から批判もある。
 「その程度で何の意味があるか」「行政がやるべきことなのだ」「身の丈に合った活動にとどめるべき」等々。いずれももっともな意見である。広大な山地にこれしきのことでは大海の一滴ともなりはしない。
 でも、こんな疑問や批判から皆があるべき林政について考え、同時に、森林を守り育ててきた現在の深刻な山村問題まで見えるようになれば意義は大きい。われわれの植林活動はそのためのメッセージのつもりだ。


  ΨΨ小学生とお役人と

 矢部町浜町小学校四年生の緑川見学遠足に今年も同行した。バスで上流から河口まで辿るいわば移動環境教室である。
 途中でバスを降りて水生昆虫を調べたり、ゴミの様子を見たりして次第に汚れて透明度を失っていく流れを小さな網膜に焼きつけていくのだ。河口では、「緑川の清流を取り戻す流域連絡会」(ホームページで関連リンク・天明水の会を紹介)の仲間に海の環境について毎年話をしてもらっている。
 子どもたちは、山と川と海のつながりについて学び、何よりも、自分たちが使った水や捨てたゴミが川を通って海を汚していることを実感していく。物と情報の洪水の中で、疑似体験ばかりで実際を知らない子どもたちにとっては貴重な一日だ。
 「ヘドロでアサリは採れなくなったが、ゴミはみんなが気をつけるようになってかなり減ってきている」との説明に、子どもの代表が「児童会で海をよごさないように、手づくり石鹸を使ったり、雑巾バケツの水を木の根っこに返したり、毎月空き缶拾いをしていることが少し役に立っていると思い自信がつきました。これからも続けていきます」と返していた。
 浜小では、“いのち”を基底に据えて、部落問題や水俣病問題など、人権と環境を重ねて日常的な取り組みがなされている。近ごろ環境教育が盛んになってきたようだが、まだまだイベント主義の一過性のものが多く、どう日常化させるかが課題である。
 その夜テレビで、長良川河口堰で引き上げられたまっ黒い汚泥を前に、建設省の役人がヘドロだとは言いたがらずに、「これはシルト(微細砂)だと思う」と言っていた。例によって役人の責任回避体質が言わせる屁理屈に聞こえた。
 海の汚れにそれなりの責任を感じている小学生とは文字通り雲泥の差だ。


  ΨΨ自分さえよければ…

 公害や環境破壊は、その地域に住む人々の人権を軽視する差別体質がもたらす犯罪だとも言える。水俣病問題の本質もそこにある。
 われわれの自然保護運動も、源流域の国有林に何百トンもの枯れ葉剤を撒布して、原生林を全面伐採しようとしたことへの抗議が端緒だった。山村住民の生命や安全に全く思いを致すことのない当局の官尊民卑的姿勢を糾弾する人権闘争でもあった。
 あれから二十五年、誇るべき自然のいくばくかは辛うじて守り通してきた。最近はその自然を求めて多くの人々がやって来るようになり良かったと思っている。その数も年々増え続けているが、同時にごみも増えて困ったものである。どんな山奥にも空きカンやビニール袋が捨ててあって、中には紙おむつまで捨てていく輩がいる。
 心のふるさとである自然がこんなふうに汚されていくのは、地元民にとってはこれまた自分自身が冒涜されているような思いにかられて憤りを禁じ得ない。それにしても、自然をめでる心と平気であとを汚していく神経とが同居しているのがどうしても理解できないのである。
 そんな思いを抱きながらも、都会の人間が無責任にも捨てていったごみを、山村に取り残された年寄りたちが今日も黙々と拾い集めている。その姿は、この国のいびつな社会状況を映して象徴的だ。矢部では子どもたちにも毎月決まった日に空きカン拾いをする運動が広まっていて、これはうれしい。
 かつて文化人類学者のルース・ベネディクトは、日本では幼児と年寄りに気ままな行動が許され、働き盛りの大人たちは社会の束縛を絶好の修養としていると論じたが、今はその反対のようだ。ごみのぽい捨ても政治家や官僚たちの背信行為も、自分さえよければのエゴの極みだ。


  ΨΨ有言実行で

 われわれは、広葉樹林の再生と林政の問い直しを訴える意味から、広葉樹植林を活動の一つにしている。だが、樹苗代だけでも一ヘクタール当たり百万円も要る。自分たちの拠出と篤志家の援助で賄ってはいるもののこちらは造林作業以上に大変である。
 林野庁はいま赤字だということで、このような分収造林などの民活に頼った国有林の経営をおこなっている。それでいて、巨費を投じて山腹を切り裂く大規模林道を天下り団体の森林公団に建設させたりしていて解せない。ついでに言えば、大規模林道はダム同様に自然破壊の何ものでもない。官が壊し民が守る図式がいったいいつまで続くのか。
 とはいえ、われわれもまた、緑を食いつぶす一方で大気を汚し、河川を下水溝にして海を終末処理場とした悪魔のような消費生活を続けている。この深刻な環境状況は、今よりもっと不便な暮らしを覚悟しなければ克服はできないだろう。すべては利便性に馴れ切った己とのたたかいである。われわれはこんな反省から緑川の清流を取り戻す運動も始めた。台所を海の入り口と捉え、家庭排水のたれ流しのことから考えていこうというものである。だが「共感はすれど実践せず」が大方で、危機感をもっている人はまだ少ない。さて、自然保護とは人間はもとより、さまざまな生き物が共生できる自然域を大切にすること、すなわちあるべき生態系が維持可能な自然を未来へ引き継ぐことである。それをみんなの課題にしていくのが運動団体の目的でもある。
 浜町小学校の子どもたちは「思っているだけでは変わらない、行動しなければ」を合言葉に取り組みを重ねている。環境問題は広く訴えて自らも実践してこそ全体のものとなっていく。子どもたちにまけぬよう「有言実行」でいきたい。


  ΨΨ想像力三題

 山林を育てるには、きびしい労働と、五十年あるいは百年以上もの歳月が必要である。かつて山村の先人たちは、目先の実利を追うことなく後々の世代のために黙々と育林にいそしんだものである。  それは子や孫の代の不意の出費に備えてのものであったり、集落の防災林や水源林などであったが、いつかは生い茂る見事な風景を思い描きながらの営みであった。つまり、いまの人間がなくしてしまった心豊かな想像力が緑の山々を守ってきたのだ。
 だが今や山村は過疎と高齢化で崩壊の一途をたどっており、山林の手入れをしようにも人手がいない。加えて木材価格の低迷がその再生産をさらに困難にしており、山村をめぐる問題は深刻である。  一方国有林もまた、独立採算制という蟻地獄の中の借金で危機に瀕している。天然林を切り売りしてきた自然からの収奪的経営時代の発想や制度では、資源を切りつくせば行き詰まるのは当然だ。この独立採算制は、森林を経済行為の対象としてのみにとらえた山荒らしの元凶ともいうべき制度であり、改めるべきだ。
 本来森林は、木材生産の経済的価値以上に環境保全機能を有する公共財であり、それには所有形態の別なく社会全体が一定の負担をなさねばならぬ。その意味では短絡的な国有林民営化論には想像力が貧困だ。
 われわれはいま、先人たちの心豊かな世界に学ぶべく、精いっぱいの植林活動に取り組んでいる。六、七十歳代の年寄りたちが村の行く末を案じつつ、いつの日にかわが里に若さと活力が戻ってくることを念じながら…。


  ΨΨ失いたくない清流川辺川

 建設省九州地方建設局と球磨郡五木、相良両村および県は昨日、川辺川ダム本体工事着工に同意する協定の調印を交わした。住民に苦渋の選択を迫りながら、状況の変化も顧みることなく高度成長期の発想をあくまでも押し通そうとする建設省の姿勢には疑問を禁じ得ない。
 川辺川ダムの当初の目的は洪水調節にあった。当時九州山地の源流域は乱伐でどこもはげ山となり、各地に洪水の被害をもたらしていたのである。それから三十余年もたった今では二次林が生長して山の保水力はかなり回復しており、洪水調整の大義名分は薄れたと言える。利水計画にしても、三割減反の今日では実情にそぐわない。
 官僚は自らの過ちはなかなか認めたがらないが、絶滅危惧種クマタカの資料をめぐる問題にもその体質を垣間見た気がする。もし彼らのメンツのために計画が推進されるのであれば、村を離散させられた住民やダムに多額の税負担を強いられる国民はたまらない。もちろん、「ダム審」による一応の再検討はあったが、一連の動きを見ているとそれは世論対策上のセレモニーであったのでは、と思いたくもなる。
 さて、県では近く県民の意見も盛り込んだ環境基本計画が策定される。私も愚見をいくつか提出したが、その中に、大規模開発については工事途中のものでもアメリカあたりのように、市民や環境団体の意見を取り入れた真の見直しができるシステムの確立を、との要望を入れた。


  ΨΨイノシシが教えていること

 すでに取り入れが始まっているが、近年、山間地の農家ではイノシシ防御に余計な手間がかかるようになって大変である。棚田に電柵を張りめぐらしたり、夜間にはあちこちに灯火までかざして彼らに備えねばならない。子育て中の“家族”がやって来て、油断すると稲田の一、二枚ぐらい一晩でやられてしまう。それも年々ひどくなって、ときには集落の前田にまで出没する始末である。
 イノシシの暮らしの場であった自然林がすっかりスギやヒノキに変えられ、その人工林も生長して彼らの居場所はますますせばめられてきている。イノシシも生きるために必死である。それに、怖いながらも人里近くに行けばたやすく食料が得られるということも学習したようである。
 一方、夏から秋にかけて大発生してポンポン草の葉を食いつくすあの不気味な赤と黒のまだら模様の毛虫が今年はほとんどいない。冬鳥も姿を見せなかったように、自然界のどこかで異変が起きているのはたしか、すべては人間がもたらした結果にほかならない。
 言うまでもないが、自然界は、光と空気と水と土壌とによって植物(生産者)、動物(消費者)、微生物(分解者)の連鎖(生態系)をかたちづくっている。その中の最大の消費者である人間が目先の欲望にとらわれてこの連鎖を壊し続けているのだ。イノシシや毛虫がそのことを教えてくれている。