佐藤和美
「プロローグ」
武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない
ただその道をあてもなく歩くことで満足できる
その道はきみをみょうなところへみちびく……
もし人に道をたずねたら……
その人は大声で教えてくれるだろう おこってはならない
その道は谷のほうへおりていく
武蔵野にはいたるところ……
谷があり 山があり 林がある
頭の上で鳥がないていたらきみは幸福である
「エピローグ」
武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない
ただその道をあてもなく歩くことで満足できる
その道はきみをみょうなところへみちびく……
そこは森の中の古い墓場… こけむした石碑がさびしくうずもれているだろう
頭の上で鳥がないていたらきみの幸福である
武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。
ただこの路をぶらぶら歩いて思いつき次第に右し左すれば随所にわれらを満足さするものがある。
あるいはその路が君を妙なところに導く。これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並んでその前に少しばかりの空地があって、その横の方に女郎花(おみなえし)など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。
もし萱原の方へ下りてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。
もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真ん中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねて見たまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし少女であったら近づいて小声でききたまえ。もし若者であったら、帽を取って慇懃に問いたまえ。鷹揚に教えてくれるだろう。怒ってはならない。これが東京近在の若者の癖であるから。
(国木田独歩『武蔵野』岩波文庫 P17〜18)
(1997・10・30)