「ファーレンハイト氏」から「カ氏」へ


佐藤和美


 「カ氏」というのはファーレンハイトによって始められた温度体系である。「カ氏」とは「ファーレンハイト氏」ということだが、ではなぜ「ファーレンハイト氏」が「カ氏」になってしまったのだろうか。以下で資料の中を旅して、その経過を追ってみたい。

 まずは、「広辞苑第四版」(岩波書店)の「カ氏」の項を見てみよう。
「カ氏 (創始者のドイツの物理学者ファーレンハイト(Gabriel Daniel Fahrenheit)の名に中国で華倫海の字を当てたことから)カ氏温度の略。華氏。」

 これで「ファーレンハイト」に中国語の発音で「華倫海」の字を当てたことがわかる。

 それでは中国語の「華」はなんと発音するのだろうか。
「中日辞典」(小学館)を引いてみると、「華」の発音は「hua」であることがわかる。つまり「ファーレンハイト」の「ファー」に「華」(hua)の字を当てたのである。

 漢字と音読みは千年以上前に中国から日本に入ってきた。この時、中国語[h]は日本語にどのように定着したのだろうか。

 ハ行音の発音はどうだったか、小松英雄「日本語の音韻(日本語の世界7)」(中央公論社)の 第九章「ハ行音の変遷」で見てみよう。
「ハ行子音は、文献時代以前に両唇破裂音[p]であったが、すでに奈良時代には両唇摩擦音の[φ]になっており、さらに江戸時代に入って声門摩擦音の[h]に変化した。」

 日本語には江戸時代以前には[h]という発音はなかったのである。それでは中国語の[h]は日本語ではどのような発音になったのだろうか。再び、「日本語の音韻」で見てみよう。
「当時の日本語には(中略)[ha]に相当する音節がなかったので、「呵」の字音を、それに最も近いと認められた[ka]で写したのである。これと同じ原理にもとづいて[hoho]という笑い声に仮名をあてれば「ここ」であって「ほほ」にはならない。」

 中国語[h]は日本語では[k]で定着したのである。

 それでは「広辞苑」(岩波書店)で「華」の音読みを調べてみよう。
「華」の音読みは「カ」、音読みの旧かなは「クワ」であることがわかる。

 ここで、ラフカディオ・ハーン「怪談」(岩波文庫)で、「怪談」の原題を調べてみよう。
「怪談」の原題は「Kwaidan」である。つまり「怪」(くわい)は「kwai」なのである。

 これで中国語[hua]が日本語[kwa]になったのが見えてくるだろう。([h]→[k]、[u]→[w])

 その後[kwa]は[w]が欠落して[ka]になった。旧仮名「クワ」から新仮名「カ」になったのである。

 それではもう一度変化の流れを確認してみよう。
 [fah]→[hua]→[kwa]→[ka]

 以上の経緯が忘れられ、「華氏」は最近では「カ氏」と書かれることが多くなってきている。
 「広辞苑第二版」(岩波書店)では「華氏」だったのが、「広辞苑第四版」では「カ氏」になってしまっている。ついに「ファーレンハイト氏」が「カ氏」になったのである。

(1998・10・08)


(注)以下のページを参考にしてください。
「漢字と日本語」
「「は」行音について」

Copyright(C) 1998 Satou Kazumi

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