「地名の世界地図」批判


文藝春秋へのメール 2001.01.04



はじめまして、佐藤と申します。

12月に発行された文春新書の21世紀研究会編「地名の世界地図」ですが、あまりにもまちがいが多いので、ちょっと言わせてもらいます。

関川夏央「司馬遼太郎の「かたち」」(文藝春秋刊)のP205に「マルコポーロ」事件のときに司馬遼太郎が半藤一利に「半藤君、一体文春はどうなっちゃたんだい」と言ったというエピソードが出てますが、今回のこの本を見て、私も「一体文春はどうなっちゃたんだい」と言いたい気分です。新書という一般読者が手に取りやすい本でまちがいだらけとは一体どういうことなのでしょうか。

本を開いてすぐの「はじめに」からして、まちがいだらけです。

「一九三九年九月一日、東西国境を越えて突如攻め込んできたナチス・ドイツ軍、ソ連軍によって、ポーランドはたった三週間で占領、分割されてしまった。」

年表を見ればすぐ確認できますが、ソ連の参戦は9月17日です。

「古代ギリシア人は、アフリカのベルベル人をバルバロイ(言葉が通じない人=野蛮人)とよんだ。」

「大辞林」にはこうあります。
バルバロイ
[(ギリシヤ)barbaroi]
〔わけのわからない言葉をしゃべる者の意〕古代ギリシャ人が異民族一般に対して用いた蔑称。

「バルバロイ」は異民族一般に使われた蔑称で、特定の民族を指した蔑称ではありません。

「ギリシア文化を模範としたローマ人は、その地で出会った言葉の通じない部族をバルバロイとよんだのである。その名は、ドイツ南東部の地方名としていまも残っている。ババリア(バイエルン)である。」
「バルバロイ」と「ババリア」が似てると思ったのでしょうか。
ところでこの本にはスペルが書いてないですね。
「barbaroi」、「Bavaria」
「バルバロイ」と「バヴァリア」、これなら似てないのがわかります。
それと、「地名の世界地図」には参考文献に牧英夫編著「世界地名ルーツ辞典」(創拓社)があげてありますが、この本の「バイエルン」の語源にも「バルバロイ」のことは一言も出てきません。「地名の世界地図」の著者の方々は参考文献にちゃんと目をとおしているのでしょうか?

「バルバロイ、野蛮人という名をもつお菓子、ババロアである。」
「ババロアbavarois」は「ババリア地方風の菓子」の意味ですね。
(「カタカナ語辞典」三省堂)
「ババリア」が「バルバロイ」と無関係なら、自動的に「ババロア」も「バルバロイ」と無関係です。

私はアイヌ語地名を研究しているので、以下アイヌ語関係のまちがい・疑問点をあげます。

P76
「日本でサハリンを「樺太」と書くのは、江戸時代、ここに中国人が多く住んでいたので唐人(からと)とよばれていたことによる」
江戸時代、樺太に中国人が多く住んでいたというのは初めて聞きます。ここまで言い切るからにはたしかな証拠があるのでしょうね。その証拠を是非見せていただきたいと思います。

P108
「稚内(ヤム・ワッカ・ナイ「冷たい飲み水の川」のヤムの省略されたもの)」
アイヌ語「ワッカwakka」の意味は「飲み水」ではなく、「水」です。「冷たい飲み水の川」と「冷たい水の川」ではだいぶニュアンスが違ってきます。
P108
「江別(エ・ペツ「胆汁のような色の川」)
アイヌ語「エe」に「胆汁のような色」という意味はありません。

P108
「古平(フルー・ピラ「赤い崖」)」
アイヌ語で「赤い」は「フレhure」です。

P109
斑鳩の語源は「アイヌ語の「イカルカ」(山の頂、物見をするところ)がその語源だとする研究者がいるのだ。」
アイヌ語に「イカルカ」なんて単語は存在しません。いいかげんな説を載せないでください。
アイヌ語地名の「研究者」にはいいかげんな説を書く人が後をたたない状態です。
アイヌ語をわからない人がそのいいかげんな説を孫引きする。
そしてまちがったアイヌ語地名解は増殖していくわけです。
「地名の世界地図」もそれに力をかしてしまったわけですが。

P110
「富士山もアイヌ語起源だといわれることがある」
ここでバチェラー辞書を引き合いに出してますが、バチェラー辞書はまちがいだらけで有名な辞書です。著者の方々はご存じないのでしょうか。
また、富士山の語源に関して、金田一京助は次のように書いています。
(「北奥地名考」1932年)
「若し語原が、説者のいう如くアイヌ語のhuchiであったならば、国語にクヂ(またはクジ)となっていた筈で、国語にハ行音でフジとなる為には、その語頭音は必ずやpかfでなけれだならない。それは上代の国語の音には[h]音がなく、外国の[h]音はこれが為にみな[k]音に取り込まれる例であったからである。現今のフジであるからとて、huchiをその語原に見立てたのは、国語の音韻史を無視した失考だった。」
いまさら「富士山もアイヌ語起源だといわれることがある」なんて、書かないでいただきたいと思います。

P110
「千島そのものも、アイヌ語のチカップ(日の出る所)に由来する」
アイヌ語「チカプcikap」は「鳥」。「太陽」は「チュプcup」。「東」は「チュプカcupka」「チカップ」がなんで「日の出る所」になるのかわからないですね。「チカップ」(日の出る所)って「チュプカ」(東)のまちがい? 著者の方々がアイヌ語を知らないのがよくわかります。「チシマ」と「チカップ」じゃ「チ」しか同じじゃないですよ。それで「由来する」なんて言ってていいんですか? 古くは蝦夷ケ千島という言葉があったので、「千島」は「多くの島」くらいの意味じゃないでしょうか。

P110
「択捉はエトゥロ(鼻、先端)とフ(所)」
「エトゥetu」が「鼻、先端」で、「エトゥロ」という単語は存在しません。
アイヌ語「フhu」に「所」という意味はありません。

P110
「樺太の場合は、北緯五〇度線がアイヌ語地名の北限であるとの興味深い報告もある。」
ほんとにそんな報告があるんですか? 私は聞いたことありません。本当にそんな報告があるのなら是非見せていただきたいと思います。北緯五〇度線はかつての日露国境ですが、なにか勘違いしてませんか?


わずか数ページでこれだけのまちがい・疑問点があります。全体ではどれほどのまちがい・疑問点が含まれていることか。なにも知らずにこの本を読んだ人が、まちがい・疑問点に気づかず、事実として記憶してしまったらどうするのでしょうか。「現実の文春」の名が泣くというものでしょう。

今後この「地名の世界地図」をどうするのか、是非、返事をいただきたいと思います。


佐藤和美
hi5k-stu@asahi-net.or.jp



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