言葉の世界・伝言板 2004年12月



最後に

鴛鴦 (2004/12/31 18:42)

これからいろいろと見る番組がありますから、これが最後の拝見かと・・・

今まで色々な質問の受け答えありがとうございました。
この掲示板が無くなってしまうのは寂しいですが、また管理人様を始め皆様とどこかであえる日を楽しみにしています。

本当にありがとうございましたm(_ _)m



日本語「ひら(平)」とアイヌ語「ピラ(崖)」

佐藤和美 (2004/12/31 16:08)

日本語「ひら(平)」とアイヌ語「ピラ(崖)」が関係あるんだかどうだか。

山田秀三『アイヌ語地名を歩く』(北海道新聞社)118ページ
「日本語の古語では「ひら」は急斜面の地形のことである。当時はこう書いて「フィラ」と両唇音で発音したのだという。アイヌ語の「ピラ」とまるで似ていて面白い。東北地方の北部の山中では、今でもその古語が残っていて、山の急斜面を「ひら」といい、それをフィラと発音している。」

http://www.hyogo-u.ac.jp/soc/soc/kokugo/annai/annai-2004/2004-6.htm
上記ページに外間守善『沖縄の歴史と文化』(中公新書)からの引用があります。

「「坂」のことを沖縄語では「ヒラ」という。日本古語では「黄泉比良坂」のように「ヒラサカ」と言っていた。沖縄語に「ヒラ」が残り、日本語に「サカ」が残って、半分ずつお互いが分け持ったことになる。」



日本語らしい表現

偽中国人 (2004/12/31 05:44)

新たに2人の遺体確認=一等書記官と新婚旅行の女性
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041231-00000641-jij-int

「一等書記官と新婚旅行の女性」という表現だけを取り上げると
一等書記官と女性とが新婚夫婦であるとの解釈が成り立ちます。
これは助詞「と」が主語や目的語の複数の成分を列挙を表す場合もあれば、ある行為を共にする相手を表す場合もあるためです。
「新婚さん、いらっしゃい」というTV番組を見ていると、「両親と新婚旅行の娘や息子」が偶にいます。

英語の接続詞andの場合、andの前にある名詞に修飾語が先行していれば、andの後のある名詞にも修飾語が先行しているという風に、文法的に同じ構造をもつ場合がほとんどです。
A merry Christmas and a happy new year!
andの直後にaがあるので、andの前のaまで遡ればandが接続しているものが何と何か分かります。

「新婚旅行の女性と一等書記官」或いは「一等書記官“及び”新婚旅行の女性」と表現すれば女性が一等書記官と新婚旅行に行ったのか、という疑惑が生じる余地はなくなります。

同じことを表わすのに何通りか言い方がある場合、最も誤解を生みやすいものを選ぶのが日本語らしい文章表現法のようです。

美しい着物のライン
美しい着物の色彩
美しい着物の柄
美しい着物の端布
美しい着物のカタログ
美しい着物の女優
美しい着物の写真が収められた本
美しい着物の着方
美しい着物の所作や立ち振る舞い
美しい着物のおしゃれは...
これらの「美しい」はどの名詞にかかるのでしょう。



生涯と障害

せいろう (2004/12/29 21:53)

Merry Christmasの解説をありがとうございました。

関係はないんですがもう一つ教えてください。
日本語の「障害」と「生涯」は聞いた感じが違う。原因はイントネーションの違いに
あるみたいで、障害はフラットなのに生涯は高→低に聞こえる(私的に)。
このイントネーションはどうやって決まるんですか?(ルールとか?)



アッと驚く爲語郎

偽中国人 (2004/12/28 03:25)

さくら紅葉さん
>文章上で「味わわない」と書かれているのを見て、当たり前のことなのに、あっ!と驚いた記憶があります。<

「味わわない」も「味あわない」も「不文之詞」(「文雅」という意味ではなく文字にしないという意味で)かも知れません。「味わわない」なんて発音する人がいるのかとおもうぐらい違和感があります。辞書に載っている規範的な仮名遣いと話言葉がずれているのです。

私も外国人向け日本語教科書に「形容詞終止形+です」を見て、あっ!と驚いた記憶があります。
会話体では確かに「形容詞終止形+です+{ね、よ}」という形では使いますが、「形容詞終止形+です」という形の書き言葉にお目に掛かったの始めてだったのです。

お寒うございます、とか、寒ぅおまんなあ、さぶいやんか、というような言葉をを耳にしたことはありますが「きょうは寒いです」という言い方はズボンやスカートを穿くのを忘れているようで少し恥ずかしい様な気がしました。

さて昔は「は行四段活用」だった動詞に「言(ゆ)う、祝う、負う、追う、貰う,似合う,
匂う」等があります。
基本的否定表現は「ゆわへん、いわーへん/いわわへん、もらえへん、にあわへん、におわへん」
播州では「負う」を「おたす」と言い換えます。否定は「おたせん、おたさへん」。
「追う」は「おわえる(下一段)」と言い換えます。「追いかけられる」は「おわえられる」と言います。否定は「おわえん、おわえへん」。

完了の否定は「いわなんだ、いわーなんだ/いわわなんだ、おたさなんだ、おわえなんだ、もらわなんだ、にあわなんだ、におわなんだ」

完了の接続は「ゆうたら、いぅおーたら、おたしたら、おわえたら、もろーたら/もろたら、におうたら、におうたら」。【ぅお】はwoの音を表わします。
匂うたら気色悪い。似おうたら買わんかぁ(下降調)。

使役は「いわす、いわわす、おたさす、おわえさす、もらわす、におわす、似やわす(この言い方は存在しない)
私が小学生時代に使っていた金田一京助・佐伯梅友編《新選国語辞典》小学館には「味わい」という名詞は載っていますが「味わう」という動詞は有りません。不思議です。

♪歳の初めのためしとて....い__う今日こそ楽しけれ♪

単純否定に「ない、ねー」を使う方言地区の皆さん、
「祝う」の否定は「いわわない/いわわねー」、「いあわない/いあわねー」、「いわあない/いわあねー」? 例:正月くらい祝__ないと/ねーと」

「味わう」の使役形は「味あわせる」,「あじわわせる」,「あじわあせる」?
「味わう」の使役+受身は「味あわされる」、「味わわされる」、「味わあされる」?
「祝う」の使役+受身は「いあわさ(せ)られる」,「いわわさ(せ)られる」?
「祝う」の可能形は「いあえる」,「いわえる」、「いわゑる」、「いあゑる」?



さくら紅葉さん

はむはむ (2004/12/27 21:02)

国と国の問題の件ですが、「特殊な」をつけると、「(中国という)国と(台湾という)国」という意味ではなくなるのですか?もしそうなるのでなければ、中国に配慮した表現にはなり得ないと思いますよ。李氏自身は配慮するつもりも毛頭ないと思いますけど。



偽中国人様

さくら紅葉 (2004/12/27 01:05)

はじめまして。
12月16日の 味わうvs味あう に少し思ったことがありまして。

「味わう」の活用は ワ行五段活用 ですよね。
ですから未然形は「味わわない」ですが
実際の会話上ではほぼ確実に「味あわない」と発音されているのではないでしょうか。
ある日、文章上で「味わわない」と書かれているのを見て、
当たり前のことなのに、あっ!と驚いた記憶があります。
つまらないことで、或いは既出でしたら失礼しました。



ちょっとニュースで気になって

さくら紅葉 (2004/12/27 00:49)

はじめまして。
すみませんがこの場をお借りして、ちょっとお伺いしていいですか。
昨日のニュースでちょっと気になったんですが。
あ、あらかじめ申し上げますが、国際関係を論じようとかいうのではございません。
ただ日本語として、どう印象が変わるかを
こちらの言葉に敏感な方々にお伺いしてみたいと存じまして。

李登輝氏が日本のビザを得て来日云々・・・の報道で、
アナウンサーが
「李登輝氏は台湾と中国について『国と国との関係』と発言していて・・・」
というようなことを流しておりまして。
過去、李登輝氏は本当は、『特殊な国と国との関係』と言ったんですよね。
いかがでしょう。『特殊な』という部分が付くか付かないかで、イメージは変わりますか?

私としては、前者では無配慮なぶっきらぼう発言と思え、
後者なら、中台両方に配慮した非常にデリケートな表現と感じるのですが。



Xmas去って・・・

鴛鴦 (2004/12/26 10:44)

確かに日本はクリスマスとお正月をどっちもやっちゃっていますから年末年始は傍から(外国から)みれば超多忙な国だと思われるでしょう。
11月に入るとクリスマスケーキとおせちの予約が同時に始まりますし(^^;)

突然ですが今日は有馬記念。
名前の由来は当時の日本中央競馬会の第2代理事長・有馬頼寧(久留米藩有馬家の子孫)からです。
有馬氏は競馬にもオールスターを、ダービーのようなレースを中山にもとファン投票で選ばれた馬が出てくるレースを作りました。
その前にレース名を「中山グランプリ」とあらかじめ決めたと共に一般からもこれに替わる名前を募集しました。
その結果、「中山大賞典」という名前が一番多かったのですが、これという名提案が得られなかったため、そのまま「中山グランプリ」が使われました。
記念すべき第1回は成功に終わりましたが、年明けてすぐ氏は急性肺炎で亡くなってしまいました。
そして在任中に数多くの功績を残した氏を偲んで「中山グランプリ」を「有馬記念」に改称することがすぐに決まりまして、現在に至っています。



聖誕節快楽

偽中国人 (2004/12/26 04:59)

ディケンズの《A Christmas Carol》(市川三喜編、注、研究社)には
“A Merry Christmas, uncle! God save you!" cried a cheerful voice.
...
"Because you fell in love!" growled Scrooge,as if that were the only one thing in the world more ridiculous than a merry Christmas.
とaの付いた表現もあれば
Merry Christmas! What right have you to be merry?
Out upon Merry Christmas!(市川氏注:expressing anger or abhorrence)
とaの付かないものあります。

I'm dreaming of a white Christmas.という歌もあります。

Christmasは元々イブと25日朝に行なう耶蘇(イエス)降誕の彌撒(ミサ)のことです。
最後がsで終わるのでmathematicsのように複数だと錯覚している人がいるかも知れません。

天主教、基督教、興都教、シーク教、仏教、イスラム教、儒教、道教など多用な宗教の信徒が同居するシンガポールでは20年以上前から
Season's Greetings
というサイン・ボードをよく見かけました。
紐育世貿大厦テロの後ブッシュが呼びかけた犠牲者追悼の彌撒にはイスラム聖職者なども招かれました。
特定の宗教に肩入れをしないという配慮でしょう。

天主教徒、基督教徒でない日本教徒の間では最近ではクリスマス・イブだけが盛り上がる日で、25日は“後の祭り”と思っている人が多いのでは。
23日は鶏受難の日、25日はロースト・チキン、フライド・チキン大減価の日です。

日本語おぼえたての外国人はクリスマスや仕事納めの日、除夜の鐘が鳴る前に「新年おめでとう」などと言います。多分I wish you a happy new yearと同じ用法だと思っているのでしょう。

「よいお年を」という年越し前の表現もきっちり教えてあげましょう。



RE: Merry Christmas

スバル (2004/12/25 23:21)

クリスマスカードは当日(かイブ)に見る「お約束」なので、
Merry Christmas(クリスマスおめでとう)と書きます。
「おはよう」はGood morningで、A good morningとは
言わないのと同じ理由です。
年賀状は元旦に見るお約束なのでHappy New Year
(新年おめでとう)と書くべきです。
日本と違って西洋では新年にカードを送る習慣がないので、
クリスマスカードにMerry Christmas and (I wish you)
a Happy New Yearと書くんです。未来のことですからね。

この辺を混同して年賀状にA Happy New Yearと書くように
なったのではないでしょうか。



Merry Christmas

せいろう (2004/12/25 05:11)

ちょうどクリスマス、良い機会なので教えてください。

カードなどにMerry Christmasと書きますよね。
だけど新年はA Happy New YearとAがつくのは何故ですか?
よく(I wish you) A Happy New Year の省略形だからと説明されています。
では何故A Merry Christmasと書かないのでしょう。
歌ではWe wish you a merry Christmas and a Happy New Year.があります。

つまらない質問ですみません。



Alexandria Iskandariyah

高駒麗人Koma (2004/12/21 20:37)

山茶花(さざんか)は「さんざくわ」san-za-kwaのnが移動したもので、「さんざくわ」は「山茶花」san(shan)-cha-huaでしょう。

日本のメディアでの「花」「華」のシナ語、朝鮮語音はこうなります。
「崔昌華」Choi Chang Hwaは「チェチャンファ」。
「華氏」Fahrenheit>Hua-shiは「カ氏」。
「康珍花」Kang Chin Hwaは「カンチンファ」で、日本ではKan Chin Faと書かれます。
「玉花」Ok-hwaは「オッカ」。(拉致事件関連で出てきた朝鮮人名で、「オッカ」は連声している。何処のおっ母さん?厳密には「オックワ」だ。では「淑姫」Suk-hiは「スキ」とすべきだが、なぜこれは「スクヒ」なのか?)
無茶苦茶で御座りますがな。

Alexander大王の映画の宣傳をテレビで見ました。
Alexandriaはアラビア語でAl Iskandariyahだそうです。(廣辞苑電子辞書版)
Alexandreのx[ks(>gz)]がIskandariyahではskになっています。
これも音の順序の入れ替えでしょうか?



(無題)

高駒麗人Koma (2004/12/21 20:28)

この傳言板が無くなるのは残念ですね。言語学について上品でacademicな話ができる掲示板はほかにないでしょうか。「2ちゃんねる」などは餓鬼の落書きか、醉っ拂いの親父がゲロぶちまけてようなもので見るのも嫌ですし。



Re:サザンカ

鴛鴦 (2004/12/21 14:59)

>ひでほさん
なるほど。ご返答ありがとうございます。
中国では「茶梅」ですか。ふむふむ。



歩け歩け運動

偽中国人 (2004/12/21 00:39)

「歩け歩け運動」は割と昔からあったような気がします。

『「飲め」や「歌え」の大騒ぎ』のように名詞の前に「の」が入っている例はいくらでも出てきますが、直接接続している例は、なかなか思い出せません。



re:サザンカ

ひでほ (2004/12/19 22:29)

日本固有の植物のようです。その植物の学名が"Camellia sasanqua "ということではないのでしょうか。以下のホームページが参考になります。中国名が”茶梅”というらしいです。

http://www.gene.affrc.go.jp/htbin/plant/image/get_logo?plno=56601005



サザンカ

鴛鴦 (2004/12/19 21:56)

ふと気になった事ですが、山茶花(さざんか)は英語で「sasanqua」になります。もしかして元々は外来の言葉なのでしょうか?



re:振り込め詐欺

風鈴’ (2004/12/17 03:11)

「命令形+名詞」ですが、比較的よく使われるものでは、「歩け歩け運動」があります。

「振り込め詐欺」ですが、「オレオレ詐欺は実態に合わないので、警察では新しい名称の案を求めている」というニュースが出た直後、某掲示板に、「振り込め詐欺ではどうか」という提案が書き込まれました。「ふりこめ」は「降り込め」と衝突するのが気になりますが、いろいろある手口のなかで共通しているのが「振り込みを要求する」という一点なので、うまい命名ではあると感心しました。
その掲示板からかどうかわかりませんが、実際に採用されたのにはちょっと驚きました。



振り込め詐欺

偽中国人 (2004/12/17 01:09)

「オレオレ詐欺」改め「振り込め詐欺」。

この場合の「振り込め」は他動詞「振り込む」の命令形だと想像するのですが、「命令形+名詞」という構造を耳にすると、私的には若干違和感が残ります。

つらつら考えると落語の「置いてけ堀」も「命令形+名詞」です。
これに対して少数ながら「置いてき堀」という「連用形+名詞」の言い方も存在しています。
二三日前、民放のアナウンサーがはっきりと「振り込み詐欺」と発音しているのを聴きました。このアナウンサーも恐らく私と同様に「命令形+名詞」の言い方に違和感を持ったのでしょう。

そこで御願いです。「置いてけ堀」や「振り込め詐欺」のような「命令形+名詞」の使用例を教えて頂きたいのですが...

「持ってけ、泥棒!」という決まり文句が有りますが、「持ってけ」と「泥棒」は修飾、被修飾の関係ではないので対象外とします。



味わうvs味あう

偽中国人 (2004/12/16 03:08)

“味わう”の古い形は“あちはう”。

「はΦa」を発音する際の唇の締まり具合がゆるくなって「わ」となり、

一部の方言では更にゆるくなり、「味あう」となっているのでは。

「ごっつぉ(御馳走)食べられるのんは、お父さんの御蔭やで。よお味おうて食べや。」
上の例では「ajiwoute」と発音するより「ajioute」と発音するほうが楽です。
これが更にくずれて「あじょうて」に変化するか、すでに変化しているか要観察。

関東の人は「あじわって」のほうが発音しやすいと感じるかも知れません。

「具合」の発音の仕方も「グアイ」と「グワイ」という風に二通り有り、播州方言などでは「ガイ」と変化しています。「ガイヨー=具合良く」
「場合」も「バアイ」が標準ですが、「バワイ」「バヤイ」と発音する人が居ます。

「可愛」が「かわい」と中間に「w」が入るのは
1)「カーイ」という直音の長音と区別する必要があった。
2)漢字2文字(形態素がふたつ)の言葉であることを意識して音節の切れ目を示した。
3)広東語で「愛」をoiと発音するように、漢土の古音に「oai」のような音があった名残。
等の理由が考えられます。



Re:新しい

鴛鴦 (2004/12/15 23:48)

>管理人様
「新しい」は失っては惜しいという意味の「可惜し(あたらし)」からきているともいわれているようです。

ちなみに「さざんか」も異説があるようで、元々は「茶山花」と書き、読みは「さざんか」で、いつのまにか知らないが「茶山花」がひっくり返って「山茶花」となった(読みはそのまま)説です。



なおざり おざなり

鴛鴦 (2004/12/15 15:59)

>高句麗人KOMAさん
「なおざり」「おざなり」それぞれ漢字で書くと「等閑」「御座なり」です。
詳しい語源はわかりませんが、しているのにいい加減なのが「おざなり」、することさえいい加減なのが「なおざり」です。



人名の読み方について

ごま (2004/12/15 13:44)

@manasseinAsukharev(以上ロシア系?)Bkouindjy(フランス系?)Cnenci(イタリア系?)の人名のカタカナ表記を教えてください。自分なりに読んでみたところでは、Aシュハレフかスハレフ、Bクアンジー、Cネンチです。@は全くお手上げです。



腹つづみの場合

せいろう (2004/12/14 23:44)

腹つづみを調べてみました。

ある日のGoogle検索ヒット数
腹つづみ=590件
腹づつみ=380件

こちらの方がより接近していますね。



山茶花、新しい

佐藤和美 (2004/12/14 22:40)

考えてみると「山茶花」がなぜ「さざんか」なのかふしぎですね。
「山」は「さん」なんで、
「さんざか」→「さざんか」のようですね。

「新た」は「あらた」と読みますが、これは「新しい」の古い形を保存してるようですね。
「あらたし」→「あたらしい」



re:撥音。

ひでほ (2004/12/14 22:16)

Maniac C.さんが12月5日に、ここで書き込んだことについて、二言、書きます。

1 nの音を表す”レ”の文字について、吉澤義則”国語史概説”(昭和6年)に次のような記述があり、Maniac C.さんの考えに近いです。

”nを表すのに’レ’の如き撥ねる心持を象徴した文字が案出せられて、これが次第に廣く行われ、字形もかはって遂に現在の’ン’となるに至った。”(p. 62)

この文の”撥ねる心持を象徴した文字”というのが、この場合、考える参考になるように思います。

2 調音が、どの位、”撥音”の命名と関係があるか、私には疑問です。12世紀の人が、発音の際の口の中の、舌の位置を明確に意識し、それに名前を付けたか、私は疑問です。[n]の音では、舌先が上の歯茎に付くのですが、その状態を、”撥ねる”といえるかどうか、現在の所、私には分かりません。これについては、これ以後、考えたいと思います。

大変、遅い反応でしたが、少し、書きました。



ボスボロット

高駒麗人KOMA (2004/12/14 19:47)

てもちぶたさ
てもちぶさた

なおざり
おざなり

自分でもようわかりません。

舌鼓(したつづみ)が「したづつみ」になるのは「小包」「風呂敷包み」などの「包み(づつみ)」の影響でしょう。

ボスボロットというロボットもありました。



渡御、還御など

偽中国人 (2004/12/14 01:46)

神輿が御旅所に移動したり、やんごとなき御方が外出する際に言う「渡御」の類の言葉も“倒語”なのでしょうか???

還御、出御、帰御などという言葉がありますが....
何故“御”を後置するようになったのでしょう?



前後不覚

偽中国人 (2004/12/13 23:42)

昔よく母親が言ってました。
「“となだ”に饅頭が入っとおよ。」と。

正しくは“戸棚とだな”。“ウッチン”色の“ウXチ”と同じ“前後不覚”パターンですね。

壁に耳有り、“せんち”に眼有り。
それを言うなら「“せっちん雪隠”に眼有り」だらー。

しかし“せんち虫”=“蛆虫”や“センチコガネ”という虫もあるし。
“せっちん”より“せんち”の方が発音しやすいという説もあります。

ほかにも“カラダ身体”vs“カダラ”



「しだら」「だらし」

鴛鴦 (2004/12/13 22:47)

>管理人様 説の一つに江戸時代後期の戯作者、式亭三馬が『浮世床』の中で「なんのだらしもねへくせに」という一文に注を入れています。そこには、「しだらがないトいふ事を『だらし』がない。きせるをせるきといふたぐゐ。俗語の方言なり。」とあります。そうしますと、「だらし」は「しだら」の倒語となります。
また、もう一説には「自堕落」が変化して「ふしだら」となった説です。
ちなみに「しだら」の語源は一説には秩序、規律という意味のサンスクリット語「スタラ(スートラ)」からきているといわれています。
江戸時代、芸能や博徒の世界では業界用語として「倒語」が良く使われ、一部は一般の間にも広がりました。今でも芸能界では「コーヒー」を「ヒーコー」、「ハワイ」を「ワイハ」と言ったりします。



Re: 言い間違い

佐藤和美 (2004/12/13 22:15)

「ふしだら」と「だらしない」が関係ある言葉だとはなかなか思いつかないですね。

不+「しだら」=「ふしだら」
「しだら」+「ない」=「しだらない」→「だらしない」



オッカとスクヒ

高駒麗人KOMA (2004/12/13 21:24)

http://excite.co.jp/News/society/20041211120000/20041211E40.052.html
>北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(行方不明時13歳)について、帰国した拉致被害者の地村富貴恵さん(49)が「『スクヒ』という女性に日本語を教えていた」と証言していることが分かった。「スクヒ」という名前は、大韓航空機爆破事件の実行役の金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚がともに工作教育を受けた女性工作員の偽名とほぼ一致している。

>関係者によると、この情報は、今年8月に富貴恵さんから横田めぐみさんの両親らに伝えられた。富貴恵さんは「スクヒ」という名前以外のことは知らないという。金元死刑囚は自著の中で「『金淑姫(キムスクヒ)』という女性工作員とともに教育を受けた」と記している。この工作員の名は偽名とされる。

>富貴恵さんは田口八重子さん(同22歳)について「『オッカ』という女性に日本語を教えていた」と証言していることが既に明らかになっている。この名前は金元死刑囚の偽名とほぼ一致しており、田口さんが金元死刑囚の教育係「李恩恵(リウネ)」とする日本側の捜査を裏付けている。【照山哲史】

「淑姫」Suk-hi、音節ごとに読むと「スクヒ」、続けて読むと「スキ」。
「玉花」Ok-hwa、音節ごとに読むと「オクファ」、続けて読むと「オックワ」。
「金賢姫」Kim Hyeon-hi、音節ごとに読むと「キムヒョンヒ」、続けて読むと「キミョニ」。
「李恩惠」Ri Eun-he、音節ごとに読むと「リウンヘ」、続けて読むと「リウネ」。
西岡力氏は「玉花」を「オッカ」、「淑姫」を「スクヒ」と言っています。一方では続け読みにして一方では区切っています。

http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/12/12/20041212ddm041030092000c.html



Re: 言い間違い

せいろう (2004/12/12 20:50)

このサイトが閉鎖とは本当に残念。

最後にひとつ参加します。
「舌鼓」を
したつづみ=17,800件
したづつみ=4,970件

「お騒がせ」を
おさわがせ=22,700件
おさがわせ=3,370件



言い間違い

鴛鴦 (2004/12/12 16:25)

>管理人様 下のリンクにいろいろな言い間違いの例が載っています。
「はんごうすいはん」じゃなく「はんごうすいさん」とは知りませんでした・・・。

「時期早尚」のほうが多いなんて正直驚きました。多くの人が勘違いしているとは。
ちなみに私、「味あわせる」と「味わわせる」をそれぞれGoogleで検索してみましたら、

味あわせる 約 4470件
味わわせる 約14700件

正解は「味わう」+「させる」ですから「味わわせる」です。
こちらも「味あわせる」派は結構多いです。

http://kimanichi.s53.xrea.com/fm/index.html



ジキソーショー、ジキショーソー

佐藤和美 (2004/12/12 11:08)

私はいつも「ジキソーショー」、「ジキショーソー」どっちだったか迷ってしまうんですが、世の中には同じような人がいるもんですね。

Googleで検索してみました。

時期早尚 約116000件
時期尚早 約 84900件

「時期早尚」派ってかなり多いんですね。

迷ったときは「時期なお早し」と呪文をとなえて、「時期尚早」を思い出してます。



お礼

鴛鴦 (2004/12/11 16:17)

こちらこそ今までいろいろとありがとうございました。
まだ末までには20日ほどありますから、その間にこちらから何か質問があったら投稿するかもしれません。そのときは皆様、ご返答宜しくお願い致します。
管理人様、長い間本当にお疲れ様でした。



お疲れ様でした

はむはむ (2004/12/11 13:16)

管理人さん、お疲れ様でした。残念ですが・・・。



横書きの?使用について

言語求道者 (2004/12/11 13:04)

今年はやった波多陽区のまねで「閉鎖するって言うじゃな〜〜〜イ?」「残念!」と言う感じですね。これまで蓄積した、膨大なログはどのように活用されるのでしょうか?(横書きでは、『か』で終わる文には『?』をつけない、と言う決まりがあるそうです。どこに載っているのでしょうか。どのような機関?が決めたものなのでしょうか?)以上の(  )内を質問とさせてください。レポートには使いませんので、正確なところをお願いします(笑)。佐藤和美さん、長い間ごくろうさまでした。



お知らせ

佐藤和美 (2004/12/11 11:18)

今年末(12/31)でこの伝言板は閉鎖することにしました。
今までいろいろありがとうございました。



re:撥音

ひでほ (2004/12/11 10:53)

レポート作成のために、このサイトが利用されるとは、参りました。これからは、間違った内容の回答を多くするように、努力します。



甚六の語源

田中  稔 (2004/12/11 07:52)

早速のお教え有難う御座いました。今後とも宜しくお願い致します。



うっちん鬱金

偽中国人 (2004/12/11 04:10)

スーパーの半額奉仕品の棚にあったものを何気なく手に取ると、箱に「うっちん」は琉球語で「うこん鬱金」のことと書いてありました。
「金」を「ちん」と発音するのはmandarin=現代華語=普通話とほぼ同じ。

鬱金はcurcuma longa
鬱金香はTulipa Gesneriana

“鬱金”の漢字が難しいからといって“ウコン”とカタカナ書きするのは止めてほしいと思います。
私の視覚中枢から言語中枢に情報伝達する際に“ウ”“コ”“ン”の3つのパケットの順序が入れ替わり“コ”より“ン”のほうが先に言語中枢に到達するからです。

琉球語で“ウ”“ッ”“チ”“ン”というパケットを作っても
“ッ”のパケットが行方不明になったり、“チ”と“ン”の順序が入れ替わったりすると、同じ結果になるのは偶然でしょうか必然でしょうか?



御礼

言語求道者 (2004/12/10 23:22)

皆様より、撥音便/N/[n]に関するたくさんのお答えをいただき、昨日論文提出が出来ました。おかげさまで「音声学」の前期テストはパスいたしました。この場を借りて、厚く御礼申し上げますとともに、今後ともよろしくお願いいたします。



re:促音

偽中国人 (2004/12/08 08:02)

“促音”を香港のYahoo!で検索すると日本語関係のWebサイトが圧倒的に多く、台湾ホーロー語関連のサイトなどもヒットします。

漢字(日本字ではない)「促」の意味は「迫る」であると《説文》に載っているそうです。又「近い」という意味だ、と《廣雅釋詁》に載っているそうです。

“迫”について《説文》は「近也」と解説しているそうです。

“促”の短いという面を強調する複音節語としては“短促”というのがあります。
例:生死主題在漢樂府和《古詩十九首》等作品中已經出現,「人生天地間,忽如遠行客。」(《古詩十九首》)這種哀嘆人生短促的聲音,已經成為詩歌中相當強烈的呼喚了。
http://www.chiculture.net/0406/html/0406b19/0406b19.html
“哀嘆人生短促的聲音”=「人生の短さを哀しみ嘆く声」

中国の“普通話”=“國語”には失われてしまった“入声”の説明に
“入聲短促急収蔵”
入声の読み方を按ずるに略(ほぼ)陰平声に較べて短い、と説明しています。

“促音”を「つまるこゑ」というのはおおむね正しく、促音節は短いけれど、「っ」の部分は1モーラを形成するので、歌曲でいえば休符が入っているようなものです。

だから「ハッチhatch」という外来語の「ハ」と「チ」の間には1音節分の声門閉鎖(時間的空白)があり、「ハッチ」という語の全体の長さは「はいち配置」と同じ3モーラになる訳です。
もしも、「ハッチ」という語の中間に1音節分の時間的空白が無ければ「ハチ蜂」という言葉との区別が難しくなります。

類例:国歌コッカvs校歌こうかvs古歌コカ

風鈴’さんの
“「前後に並んでいるどうしが混み合って間がつまっている」という感じでしょうか。”
のように「間がつまっている」つまり隙間が無いという解釈であれば「ハッチ」と「蜂」を比べると寧ろ「蜂」の「チ」が「ハ」に接近していて「蜂」の方が“促音”であるということになります。



re:撥音、促音。

ひでほ (2004/12/07 23:35)

私もよくは分からないが、以下、少し書きます。

1 文献上で、”はねたる文字”(1211年頃)、”Faneji(撥字)”(1604-8年)があるとしか言えません。撥音自体が音韻として確立したのは、中国の文字が日本へ流入したためだということは、研究書にあります。12-17世紀の人は、”はねたる文字”とか、”はねじ(撥字)”と言っていたということです。”はね”に”撥”という漢字をあてているという事実しか分かりません。彼らは、もちろん、”撥音(はつおん)”とは言っていなかったでしょう。

2 促音の”促”は、”ちぢまる、短い(’促音’)”の意味のようです。鎌田正他”大漢語林”(大修館書店、1992)にこの説明があります。諸橋”大漢和辞典”の”促”に、”短い”の意味がありますが、鎌田正よりはこの”促音”については、明解ではありません。諸橋では、”促声”で、”音と音との間に挟まってつまる声”という説明があり、”促音”と同じだとあります。”促音”の意味は、”つまる音”とだけあります。

私のはたいした回答にはなっていません。お役に立てませんでした。



撥音・促音

風鈴’ (2004/12/07 18:28)

三省堂の『言語学大辞典』日本語の項の、音韻史に関する部分をみると、「ン」(古くは、「レ」のような字)は、平安後期以降、促音を表記するのにも用いられたとあります。「最モントモ」などの表記の例が少なくないそうで、「促音と撥音とが分明に弁別されていなかった状況を示すと解されている」。促音に「ツ」の表記が一般化するのは、「鎌倉後期のようである」。

撥音といっても、m の撥音のほうは、「ム」で表記されていたので、 n の撥音とは区別されていたのですが、この区別が失われる一方で、促音とははっきり区別されるようになった、ということのようです。

皆様の書き込みによると、現在「ン」で表記されているものが、音素としての地位を確立するのとほぼ同じころに、「はねた」音という言い方も現れたのではないかと思われますが、「はねた」が先にあって、それを漢語化したものが「撥音」なのでしょうか。

「つまる音」がなぜ「促音」なのかもちょっと面白いですが、「促」の字には「せまる、接近する」あるいは、「せわしい、はやい」という意味があります。「前後に並んでいるどうしが混み合って間がつまっている」という感じでしょうか。それとも、「急いで発音される」という意味でしょうか。



発音記号 G

高駒麗人KOMA (2004/12/06 22:27)

>現代語では、[n]や[m]や[G]やその他の音も、鼻音性を以って一括して「撥音」と言いますが、平安時代末期ぐらいでは、[m]は「む」、[G]は「い」または「う」と区別して書かれていたと記憶していますので、最初期、「ン」に当たる記号で表記されていたのは[n]の音だけだった筈だからです。

[G]は此処ではngの音[ŋ]ですね。
国際音声記号では[G]は普通、破裂音gの奥まった音になります。



クエッション

高駒麗人KOMA (2004/12/06 22:26)

Re:言葉の常備薬 投稿者:語源ファン  投稿日:12月 4日(土)09時35分48秒

>呉智英著『言葉の常備薬』に概略次のようなことが書いてあります。
question[kwest∫ən]が「クエッション」[kwe∫∫oN]になるのは、
borsch[borr∫t∫]→[bor∫∫]
Khruschёv[xrru∫t∫of]→[xrru∫∫of]に似ています。

ロシア語の「道中ご無事で」は
Schastlivogo Putiですが、發音はSsheslivovo putiになっています。



Re:総領の甚六

鴛鴦 (2004/12/06 20:25)

>田中さん
多分初めてだと思います。以後お見知りおきを。

「総領の甚六」の「甚六」は「順禄(じゅんろく)」がなまったものだといわれています。
「順禄」とは武家の長男が代々受け取っている禄高(簡単に言うとサラリー)をもらうことだそうです。武家は完全な長子(長男)存続で、長男は生まれたときからその家の全てを受け継ぐ運命になっていました。「総領」とは家名を継ぐべき長男のことです。
「総領」たる長男が「順禄」を受け取るのですが、何もせずに長男というだけで自動的に受け取ることが出来るので、皮肉って「順禄」を「甚六」というようになったといいます。
「甚六」は名前にするならだいたい末っ子あたりになる名前で、少し愚か者という響きもあるそうです。
そこから「総領の甚六」は長男(や長女)は大切に育てられたから、おっとりしていてお人好しで愚かだという意味になりました。



総領の甚六の語源について

田中 (2004/12/06 17:09)

総領の甚六の甚六という語源について教えてください。



re:撥音

ひでほ (2004/12/06 17:08)

もう少し、付け加えます。

1 日本語の文法書では、ロドリゲス”日本大文典”(1604-8)に”撥音”が言及されています。以下、引用です。

”言葉がM、N、即ち、鼻音を含むとき、それを日本語で’撥字’(Faneji)と呼び、その場合には綴字のMu(む)を用いる。”(土井忠生訳、1955, 1992[三省堂])

以上、17世紀の文法書での記述です。周知のように、これも、本格的な日本語の文法書として、初期のものです。

2 ”はねる”の意味について、補足です。”邦訳日葡辞書”(岩波書店、1980)の”はねる”の説明を以下、引用します。原書は、1603年の出版です。これも、周知のように日本語の本格的な辞書として早い時期のものです。

”また、ばった、蝗(いなご)が両足で跳ぶ時の格好と同じようにして、指ではじく。ばった、蝗がそうする動作もまたFanuruと言う。参考:Binbito(馬がひどく蹴り跳ねるさま); Pinpin(家畜が蹴り跳ねるさま); Tobitobi(飛び跳ねる); Vodorivodori(小刻みに走る)”

この説明でいくと、"bin"、"pin"の音に”蹴り跳ねる”様子を感じているようです。”撥音”がこのような擬態語と関係があると考えることもできそうです。

以上、補足でした。多分、これ以上は新しいことは出てきそうもありません。私は一時、退場です。



re:撥音。

ひでほ (2004/12/06 13:44)

これについては、これを最後の発言とします。

”日本国語大辞典”(第2版:小学館、2001)の”はねる”の他動詞8番目の項目(”撥音”の説明の部分)を以下、引用します。この項目の一番古い文献の引用は、次の通りです。

”無名抄”(1211年頃)’はねたる文字、入声の文字のかきにくきなどをば、みなすててかく也。万葉には新羅をばしらと書けり’

“六物図抄”(1508)‘聞の字をはねてもむと読ほとに’

”撥音”は、平安時代に文字、発音として確立したことが分かります。”はねる文字”という言い方は13世紀の文献に初めて出てくるということです。この場所で発言された風鈴’さんの引用が更に参考になります。”国語史辞典”の著者も(はっきりと明言していませんが)、以前ここで引いた浜田敦とほぼ同じ説でした。

13世紀ころからの“撥音”の意味での”はねる”の用例がもっと数が必要です。以上、簡単ですが、現在の所、これ以上は私には分かりません。



撥音

言語求道者 (2004/12/06 11:05)

たくさんの御指導ありがとうございました。他のサイトを見て、日本には「和語」と言うものがあることを、初めて知りました。手近な用例としては、百人一首の和歌の中で使われている終詞「む、ぬ」を筆頭に、動詞の「て形」の「び」などが、「ひでほ」さんなどの調べで平安時代にすでに音便となっていたと言うことですね。問題は、「音便」と言う文法的分類用語がいつ確立したのか?と言うことですが、これも平安末期ごろ?と言うことと推察してもよろしいのでしょうか。/n/が[n]の音よりも「撥ねる」文字として、しかも特別の扱いがあったことは、まさに新鮮な驚きです。元の字が「レ」であったことなども驚きです。音声学の先生が御存じないことは無理からぬことでした。これは蛇足かもしれませんが「促音」は、文字通り続く音を出しやすくする(促す)意味で命名されたものと思っていますが、間違ってますか。



re: 撥音

Maniac C. (2004/12/05 17:08)

 「撥ねる」という言葉を『大辞林』で調べると、「仮名『ん』で書く音に発音する。」という語義の他に、「文字を書くとき、字画の最後を勢いよく上方に上げる。」という語義や「先端を上に向ける。」という語義も見つかります。
 初め、撥ねる音を表す「レ」のような記号(「ン」の元になった字)が、撥ねて書かれていたので、この書字形態から「撥ねる音」と言われるようになったのかな、と思いました。
 傍証となるかのように、他の特殊音素で「引く音(伸ばす音)」を表す「h」という記号も、棒を引くように書き表されるではありませんか。まあ、これは「引」の左側が省略されて出来たもの(つまり、文字より呼び方の方が先である)、と説明されるのですが。
 『岩波古語辞典』を繙くと、早くも平安末期の藤原清輔(1104-1177)が書いた『奥義抄』(1124〜1145年頃)に、「えにとは縁といふなり。何事にも真名には撥ねたる文字、仮名には、にと書くなり。」という記述が在ることが判ります。
 これを見れば、「漢字で『ン』と発音される言葉が、仮名では『に』と書かれていて、発音と表記の間に齟齬が在る」という内容であることが解りますので、上の説は否定されます。
 従って、「撥ねる」の語義から正しく推すと、「発音するときに舌の先端を上方に上げる」から「撥ねる音」と言うのではないでしょうか。
 このような調音の仕方で発音されるのは、「撥音」の中の[n]の音だけになってしまいますが、これは説明が着きます。現代語では、[n]や[m]や[G]やその他の音も、鼻音性を以って一括して「撥音」と言いますが、平安時代末期ぐらいでは、[m]は「む」、[G]は「い」または「う」と区別して書かれていたと記憶していますので、最初期、「ン」に当たる記号で表記されていたのは[n]の音だけだった筈だからです。



re:撥音。

ひでほ (2004/12/05 11:14)

もう少し、この音について、歴史を付け加えます。

1 この音は平安時代に日本語の音韻の一つとして成立したとのことです。これは、平安時代になって動詞の撥音便が発生し、漢字音の/m//n/の鼻音が外来語音として定着するとともに音韻として意識されるようになったとのことです。11世紀になって、撥音を”ん”の仮名で表記するようになったとのことです。1060年の文献に”悶絶シンタリ”という用例があるとのことです。撥音便とは、”ニ””リ”が”ン”に、”ビ””ミ”が”ム”に表記される現象とのことです。この辺のことについては、林巨樹、池上秋彦編”国語史辞典”(東京堂出版、1979)に説明があります。この記事には、西田直敏の署名があります。

2 本居宣長の”皇国字音ノ格”と、”字音仮字用格”(著書の漢字は現代表記に私がしました)とに、この”ン”について説明があります。特に、”字音...”には、”撥ル韻(はぬるいん)ノ仮字”として、”ン”に触れています。本居宣長の説明に次のようにあります。

”’ン’の韻は、’イ’と”ウ’との変にして、此二韻を多く鼻へかけて呼ぶ者なり。(略)字音も原(もと)は’ム’なりしを、後に音便にて凡て’ン’と呼ぶことになれるにもあるべし。”(”皇国字音ノ格”)(カタカナをひらがなに私が変えました)

これは、吉沢義則”国語学史”(日本文学社、1935)に引用されています。本居宣長の辺りから、日本語の文法の研究が本格化するようなので、ここに参考までに引用しました。本居宣長の前に、契沖、賀茂真淵とかの学者がいるようです。

あまりお役に立てませんでした。



re:撥音>「はねた音」

風鈴’ (2004/12/04 13:47)

安土桃山時代の笑い話を集めた本『醒睡笑』(1623年完成とされる)には、「はねた名」という言葉が何ヶ所か出てきます。

僧の名前などに、「はねた」名前をつけてほしいと注文するなどの話で、東洋文庫版の注釈によると、当時の人は、「順欽」などの「ン」で終わる「はねた」名を新鮮視し、喜ぶ風潮があったそうです。

「ン」で終わる音の多い「唐音」が流入した結果、「はねる」音がハイカラな感じと思われるようになったのでしょうか。ただ、『醒睡笑』本文をみると、とにかく「ン」で終わる音が無差別に歓迎されているようです。

「香炉」を「こうろん」と読むなどと、無理に「はねた」言葉にしてしまう例もあります。

「はねる」の由来についての答えにはなりませんが、「はねた」という言い方はこの時代にすでにあったことになります。



「でせう」「だらう」分析

あお (2004/12/04 13:34)

高駒麗人KOMAさんおひさしぶりです。ありがとうございました。
小生なりの分析は下記のとおりでした。もう少し考えてみます。
降るでせう=でありませう=降るだらうの丁寧形
降るだらう=であらう=降るだらう
偽中国人さんありがとうぞんじます。
静岡には「降るら?」という疑問形も残っているようですね。
これは「降らむ」と同じ意味だと最近知りました。



re:”撥音”の命名。

ひでほ (2004/12/04 11:05)

少し古い本ですが、1955年発行の国語学会編”国語学辞典”(東京堂)の”はねる音”(浜田敦執筆)に、この用語の命名についての推測が載っています。以下、引用です。浜田敦は、京大の教授だった人だと思います。

”現代語ではかな’ん’で表される音韻の名称。撥音とも。これを’はねる’と名づけたのは、’ポンポン、トントン’などの擬声語に用いられて’はねる’という感じを与えるためであろう。”

この辞典以外に、この用語の由来についての説明は、ないようです(何冊か、日本語音声学の書物を見ましたが)。”ん”を”鼻音”として扱うエドワーズや、金田一京助などのような学者もいます(両名とも古い人たちですが)。



言葉の常備薬

語源ファン (2004/12/04 09:35)

呉智英著『言葉の常備薬』に概略次のようなことが書いてあります。
 『ビッグ・クエスチョンズ』という本があり、この本はタイトルに「正しくは「クェションズ」という発音の英語を「クエスチョンズ」と書いているので「ツマラン」本であることがわかる」として「クエスチョンズ」と読むようなことを「文字読み」と言うとして、論を進めています。
ここに集う皆様にはもうおわかりでしょうが、questionの語尾を片仮名表記すれば「ション」ではなく、「チョン」です。さらに面白いことに、この記事はいったん雑誌に載ったもののようで、二度に渡って編集者の目をすり抜けています。
他にも英語に関しては怪しい記述が散見されます。日本語、漢語に関する記述にも同様のものがあるのではと疑っていますが、どなたかお読みになった方はいらっしゃいますでしょうか。



母音のフォルマントと擬音

偽中国人 (2004/12/04 07:47)

日本語の母音はイに高次倍音(高調波)が多く含まれています。エアウオの順に高次倍音(高調波)が少なくなります。中国の伝統的音韻学では斉歯呼に高次倍音が多く合口呼では少ないということになります。

http://www.slp.tutics.tut.ac.jp/~nakayama/seminar/seminar1.pdf
日本語のアとウでは第2フォルマントは同じぐらいの高さですが、第1フォルマントはウよりもアの方が高いようです。(上記PDFの12頁目参照)
このことがウはこもったような音色で、アの方が明るい音色である理由かも知れません。

音源(発音体)の体積が大きければ低音(1秒あたりの振動数が少ない音)がよく聞こえ、体積が小さければ高音(1秒あたりの振動数が多い音)がよく聞こえます。

物理・音楽用語の「高い、低い」の他に、伝統的日本語には内緒話をしているとき、「シッ、声が高い」という用法もありますが、こちらのほうは物理・音楽用語で表現すると、音量volumeが大きい、音波の振幅が大きいという意味です。

仏壇に置いてある「りん」を木の棒で叩くと「ちーん」と音がし、
釣鐘(梵鐘)を撞くと「ごーん」と音がします。
それぞれの「ーん」は余韻(シンセサイザーの用語ではsustain)を表わしているのだと思います。
風が電線や物干し竿に当たって聞こえる「ヒュー」は余り減衰しないので「ヒューン」とは書きません。
地下鉄などの音も一定の音量が持続するので「ゴー」であって「ゴーン」ではありません。
サステインについては次のHPのエンベロープ・ジェネレーターの図を参照。
http://www.korg.co.jp/Support/Seminar/MS2000/Seminar5/

次のHPに《北海盆唄》の太鼓の叩き方の“口三味線”が載っています。
http://hb3.seikyou.ne.jp/home/nisikatu/odori2.htm
ドンは撥で太鼓の革を叩く音
カは撥で太鼓の縁周りを叩く音です。
間宮芳生か誰かが合唱用に編曲した《北海盆唄》のイントロは
ドーンコドンドンドン、カカカッカ、ドドーンコドン、カカカッカ
です。



口三味線

偽中国人 (2004/12/04 05:57)

三味線の擬音語(象声詞)には「ペンペンpen-pen」のほかにも
「ツ・ツ・シャ・シャ・リ・ツ・シャ・シャン・ツ・シャン」(町田佳聲編曲の木曾節)というのもあります。
太棹三味線には「べんべんben-ben」という擬音語があります。

なお「町田佳聲」には「町田嘉章」という表記もあります。同一人物が姓名判断で字を変えたのかは不明。
http://www.1134.com/min-you/99bib1.shtml



但馬と静岡に残る「だらう」

偽中国人 (2004/12/04 05:46)

昔NHKTVで放送した《夢千代日記》(但馬が舞台)には「だらー」がいっぱい出てきました。
http://www2.nkansai.ne.jp/users/ytaniguchi/jodoushi.htm

「だらー」はあまりにも濃厚(=大阪弁では“コテコテ”)なので《ちびまるこちゃん》には出てきませんが、駿河(そして多分、遠州)でも「だらー」を使います。
遠州森の石松:「江戸の生まれダラー、寿司食いねー」
「きゃあるが鳴くんで雨ヅラよ」

“三河弁は「じゃん・だら・りん」構成されています。”
http://www.tnk.gr.jp/search/young/cresult.asp?cate=dial

播州では「だらう」よりも「やらう/短縮形=ヤロ」をつかいます。
播州姫路の石松:「江戸の生まれヤロ、寿司食わんかー」
とここまで書いて
「江戸の生まれヤテー、寿司食わんかー」という方が適切だということに気付きました。
この「ヤテー」も2音節、3モーラの抑揚によっていろいろなニュアンスを表わします。

自分の意見として推察した場合は「だらう=やらう」を使い、
伝聞・聞きかじりの場合は「だって=やてえ」を使う。

明日は雨が降るヤロー。
明日は雨が降るンヤテ。
明日は雨が降るネンテ。
明日は雨が降るネントー。



擬音の音声学的考察

高駒麗人KOMA (2004/12/04 04:59)

>三味線、ギターともにペンペンとか、ティンティン、琴などはコロリンシャン、ハープはポロンポロンというように、「ん」の音になるからではないか、と言うことです。

ペンペンpenpen、ティンティンtintin、コロリンシャンkororinsyan、ポロンポロンporonporonは、破裂音p,t,kや弾き音rの後に鼻音nが続きます。
指や撥で弦をはじく場合、指や撥と弦が触れる→離れる→弦が振動するというプロセスをたどります。

これが「破裂音p,t,kや弾き音rの後に鼻音nが続く」という言語音の連続「ぺんぺん」等で表現されるのは、指や撥が弦を叩く瞬間を破裂音p,t,kや弾き音rで表現し、そのあと弦が振動して出す音を「母音と鼻音」で表現しているのでしょう。
母音と鼻音は波形が似ており、破裂音と比べると「母音と鼻音」のほうが緩やか波形になります。
「ぱん」panであれば波形は---V〜〜〜のようになります。
---(無音)V(破裂p)〜〜〜(母音と鼻音an)

むしろ母音は發音しやすいための添え物で、例えば「ぺんぺん」penpenはp’n-p’nのようなものかもしれません。最初の破裂がpで、次の弦の振動がnというわけです。

では母音の違いは何を表しているかといいますと音源の大きさや音色のようです。

「ぴんぴん」pinpin(i:舌が前で口腔が狭い母音)小さいものから出る高音
「ぺんぺん」penpen(e:前で中くらい)
「ぷんぷん」punpun(u:奥で狭い)
「ぽんぽん」ponpon(o:奥で中くらい)大きい物から出る低音
「ぱんぱん」panpan(a:口が一番大きい)大きいものから出る大きな音

これを比べると、「ぴんぴん」より「ぽんぽん」の方がより大きい物や太い物から出る音を表し、また、「ぴんぴん」より「ぽんぽん」の方がまた低い音を表します。

また「かんかん」kankanは軽くて薄い金属を叩いた音などで、「がんがん」ganganは重くてブ厚い金属を叩いた音などを表します。
清音より濁音の方が重厚で低音のイメージでしょう。
小石がころがると「ころころ」korokoro、岩がころがると「ごろごろ」gorogoro、また、「ころん」koronと「ごろん」goronのように「ん」Nで止めると「一回まわって止まる」という形容になります。

pとbは口の表面で出す唇音なので、「ぴんぴん」pinpin、「びよーん」biyo^n[bijo:N]、「ぱんぱん」panpan等は物体の表面から出るような感じです。

一方、kとgは口腔の奥から出る舌根音なので、「きんきん」kinkinや「かんかん」kankan、「がんがん」gangan、「ごー」go:などはどちらかと言えば物体の中から出るような音になると思います。



用言の活用による母音交替

高駒麗人KOMA (2004/12/04 03:18)

「です」/des-u/
>未然形「でせ」/des-e/+推量「う」/u/
>「でせう」/des-eu/
>「でしょう」/des-jo:/

「である」/de-ar-u/
>未然形「であら」/de-ar-a/+推量「う」/u/
>「であらう」/de-ar-au/
>「であろう」/de-ar-o:/
>「だらう」/dar-au/?
>「だろう」/dar-o:/?

問題は「です」des-uが「でせ(う)」des-e(u)になって、uがeになるのに対し、「である」de-ar-uは「であら(う)」de-ar-a(u)になってuがaになることです。

サ行五段動詞の場合、「話す」hanas-uは未然形が「話さ」hanas-aなので、否定は「話さない」hanas-a-naiになります。
サ行変革活用動詞の場合、「する」s-u-ruは未然形が「し」s-iなので、否定は「しない」s-i-naiになり、「話(を)する」hanasi-(wo-)s-u-ruの否定形は、「話(を)しない」hanasi-(wo-)s-i-naiになります。(名詞「話」hanasiは動詞「話す」hanas-uの連用形「話し」hanas-iが名詞化したものです。五段の場合、連用形は語幹プラス i です。)
つまり活用の場合に、語幹と語尾の間に入る母音が i だったり a だったり e だったりするわけです。
この辺はどうなのでしょう。
未然形と以前形の違いもよくわかりません。



re: re: sororate & levirate

高駒麗人KOMA (2004/12/04 03:08)

re: sororate & levirate 投稿者:Maniac C.さんへ  投稿日:11月30日(火)01時50分40秒

>■levirate の語源は、ラテン語の le:vir で、「夫の兄弟」を意味する語です。
ご説明ありがとうございます。
羅語はラテン語(羅甸語、拉丁語)ですね。



「でせう」「だらう」分析

高駒麗人KOMA (2004/12/04 03:04)

「でしょう」/desjo:/は「でせう」/deseu/の「せう」/seu/が「しょう」/jo:/に変わったもの。
つまり/des-/の後の「えう」/eu/が「おう」/o:/になったものです。
「でせう」/deseu/は「です」/desu/の未然形「でせ」/dese/に推量の助動詞「う」/u/がついたものです。
すると「です」/desu/は/des-/が語幹で、終止形が「です」/des-u/、未然形が「でせ」/des-e/になる。
「だろう」/daro:/は「だらう」/darau/の「らう」/rau/が「ろう」/ro:/に変わったもの。
つまり/ar-/の後で「あう」/au/が「おう」/o:/になったものです。
形容動詞の未然連用終止連体假定命令形は「だろ/daro/、だっ/dat-/、で/de/、に/ni/、だ/da/、な/na/、なら/nara/」です。
しかし未然形の「だろ」/daro-/は「だらう」/darau/が/daro:/になったのを「だろdaro+うu」という風に分類したもののようで少々無理があります。
むしろ「だら」/dara-/に「う」/u/がついたと考えるのが妥当でせう(だらう)と思います。
すると「だら」は何か・
「だらう」/darau/は「であらう」/dearau/の連音では?
「だろう」/daro:/は「であろう」/daro:/の連音の結果では?
すると「だろう」/daro:/は「であらう」/de-ar-au/になり、「で」/de/+「ある」/ar-u/の未然形(已然形?)「あら」ara-+推量「う」/u/という分類になります。



「でしょう」「だろう」辞書の説明

高駒麗人KOMA (2004/12/04 03:02)

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=12695700&p=%A4%C7%A4%B7%A4%E7%A4%A6&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1
でしょ°う〔でせう〕
〔連語〕《丁寧な断定の助動詞「です」の未然形+推量の助動詞「う」》「だろう」の丁寧な表現。「明日は雨が降る―°う」「彼が遅刻したのは、ねぼうしたからなの―°う」

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%A4%C0%A4%ED%A4%A6&stype=0&dtype=0
だろ°う〔だらう〕
〔連語〕《断定の助動詞「だ」の未然形+推量の助動詞「う」》不確かな断定、あるいは推定の意を表す。「彼はきっと成功する―°う」「むこうの山が南アルプス―°うか」→のだろう〔連語〕《準体助詞「の」+断定の助動詞「だ」の未然形+推量の助動詞「う」。話し言葉では「んだろう」とも》
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=14440300&dname=0na&stype=1&dtype=0&ref=1



撥音の命名由来

言語求道者 (2004/12/02 23:37)

たぶん2年間くらいの御無沙汰です。以前は実名で参加していました。結果、ネットで坪内達雄で検索すると、このサイトや他のサイトに書いた内容が、ログとしてが公開されることになることが分かりました。読まれて困る内容ではないし、新聞の「読者の声」や「コラム」にも投稿して、公開された意見がいくつかあるので問題はないのですが、公開されると言う心の準備がなかったので、ちょっとびっくりして遠ざかっておりました。いまは、定年退職後の自由の身です。言語への関心が嵩じて、「日本語教師養成」の専門学校に入学しました。その課目「音声学」講義の中で「ん」をなぜ「撥音」と言うのかが質問されましたが、先生(有名大学助教授)は由来が分からないといっておられました。
大辞林には「撥ねる音」とありますが、なぜ「ん」が撥ねる音なのでしょうか?私の推量では、撥弦楽器の音が関係しているのかなあ、と言う程度です。三味線、ギターともにペンペンとか、ティンティン、琴などはコロリンシャン、ハープはポロンポロンというように、「ん」の音になるからではないか、と言うことです。ほとんどオヤジギャクのせかいでしょうか。(笑)どなたか教えてください。



(無題)

あお (2004/12/02 22:25)

ひでほさんありがとうございました。
読んでみます。



re:だろう、でしょう

ひでほ (2004/12/02 13:10)

最近、出版された”小学館日本語新辞典”(松井栄一編、2005)は類語の扱いが詳しいと、この辞典の出版社が宣伝しています。この辞典は、”でしょう”は”だろう”の丁寧体と説明しています。この辞典は、この11月末に出版されました。この丁寧体という説明は、もちろん、判断に個人差があり、”あおさん”のような考えもありえます。

"It will rain tomorrow."自体は、"It rain tomorrow"という内容の事(命題)を、主観的か、客観的かどちらかで、”私は思う”という意味です。”明日、雨が降ると私は思う”という程の意味です。この助動詞のwillが、話し手の心の状態を表します(この場合は、例えば、”思う”)。命題は抽象的なものですので、"It rain ...."と故意に、rainsにはしませんでした。客観的というのは、天気予報に基づき、”雨が、降るそうだ”(”雨が降ることがありうる””天気予報が明日、雨が降ると言っている”)位の意味です。周知のように、このような助動詞を、法助動詞(modal auxiliary)と英文法で呼びます。

あまりお役に立てませんでした。



「だろう」と「ろう」は同じか?

あお (2004/12/01 21:42)

はむはむさんありがとうございます。実はそんな気もしたのでdaがあるとないの差の質問といたした次第です。desu+ou, da+r+ouで比較するとr音の違いもあるのでなにか変わるかなと考えました。



敬体と常体

はむはむ (2004/12/01 21:06)

「降るでしょう」と「降るだろう」は全く同じ意味では?



「だろう」と「ろう」は同じか?

あお (2004/12/01 12:11)

どなたかお教えください。 今の中学では”It will rain tomorrow."を「明日雨が降るだろう。」と訳します。私の感覚ではこれは誤訳で、「降る」が多分正しく、「降りましょう」、「降るでしょう」ならまだしも、「降るだろう」だと「予想に自信も根拠もありませんが」という意味にそれていってしまうような気がします。現代文章語なら「降ろう」古語なら「降らむ」だと思いますが。



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