言葉の世界・伝言板 2002年3月



ありがとうございました

忘れた頃 (2002/03/30 20:31)

「ウリズンとウルマ」の語源について投稿したものです。
お返事いただきありがとうございました。
 ウリズンのウリ(ウル)、ウルマのウルは「潤む」と関係が
あるのではないかとおもいます。
 ウリ、ウルは水に関する古い言葉ではないでしょうか。
 ウリズン(ウルズン)は、ウリ(湿気)がイジン(でる)と言う意味では
ないでしょうか。沖縄の若夏はこれからとのことです。ちょうどこれから6月の
梅雨に向けて湿気の多い気候になっていくそうです。
 ウルマはウルが水でマが島という意味で湿気の多い島、雨の多い島という意味ではないでしょうか
「潤む」をヒントに思いつきのまま何の根拠もなく投稿しました。おゆるしください。



(参考):ウルズンとウルマ

sohodo (2002/03/30 19:42)

yahooで検索してみると、いくつかヒットするようです。 参考まで。
・ウリマ  http://www.u-r-u-m-a.co.jp/
・ウルズン http://www5.ocn.ne.jp/~yaeyama/message.html ほか.。



Re:ウリズンとウルマ

佐藤和美 (2002/03/30 18:20)

『日本国語大辞典』には「沖縄」の意味の「うるま」の語源説として次の説が載ってます。
「その言葉を聞き知らないの意のウルマの転[名言通]。」

ま、あまり信じられそうな説ではないですね。

「うりずん」の語源もよくわからないですね。


琉球語音声データベース
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/

ウリジン
旧暦2〜3月、麦の穂の出るころのこと。ワカウリジン 'wakauriziN ともいう。那覇ではウルジン uruziNという。

ワカナチ
初夏。旧暦4〜5月の、稲穂の出始めるころをいう。


大辞林
うりずん
(沖縄地方で)初夏。陰暦二、三月の頃。うるじん。

「うりずん」(旧暦2〜3月)を「初夏」としていいのか?
「初夏」は「ワカナチ」(若夏)ではないのか?



「バッチリ」

toki (2002/03/30 03:58)

初めて書き込みします。どこを調べても答えが出で来ないままなのですが、「バッチリ」の語源とはなんなのでしょうか?くだらないことだとは思いますが、ご存知の方がいらっしゃったら教えて頂けないでしょうか?よろしくお願いします。



ウリズンとウルマ

忘れた頃 (2002/03/30 01:17)

 沖縄地方で初夏のことをウリズンというそうです。
また、沖縄地方のことをウルマというそうです。
ウリズン、ウルマ共にロマンテックな名前です。
 どなたか、ウリズン、ウルマの語源を教えて
もらえないでしょうか。



massangeana さま。

ろんりーかんがるー。 (2002/03/29 01:05)

詳しいお話ありがとうございました。
ところで,発音記号をどうやって書き込めばいいのかと思って,[shi]などとやったのですが,[Si]でいいのですね。あの何と呼ぶのか存じませんが「‘s’の伸びきったやつ」の代用を大文字がしているのですね。こりゃ便利です。ありがとうございました。



「鼻」のこと

sohodo (2002/03/28 15:08)

なるほど。よくわかりました。 ありがとうございました。
ほかに「鼻」は"とって" "つまみ" の意もあるのを辞書で知り、ちょっと面白く感じました。



Re:鼻持ちならぬ

田島 (2002/03/28 11:28)

>sohodo様

柴田武さんの『常識として知っておきたい日本語』(幻冬舎,2002.4.10第一刷)からです。
「…『鼻持ちならない』は、臭気に堪えるという意味の゛鼻持ち"からきた言葉で、嫌みな言動をする人について言う。」(p94)

つまり、「鼻持ちならない」は「臭くて我慢できない」というのが本来の意で、のちに人の態度にもちいるようになったということです。そういえば「鼻につく」も似たような表現でしたね。



鼻持ちならぬ

sohodo (2002/03/28 10:02)

例えば、話も態度もキザでヤなヤツ などのことを「鼻持ちならぬ」というのは何故ですか。



Re: とんび足

UEJ (2002/03/28 04:12)

小学館国語大辞典より引用です。
とんびあし【鳶足】
(足先の開き具合が鳶が尾羽を広げた恰好に似ているところから)
足を尻の下にしないで左右に開いて、その間に尻を落とすすわり方。

トンビの足に似ているのでなく、羽根に似ているということですね。



とんび足

アリオーソ (2002/03/27 16:45)

「トンビ足」という座り方があります(両足をお尻の下に置かずに、左右に広げてぺたんと座る)。
辞書を見ると「亀居」が同義語となっています。確かに亀の足の開き様は、この座り方をした場合の足の形そのもの?ですが、これをどうして「トンビ足」「トンビ座り」というのでしょうか。

ご教示ください。



プロパガンダ

語源ファン (2002/03/27 16:35)

ある受験単語集にPRはpropagandaの略であると思わせるような記述があって、
(実際は覚え方のヒントだったようですが)、生徒の大多数がそう信じていて、
困ったことがありました。
 結局「宣伝」の訳語が表へ出すぎているから、PRから propaganda
の方が先に出てくるのかもしれませんが,public relationsは本来は字面どおり
「人々」との「関係」です。実際には会社と顧客の関係をさすことが多いので、
「宣伝」の意味が中心になったようですが、一種の婉曲語法ではないでしょうか。
ちょうど「苦情処理係」を「お客様係」と言うのと同じように。



「PR」って何の略?

佐藤和美 (2002/03/27 12:41)

「PR」って何の略か考えもしないで使ってますけど、
「public relations」の略なんですね。



Re:「〜にくい」「〜づらい」「〜がたい」

狐の悠 (2002/03/26 09:40)

てるぼーさんのカラオケ理論(?)に非常に受けましたので、借用してみました。

・歌は巧くないので、アップテンポのサザンの曲は歌いにくい。
・咽喉を傷めているので、キーが高いサザンの曲は歌いづらい。
・桑田が大嫌いと言う人が居るのでサザンの曲は歌いがたい。

・・・すみません、出直してきます。



Re: 「じ」と「ぢ」,「ず」と「づ」

massangeana (2002/03/25 20:12)

そういえば NHK の「ふるさと日本のことば」に“「ず」と「づ」の違い”というのが
ありました。下のページで音声ファイルが聞けます(要 RealPlayer)。
なかなか難しいです。「ヂ」は [dZi] らしいのですが, 「ヅ」の方は(「ツ」も?) 摩擦が非常に弱く,
しかも「ヅ」の前に弱い鼻音(n)が聞こえるようです。



Re: 「じ」と「ぢ」,「ず」と「づ」

massangeana (2002/03/25 19:55)

いまも高知の一部で区別されている, らしいです。テープで聞いたことがありますが,
それでは「ジ[Zi]:ヂ[dZi]」, 「ズ[zu]:ヅ[dzu]」のような区別でした。
国語学の入門書に書いてあると思いますが, 16世紀の標準的な発音でもこれと同じような区別があっ
たようです(すでに混乱も始まってはいたようですが)。しかしもう少し前の 15世紀には, (ハングル
で書かれた日本語資料などにより)「チ[ti] ツ[tu] ヂ[di] ヅ[du]」であったと考えられます。

うんと昔には「シ・ス」が現代語の「チ・ツ」に近く発音されていた, と考える人が多いです。

発音は時代によってどんどん変化するものなので, 「もともと」というのは存在
しないのがふつうです。



IPA...

massangeana (2002/03/25 19:40)

細かい話で申し訳ありませんが, "[" と "]" でくくった発音記号は IPA の決まりごと
 http://www2.arts.gla.ac.uk/IPA/fullchart.html
に従わなければなりません。[ji] と書くとそれは「イ」のような音になり, [shi] は「スヒ」の
ような音を意味します。話が混乱するもとになるのでよろしく。

IPA は特殊な文字が多くて, 電子メールなどでは使いにくいので, かわりに ASCII IPA という
のが使われることがよくあります。
 http://www.hpl.hp.com/personal/Evan_Kirshenbaum/IPA/faq.html

この方式に従えば(現代の)「シ」は [Si], 「チ」は [tSi], 「ジ」は [dZi] になります。
(ASCII IPA では /.../ で囲むようですが, これはちょっと困るので [...] を使用)



「じ」と「ぢ」,「ず」と「づ」

ろんりーかんがるー。 (2002/03/25 11:44)

「じ」と「ぢ」,「ず」と「づ」などの音の違いについては以前にお話がありましたでしょうか?
もしないならうかがいたいのですが,もともとは,それぞれ[ji][di][zu][du]などと発音されたものでしょうか?



異物。

ろんりーかんがるー。 (2002/03/25 11:37)

外国人に,五十音の表が
[sa][si][su][se][so]とならずに[sa][shi][su][se][so]
になっていることとか,
[ta][ti][tu][te][to]とならずに[ta][chi][tsu][te][to]
になっていることを説明する時に,やはりイレギュラーな子音の混入しているところは覚えてもらいにくいものなんでしょうか?子供の頃から馴染んでいる私たちには何という事もないことですけれど。



フェ→ヘ

UEJ (2002/03/24 00:43)

随分前の話ですが、1999年9月に『「f」が「h」になってしまったという話』という話題がありました。
で、「フェ」→「ヘ」の身近な例が見つからなかったのですが、最近一つ見つけました。
【ヘット】牛の脂から採った料理用のあぶら ← オランダ語「vet(フェット)」より。
ちなみに「vet」は英語の「fat」に対応する単語です。



Re:桜の語源

佐藤和美 (2002/03/22 12:13)

これも読んでみてください。

「桜」佐藤和美 (2000/12/08 12:50)



ありがとうございます。

ムラサキ (2002/03/22 10:51)

流石ですね。てるぼーさんの答えに感心しました。わかりやすいです。(^○^)
日本語を勉強している外国人にとって本当に難しいと思われることは、こういう使い分けとニュアンスの違いだと思います。
またもう一つの難問がありますが、それは「〜にくい」「〜づらい」「〜がたい」です。
こういうのを説明するとしたら、どういう例えがいいのか悩んでいます。
是非、皆様の力を借りたいので、どうか宜しくお願いします。



Reきる、つくす、ぬく、とおす

てるぼー (2002/03/21 20:56)

一つ一つの辞書的な意味であれば簡単ですが
(調べればいいことですから)、その違いを
人にわかりやすく説明するとなると難問ですね。

以下、私見です。間違っていたらご指摘ください。
挙げられている言葉はどれも、「継続的な行為の完了」
ということでくくれると思います。

問題は何をもって「完了」とするかですが、大別して、

(1)一定の期間が終了することで行為が終わる場合。
(2)対象事物がこれ以上なく、行為が継続できない場合。
(3)継続的な行為の結果、一定の状況に達して行為を打ち切った
場合。

の3つになると思います。あえて名づければ、(1)期間的完了
(2)量的完了(3)結果的完了とでも言うのでしょうか。

この区分でいくと、(1)が「とおす」(2)が「つくす」と
「きる」、(3)が「ぬく」、という気がします。

そして、(2)の「きる」と「つくす」の違いですが、
対象事物が一つしかなくて(あるいは集合的に一つとくくれる
もので)、その一つが百パーセント完了した場合が「きる」、
対象事物が複数あり、その対象事物の個々が一つ残らずなくなった
場合は「つくす」ということでどうでしょうか。

例として、「カラオケでサザンを歌う」行為を考えてみると、
時間終了までサザンの歌を歌っているのが「歌いとおす」、
サザンの曲のうちある一曲を最初から最後までフルコーラス全部
歌うのが「歌いきる」、登録されているサザンの曲全てを歌うのが
「歌いつくす」、本人がサザンを満喫して、これ以上歌わなくても
よいという状況に達した場合、言いかえれば、そういう状況
に達するまで歌っていた場合が「歌いぬく」。

ちょっと強引ですかね。



「複合助詞『〜つくす』、『〜きる』、『〜 ぬく』、『〜とおす』」

ムラサキ (2002/03/21 15:56)

いつもお世話になっております。
どなたか「複合助詞『〜つくす』、『〜きる』、『〜 ぬく』、『〜とおす』」の違いについて、教えて下さいませんか。
自然に使っていても人に説明するのが非常に難しくて助けを求める次第です。
宜しくお願いします。



堂々とお花見をしお酒を飲みたい

machi (2002/03/21 08:26)

酒と桜の民族
花見の起源、桜の語源,花見の歴史などありましたね
http://page.freett.com/saketosakura/index.htm
結構沢山の人が興味もってるみたい,
ことしのお花見にはこれで堂々とお酒を飲める予感〜♪
http://page.freett.com/saketosakura/



ありがとうございます

penpen (2002/03/20 22:53)

早速にありがとうございます。
これからゆっくり読ませていただきます。



「桜」の語源。

ろんりーかんがるー。 (2002/03/20 22:34)

知っていたわけではありませんが,調べてみました。

 http://page.freett.com/saketosakura/sakura.htm



桜の語源

penpen (2002/03/20 20:05)

はじめまして!
桜の語源についてお伺いします。
もともと、「さ」の意味と「くら」の意味が分かれていて、
それが一つになったとか聞いたのですが。
お願いします。



Re:系統

李 (2002/03/18 19:50)

間違って、入力した。

>印欧語族がそれ以外の言語と関係しないことが通説であるかのように書かれていますが

それは私の不勉強で、後に書き直します。ご指摘、ありがとうございます。



Re

李 (2002/03/18 19:44)

李さんのホームページを拝見していて少し気になったこと:
印欧語族がそれ以外の言語と関係しないことが通説であるかのように書かれていますが, 印欧語が
他の言語と同一の源から分かれた可能性は大いにあって,



言語学でノーベル平和賞

田邉露影 (2002/03/18 18:34)

なんてのはないにしても、
言語学でノーベル賞的な賞があるとしたら、
ケネス・リー・パイクに間違いなく表彰すべきだと、
某先生が呟いていました。



re: 削除した過去ログのことなど/re: ゲルマン固有語&漢語と印欧語との関係

田邉露影 (2002/03/18 18:32)

>佐藤さん
> 語順が入れ替わることはあるけど、
> 屈折語が孤立語に変化することがありえるのか?

massangeanaさんのご意見と重複しますが、
中国語の屈折の話しは私も耳にしたことがあります。

そして、言語は数千・数万年かけて、
その間を絶えず揺れ動いているそうです。

印欧祖語が極めて膠着語的言語であったという意見もあります。


問題は、屈折語・孤立語というのは、
フンボルトがとりあえず作った、
極めて大雑把な言語の類型であって、
完璧な孤立語とか完璧な屈折語というものを求めると、
逆にごく少数になってしまいます。

日本語も、いちおう膠着語には類型されていますが、
動詞の活用は屈折的です。
(ただし印欧語とは屈折の対象が違っています)

ですから、視点によって
英語も孤立語と言えないことはなく、
「英語と中国語は孤立語で、文法が酷似している」というのは
「百円玉は細長い長方形だ」と一緒で、
はある点では肯定でき、
ある点では否定できます。

こういう類型は単に「ものさし」として使い、
その「ものさし」自体には
あまりこだわらないのが得策といえましょう。


>李さん
→「ゲルマン固有語」(3月17日(日)02時10分38秒)
> 例えば、ゲルマン語派の言語はどうしてラテン語と同族の言語と言えるのかというと、
     (中略)
> 通する語根に由来すると思われるから、両者が同族の言語と判断されるのである。

その固有語ってソシュールのいうところの、
idiome のことですか?
(でもコバヒデは「特有語」と訳していたような……)

それは共時的な言語の差異を
表現する時において使うべきで、
いままで李さんがお使いになっていたような
通時的な言語の差異を表現する時には
(i.e. 英語と独語で語源が共通の語彙など)
同系語と表現するのが、
一般的だと思いましたが?
(ちなみに「言語学大辞典 述語編」には、
 固有語・特有語はどちらも載っていませんでした。
 こういう辞書で定義されていない言葉は、
 きちんと定義づけをおこなっておくのがマナーです)

それはともかく
……ホントに何度も繰り返したくないんですが、
「説明不足でしたので、」と
申し上げたはずです。


> 佐藤さんと田邉さんの言うゲルマンの固有語は、学界には「ゲルマン特有語」という。

でたでた。「学会には(〜では)」。

しかし、
・どこの学会か明記されていないこと、
 (多分、日本言語学会でしょうけど、
  最近、歴史言語の話題減ったなぁ〜)
・この掲示板はその学会とは何の関係も無いこと、
・この掲示板はそれら述語に関して分からない
 初心者の方々が気楽に質問できる場であること、
・それ以前に、学会ならばこれら紛らわしい言葉は、
 「本文では、特有語・固有語は
  このように定義づけておきます」と
 きちんと断っておくのがマナーであること。
 特に「固有」は吉田和彦(1996)『言葉を復元する』で
 李さんのおっしゃる「特有」の意味で使われていた記憶が……。
のような問題点がありますが、
どっちにしろ「簡単には論破されないので〜」
云々の発言をしておきながら、
都合の悪い箇所(あるいはムカついたところ?)は
「纏足の布」とコメント拒否されるのでしたら、
「議論」の余地すらありません。


→「漢語と印欧語との関係」(3月18日(月)17時51分21秒)
あ、おっしゃりたいことが
私にとってだいぶ分かりやすくなりました。

すでに法則性のある音法則が確立できないのなら、
なんともコメントしにくいですが、
> 原漢語と原印欧語は、何の形で密接の関係があったのは十分考えられる。
ウラル祖語と印欧祖語でも、
少数の語彙に借用関係があったそうですし、
ちょっと昔すぎて考古学とか
いろいろと絡んで来そうですから、
それこそ私には
「可能性はありますね」としか言えないです。



ノーベル平和賞クラスの発見という方

李 (2002/03/18 18:31)

世界共通基語管理局を設けて、局長と自任する方もいらっしゃる。
ノーベル平和賞を手に入れたい方と同じ人物かどうかを知らないが、私と彼との議論は「ヤフー掲示板・人文芸術・歴史・世界史・漢語と英語」に記録されている。

ノーベル平和賞というより、印欧語の研究成果を参照すれば、漢語語源の研究が突破的な進展を得られるのは間違いない。漢語と印欧語の関係については、今では仮説に過ぎないが、漢語と印欧語に、同じ語源に由来する単語がたくさんあるということは、確かなのである。まず、この事実を検証したい。私の提示した漢語と印欧語との音義一致する対応は、間違っているのか?

例えば:印欧語根*pelと漢語語根*pekとの対応。
印欧語根*pelに由来する単語は:pulsate pulse push compel expel propel repel impel paleなど。漢語語根*pekに由来する単語は:迫(peak)、拍(peak)、搏(pak)、薄(bak)、箔(bak)、白(beak)など。
compel expel propel repel impel=迫(peak) 、強迫、追迫、駆迫、迫使。
felt filter=薄(bak)、箔(bak)   filter:a piece of felt
pulsate(心拍)、pulse(脉搏)=拍(peak)、搏(pak)
push=拍(peak)、搏(pak)
pale= 白(beak)

http://home.att.ne.jp/iota/gogenkenkyu/



漢語と印欧語との関係

李 (2002/03/18 17:51)

>屈折の問題をどうするか?

答えは簡単。漢語は印欧語族の一員ではないから、文法が違うのは当然なこと。私の扱っている問題は、漢語と英語が同族の言語かどうかを比較することではなく、異なる語族の間に、具体的に言うと漢語と印欧語の諸言語の間に、同じ起源を持つ語彙が、たくさんあるということだけです。

漢語と印欧語との関係は二つの可能性が考えられる。一つは史前時代に両者が何らかの形に接触していた。語彙のレベルで互いにたくさんの借用語を取り入れた(後世の漢語と日本語のように)。もう一つは印欧語族とシナ・チベット語族とは共同の祖語に由来する。つまりユーラシア祖祖語というものがあった。比喩的に言えば印欧語族の諸言語は兄弟のような関係であれば、漢語との関係はいとこ同士のことである。

言語の発生、発展過程を考えて、その初期の歴史段階で、すでに今とほぼ同じ形の複雑な形態があるとは考えにくい。人類は先ず発音器官ができ、次に簡単な音声の組合せで単音節の単語ができ、単語と単語との並びだけで、互いに意思の疎通を果たしていたのに違いない。そのような時期は、かなり長かったであろう。複雑な文法を完成するのは歴史的にかなり後のことであろう。だから、異なる語族の言語間に共通する単語があるという可能性は否定できない。

とくに漢語と印欧語には、先史時代に密接な関係を持っていた可能性が十分あるのである。なんと言っても、漢語と印欧語を操る人の集団は、陸続きに住んでいたのだから。中国文明がオリエント起源説は、世界史研究家の間に周知のことである。中国史の権威アンダーソン(1874〜1960)は、漢民族は人種的にも、オリエント(メソポタミア)の古代民族に起源すると説いた(彼の著書『黄土地帯』を参照)。前嶋信次氏の著書『東西文化交流』のなかに、漢民族のオリエント起源説について、詳しく紹介している。印欧語族は約7000年前に、西アジアから中央ヨーロッパにかけての地域で成立したと推測される。原漢語と原印欧語は、何の形で密接の関係があったのは十分考えられる。

>屈折語が孤立語に変化することがありえるのか?

近世英語は急速に屈折語から、孤立語に変化しつつあるという事実を考えて、それは可能であるといえざるを得ない。

人類の先史時代も、千年、万年の単位で文法は全然変化しなかったとはとても言い切れない。漢字の歴史は少なくとも4000年があると推定されるが、漢字の特性から文法的な要素「性」、「数」、「格」などを表わし難いだから、長年の漢字使用の故に漢語は屈折した文法的な要素を脱落した可能性はないのか?孤立語だから漢字に適応するのか?長年漢字を使用していたから孤立語の様相が強めたのか、どちらも言える。

漢語と印欧語との比較研究の可能性については、私のHPの語源研究の前書きの部分を参照してください。
http://home.att.ne.jp/iota/gogenkenkyu/



系統

massangeana (2002/03/18 17:05)

李さんのホームページを拝見していて少し気になったこと:
印欧語族がそれ以外の言語と関係しないことが通説であるかのように書かれていますが, 印欧語が
他の言語と同一の源から分かれた可能性は大いにあって, たとえばセム語とは文法・語彙ともにか
なり類似しているので, 昔からこの両者を関係づけようとする人は少なくありません。ただあまり
納得できる証拠がないだけです。中国語についてもサピアのようにアメリカのナ・デネ語族と比較
している人もいます (これは現在ではほぼ否定されているようです)。いちばん極端なのはグリーン
バーグで, 彼によると印欧もウラルもアルタイも朝鮮語も日本語もアイヌ語もギリヤーク語もエス
キモー・アレウトも Eurasiatic というひとつの大語族 にまとめられます (残念ながら中国語はこれ
には含まれないようです)。
ですから, 印欧語族がそれ以外の言語と関係しないと言語学者が考えているわけではなく, ただ
確実な比較の方法を打ち立てることにだれも成功していないだけです。

>屈折語が孤立語に変化することがありえるのか
ないとはないと思います。
先秦の中国語文献で代名詞の「吾・我」や「爾・汝」(こっちはちょっと怪しい)が,
動詞との関係によって使い分けられていることは有名で, これにより中国語はもとは
屈折語であったと考える人もあります。



削除した過去ログのことなど

佐藤和美 (2002/03/18 13:04)

私のパソコンの中にある削除過去ログHTMLファイルは94KByteあります。
けっこうありますね。

こんなのもありました。
「英語やドイツ語・フランス語やギリシャ語・ラテン語などのヨーロッパの言葉とインドのサンスクリット語は、インドヨーロッパ語といわれて、同じ言葉からできています。これらと漢字を比較して、同じ仲間であることが分かりましたので、ホームページでお教えしています。ご覧下さい。ノーベル平和賞クラスの発見です。是非、ご覧下さい!」
なにをいいたいのかよくわからない文章ですが、「ノーベル平和賞クラスの発見」というのがすごいですね。

田邉さん
>また「屈折」をどう扱うかという問題も出てくると思います。

また言語学者だという人が「英語と中国語は孤立語で、文法が酷似している」みたいな書き込みをしたことがありました。
それに対する間接的な書き込みがこれです。
「言葉の種類」(2000/07/17 12:44)

語順が入れ替わることはあるけど、屈折語が孤立語に変化することがありえるのか?



面白ければ

萌 (2002/03/18 11:31)

それで良しと思います。
言葉の世界ファンさんとは見解が違いますが、こんな私も言葉の世界ファンです。
李さんの書き込み、面白く読ませていただいてますよ。
不勉強で、丁々発止と議論はできませんが、まあ、そのうち、そのうち。
とりあえず、ことわざ辞典でも読もうかな。



Re:田邉さんにお願い

佐藤和美 (2002/03/17 17:10)

田邉さん、ありがとうございます。
過去ログ('01年6月分)、早速更新しました。



「言葉の世界」伝言板2月分

佐藤和美 (2002/03/17 09:13)

過去ログ、更新するのを忘れてました。

 「「言葉の世界」伝言板2月分」を追加しました。



諺の定義

坪内達雄 (2002/03/17 09:02)

李さんのRESは、私の質問に答えておられなかったので、私なりに諺のカテゴリーとしての定義についていくつかの辞典、辞書を調べてみました。結果、私が諺の形態(構文)はこうあるべきと思っていたことが間違いだったようです。私は諺と言うものは「ローマは一日にしてならず」とか「時は金なり」とか言うように、短い言葉の中に完結した論理が確立しているもの、と思っていました。その観点から「一長一短」とか「白日の下に曝す」などの言葉は、形容詞的表現であると思っていた訳です。ところが辞書によると共通の解説として「古くから言い習わされている(言い伝えられている)訓戒、風刺、教訓」と言うものでした。ジャンルとしては「古諺」「西諺」「名諺」「里諺」「俗諺」「俚諺」があるらしい。したがって李さんの「纏足の布」はりっぱな諺なんですね。このことに言及されなかったのは、李さんの思いやりでしょう。
それにしても「三面六臂」が「八面六臂」「七面八臂」に「独擅場」が「独壇場」に変形するのは、本来の語義からあまりにかけ離れたものになったと言えますね。



Re:中国の諺

李 (2002/03/17 02:50)

中国語の諺にしても、英語の諺しても、地域や、時代の違いや、或いは単なる個人の好み、言い癖によって、変形があります。

『羊頭狗肉』、『牛頭馬肉』、両方可。
「竜頭蛇尾」も、「虎頭蛇尾」も、両方可。

「纏足の布」の類、中国では「諧後語」という。「纏足の布」〜又臭又長(臭いし、長いし)。普通には〜「又臭又長」の部分は(「諧後語」の後半部)を言い出さない。「纏足の布」だけを言えば、みな意味が判って来る。

他の「諧後語」は、
兎の尻尾〜長不了。
和尚頭上の蚤〜(はっきり見える)
いろいろある。



ゲルマン固有語

李 (2002/03/17 02:10)

>印欧祖語に遡れるなら「ゲルマン語固有」ではないですね。

議論をするとき、私的な、個人的な定義を使うべきではない、相手と同じ土台に立つために、社会一般、或いは学界共通の定義を従うべき。これは広義的に言えば、言葉の問題でもある。

例えば、ゲルマン語派の言語はどうしてラテン語と同族の言語と言えるのかというと、ゲルマンの固有語(ラテン語や、ギリシャ語からの借入語、いあゆる外来語を除いて)、とラテン語の固有語(ギリシャ語や、ヘブライ語からの借入語を除いて)とを比較して、ゲルマンの固有語とラテン語の固有語は、たくさんの(三割以上)語彙及び基本単語が共通する語根に由来すると思われるから、両者が同族の言語と判断されるのである。

英語を例としては、英語のfoodという単語は英語の固有語で(ゲルマン基語に由来する)。対応するラテン語の固有語はpanisという。日本語に入った「パン」という言葉は、ポルトガル語のpao(ラテン系)に由来する。foodとpanisを比較した結果、両者が共に印欧語根*pa= to feedから派生したとされる。このように共通する語根に遡られる両者の固有語はかなりの数があるから、両者が同族言語と認定されるのである。比較するとき、必ず固有語同士を比較しなければならない。英単語と化したpabulum(食物)は、ラテン語のpanisと音義とも対応するといっても、比較しても意味がない。pabulumはもともとラテン語からの借用だから。

佐藤さんと田邉さんの言うゲルマンの固有語は、学界には「ゲルマン特有語」という。
研究社の『英語語源辞典』1657ページに「ゲルマン特有語」を挙げている。bone, hand, toe, berry, loaf, sheep, dove, weaponなどなど。これらの語は印欧祖語の推定形〜印欧語根に遡らないという。

固有語と特有語と借入(借用、外来)語の三つの概念を明確に区別すべき。



中国の諺

坪内達雄 (2002/03/17 00:20)

このHPの辞書のコピーです。
【羊頭狗肉】 
〔「無門関」から。古く「晏子春秋」に「猶下懸二牛首于門一、而売中馬肉于内上也」とみえる〕看板には羊の頭を掲げながら、実際には犬の肉を売る意。見かけと実質とが一致しないことのたとえ。見掛け倒し。羊頭を掲げて狗肉を売る。
工業高校電気課卒の学歴では、漢文の白文は読めませんが、このままの内容では「牛頭馬肉」ではないでしょうか?実は過日我家にホームステイした中国人留学生が「中国では『羊頭狗肉』ではなく『牛頭馬肉』です」と言ってたのを思い出しました。また、「竜頭蛇尾」も「虎頭蛇尾」が正しいとのことですが、これは岩波の日中辞典にも記載がありました。どうしてこのように変ったのでしょうね?他にも同様のことがありましょうか?ご存知の方があれば御教示願います。
ところで李さんにお尋ねしますが「纏足の布」と言う言葉は「諺」ではなくて「比喩」(表現)ではないのでしょうか?比喩表現も諺の一つのジャンルなのでしょうか。



コメントしない

李 (2002/03/16 21:39)

中国の諺
 「纏足の布」
     又臭又長
       触りたくない



re: 田邉さんにお願い/re: 質問

田邉露影 (2002/03/16 20:54)

またまた、コメントが長くなってしまいましたが……(^_^;。

>佐藤さん
> の内容をこちらの過去ログ(2001年6月3日)に入れたいのですが、
> よろしいでしょうか?
> 題は「比較言語学」でいいかな?

了解しました。題の方はお任せいたします。
改行位置なども適当に修正して下さって構いません。


>李さん
下の話題以外はコメントがありませんでしたが、
その他の点では納得されたのでしょうか……?


> ゲルマン固有の語彙はすべて印欧祖語の原型に
> 遡ることできないというのですか?

まず説明不足でしたので、
誤解を解いておきますが、
ひとつ目に;
私がゲルマン語をあえて出したのは、
単なる一例です。
(話題が英語の話題でしたからね)

二つ目に;
「固有」と表現したのは、
あくまで印欧祖語まで遡及できない語彙のことです。
(印欧祖語に遡及できたら「固有」ではない、ということで)

例は……私も、ちと忙しいので(^_^;、
いちいち挙げませんけど、
語源関係の辞書を引けばぞろぞろと出てくるでしょう。


> 各語派のすべての語彙が印欧祖語の原型に遡ることできるわけではない。
> 語源不明なもの、自語派の独特な言い方、印欧語族のどの語派の言語にも、
> そういう印欧祖語の原型に遡ることできない語彙がたくさんある。

ですから↑のご意見に反対するところはありません。


> そのような語彙はゲルマン語派の固有の語彙に限らず、
> 比較しようがないから、除外するというのです。

で、私が言いたかったのは、
現代英語と漢語で比較した場合に、
先ほど言った「固有」の表現の処理は自動的に破棄されるとなると、
必ずしも「英語と同語源だ」とは言えなくなるわけだし、
繰り返しますが
「それならば最初から印欧祖語と漢語での
 比較研究をされるべきではないか」
ということになります。

で、あと他の点に関しては、
以前書いた覚えがあるので、
お時間がありましたら
佐藤さんの掲示板の過去ログをどうぞ。


念のため申し上げておきますが、
私としては現状では漢語と印欧祖語の関連性には批判的ですが、
別に李さんのやっておられることに対して
批判しているわけではありません。

むしろ、頑張ってK先生とかY先生とか、
打倒して欲しいところです……(爆)。

一見矛盾しているようですが、
可能性はあるわけですし、
しかも以前にも話題が上がった鈴木さんの
http://www.amitaj.or.jp/~kenji/japanese.htm
のような明かなトンデモ的内容ではないし。

ただ、漢字一字一字を個別的に比較するのではなく、
明快かつ法則的な対応関係が(あくまで音法則として)提示されなければ、
李さんの研究を肯定しようがないし、
それに関しては多くの人が私と同じ考えなのではないでしょうか。



Re:質問

佐藤和美 (2002/03/16 20:22)

李さん
>ゲルマン固有の語彙はすべて印欧祖語の原型に遡ることできないというのは、根拠あるですか?

根拠もなにも、印欧祖語に遡れるなら「ゲルマン語固有」ではないですね。



田邉さんにお願い

佐藤和美 (2002/03/16 15:44)

>田邉さん
お願いがあります。
http://bosei.cc.u-tokai.ac.jp/~1akc0049/gc_010603.txt
の内容をこちらの過去ログ(2001年6月3日)に入れたいのですが、よろしいでしょうか?
題は「比較言語学」でいいかな?



日中文通クラブ

藤井基義 (2002/03/16 08:37)

中国では、日本語を学ぶ若い人が年々増えています。
しかし、中国の田舎では折角一生懸命に勉強しても
その日本語を使う機会がありません。

私たちはこのような、日ごろ日本人と知り合うチャンスがない
中国の、主に地方都市の日本語学習者と日本語で海外文通して、
彼らの日本語学習の応援をしながら交流しています。

私たちが送る「本物の日本語」の手紙は生きた教科書ですと、
とても喜ばれています。
また、私たちにとっては「素顔の中国」を垣間見ることが出来る
有意義で楽しい活動です。

今、日本側が不足していて、大変困っています。
興味を持ってくださる方、おられませんか。

<おしらせ>
クラブ設立16周年を記念して、4月9日〜15日の日程で、
上海ツアーをすることになりました。
参加費は19900円で、会員以外の方々の参加も歓迎しています。

おじゃま致しました。

http://www3.ocn.ne.jp/~buntsuu/



質問

李 (2002/03/16 01:01)

> 英語のなかに、その印欧祖語の原型に遡ることできない語彙は、
> 比較する対象から除外する。
ということはゲルマン固有の語彙はすべて外されるわけですし、
(それならば最初から印欧祖語と漢語での比較研究をされるべきでしょう)

ゲルマン固有の語彙はすべて印欧祖語の原型に遡ることできないというのですか?
ゲルマン語も印欧語族の一語派、その固有の語彙も印欧祖語の原型に遡ることできる。但し、英語にしよう、ラテン語にしよう、ギリシャ語にしようが、各語派のすべての語彙が印欧祖語の原型に遡ることできるわけではない。語源不明なもの、自語派の独特な言い方、印欧語族のどの語派の言語にも、そういう印欧祖語の原型に遡ることできない語彙がたくさんある。そのような語彙はゲルマン語派の固有の語彙に限らず、比較しようがないから、除外するというのです。

ゲルマン固有の語彙はすべて印欧祖語の原型に遡ることできないというのは、根拠あるですか?教えてください。



re: 立ち入り禁止

田邉露影 (2002/03/15 23:25)

>李さん
べつに「言葉の世界ファン」さんを支持するわけではないですが、
李さんのお答えは論点が違うと思いますよ。


> 学問には立ち入り禁止区域を設けるべきではない。

誰も李さんに「研究するな」とは
言っていないように気がします。

ただ、あくまで李さんの研究は、
李さん自身のサイトで管理をおこなうべきで、
本来
「このHPへのご意見・ご感想・ご要望・
 ご質問などありましたら、どんどんどうぞ。」
という佐藤さんの運営方針とはそぐわないのに、
自分は発言だけしておいて、
管理は佐藤さんに任せるというのも、
可愛そうな話ではないでしょうか。

サイトのメンテナンスがどれほど大変なものかは、
李さんだってご自身のサイトをもっておられるんですから、
お分かりになるはずではないでしょうか。

確かに T-cup 自体は無料ですけれども、
毎回、佐藤さんが残しておられる「ログ」は、
佐藤さんが asahi-net に自分でお金を払って
借りておられるディスク領域に、
保存しておられるわけですから。(多分)


> 私は真剣に皆さんと異なる語族間の語源比較研究について
> 議論したいけど、話題にならないのは非常に残念だと思います。

ちなみに私個人として言語連合的関連性はあるとは思いますが、
同一語源だというご意見には批判的です。

とくに
> 英語のなかに、その印欧祖語の原型に遡ることできない語彙は、
> 比較する対象から除外する。
ということはゲルマン固有の語彙はすべて外されるわけですし、
(それならば最初から印欧祖語と漢語での比較研究をされるべきでしょう)
また「屈折」をどう扱うかという問題も出てくると思います。


> 自分はでたらめに書いたつもりではないので、
> 管理人様に削除しないようにお願いします。

デタラメかは判断がつきませんが、
削除するかは佐藤さんに決める権利があり、
かつ削除されたとしても
単純にネットワーク資源やら、
サイト管理やら、
佐藤さんの好みやらと、
「学問の領域を犯す」わけではないのでは?



立ち入り禁止

李 (2002/03/15 18:02)

学問には立ち入り禁止区域を設けるべきではない。
私は真剣に皆さんと異なる語族間の語源比較研究について議論したいけど、話題にならないのは非常に残念だと思います。
自分はでたらめに書いたつもりではないので、管理人様に削除しないようにお願いします。
学問の領域でも言論の自由を保障すべきと思います。他の人にも参考になれるかもしれないので、この点については、最低限の配慮を賜わりますようお願い申し上げます。



(無題)

本宮貴尋 (2002/03/15 15:21)

こちらにカキコするのも久々です(^^
>坪内達雄さま
 丹羽基二氏の「日本の苗字読み解き事典」によれば,家紋の成立は平安時代後期とありますから,当然平氏にも家紋はあります.ただ一口に平氏といっても様々な流や族があるわけですから・・・参考までに,清盛流は蝶紋,織田支流は木瓜紋や蝶紋,貞衡流は萩紋などとあります.源氏は,義家流は蔦紋,松平支流は酢漿草紋,足利支流は桐紋や二つ引き両紋などとあります(いずれもその流派が用いていた代表的な家紋で,厳密に決まっていたわけではありません).竜胆紋は,為義流,義時流などが多く使っていたようです.分家(という表現は正しくないかも知れませんが)するときに本家の家紋とは別の家紋を使うので,平氏はこれ,源氏はこれという家紋は無いわけですね.
 あと注意しなければならないのは,例えば「坪」の字が入った苗字の人すべてが平氏の出身ではないことで,苗字は普通地名から発生するものだからです(坪内さんの場合は出自がはっきりしておられるようですが).また,他にも平氏であることをカムフラージュするためにもとの苗字をいじった姓を使ったという例はあるようです.家紋に関しては,有名な武将などが用いた紋は,庶民も多く真似したのでルーツが一緒とは言いきれないようです.



お願い −印欧祖齬−

言葉の世界ファン (2002/03/15 10:44)

李さん、これでは際限がなくなりそうです。 後はあなたのHPでご披露ください。
ここでは質問のあった件について御高説をお聞かせください。



dwellと屯

李 (2002/03/15 09:44)

dwell(住居する、住む)の語源的意味は、研究社の『英語語源辞典』によると、印欧語根*dheu = to rise in a cloudに由来し、雲のようなものと関係あるから、まず渾沌(曇)のなかに迷うという意味<迷うのから、出遅れる、妨げるの意味<そして、とどまる、住むという意味に順次に発展する。他の語源辞典(oxford)には、astray(迷う)<hinder(妨げる、抑える)<delay(遅らせる、遅滞する)<abode(住居)の意味に発展するとされる。

漢字の「屯」は、こもって出てこない<抑えられて出られない<遅滞する、滞留する<住むと意味に発展するとされる。藤堂氏の『漢和大字典』には、屯について、下につかえて出きらない(妨げる、抑える)・行き悩む(迷う)ことと解釈する。周易の六十四卦の一つ屯卦があり、その意味は「難生也」(生じ難い)という。陽気がこもって出悩む意である。抑えられて、妨げれて、思うように動けないというのは、屯の根本義である。漢語の「屯」も迷う<悩む<抑えられる・遅らせる<とどまる・住むの意味に順次に発展したのである。しかも、屯(dwell)は曇(くもる)、沌(渾沌、dask)、鈍(愚鈍、dull)と同系の言葉なのである。

漢語と印欧語との音義一致の対応は、偶然の出来事というのは、あまりも出来すぎと思いませんか?



鹿の漢字について

李 (2002/03/15 03:36)

鹿の古音はluk、鹿の字は「しか」の姿を描いた象形文字で、その発音を表わす部分、いわゆる音符が存在しない。したがって、鹿の字がその初めて作った当初には、本当にlukと発音するのか、厳密に言うと判らないというしかない。

塵の字はどうですか?塵の字は「形声文字」である可能性が否定できない。つまり、「鹿+土」によって構成される「塵」の字は、鹿と土と、一つの字が声符の役割を、もう一つの字が義符の役割をする。

いわゆる声符と義符との区分は、いままで理解された意味には、著しく言語学的意味で間違っている。多くの漢字研究の専門家も、漢字の義符が漢字の語源的意味を表わしていると理解するが、事実が全然違う。漢字の義符は漢字の表面的な、形式的な意味を表わしているに過ぎない。例えば、多くの人偏の字は「人rien」の言葉と何の言語学上の関連もない。同じように、多くの土偏の字も「土thag」と何の語源上の関係もない。

すなわち、塵の字は「鹿+土」によって構成されても、塵と土と語源上なんの関係もないことが十分ありうる。そうすると、塵のdienの古音は、もともと鹿の字に由来するのではないか?つまり、塵における「土」は義符であり、「鹿」は塵の音符であると考えられる。少なくとも、可能性としては否定できない。そうすると、象形文字の「鹿」は、もともとdienと近い発音であったのでは?理論上は、それは可能である。印欧語の「塵dust」と密接な関係ある「鹿」はdeer/dierと発音するから、漢字の「鹿」も、もともとdier発音していた。それなら、後の「鹿」のlukの発音について、どう解釈すればいいのか?考えられるのは、lukの発音は異言語からの借用で、つまり、lukの発音は「鹿」の訓読みで、いつのまにかlukの訓読みが正式の読みとなって、鹿のもともとのdierの音読みが失われた。「塵」の古音dienを合わせて考えると、象形文字の「鹿」はもともとdierと発音していたという可能性が大である。



語源の神秘

李 (2002/03/15 02:27)

dust(塵)の語源を調べました。

dustは印欧語根*dheu= to rise in a cloudに由来する。雲のように立ち上がるものというのは、dust(塵)の語源的意味である。雲のように立ち上がるものといえば、印欧祖語を操る古代人は、なんとdeer(鹿)を連想していた。deer(鹿)という言葉はdust(塵)と密接な関係があった。後にdeer(鹿)は動物の代表となって、語根*dheu(som)はまたbreathing creatureという意味にもなった。

英語のdeerは、オランダ語のdier、ゴート語のdiusと同系の言葉である。漢語の「塵」の古音はdienであった(藤堂氏の『漢和大字典』と中華書局の『漢字古今音表』の表記が同じ)。「塵」(dust)の語源的意味は、なんと鹿(deer)の群れが走り出すにつれて、ほこりが雲のように立ち上がりということである。古代漢語の塵dienは、印欧語のdeer、dier、dius(鹿)とほぼ同音、dust(塵)と同義なのである。

印欧語と漢語における塵と鹿との対応関係は、偶然の一致に過ぎないといえばそれまでだが、この以外にも、また奇妙な対応がある。印欧語の研究者は、dust(塵)、deer(鹿)の同源単語は、またdask、deaf、dumb、dull等があると指摘する。これらの諸語は漢語の渾沌、愚鈍の「沌」と「鈍」と音義とも一致する。「沌」と「鈍」の古音はduen、塵dienと同系の言葉としては、音韻にも合う。中国の語源研究者は「沌」と「鈍」と「曇duem」と同系の言葉と見なしている。印欧語根*dheu= to rise in a cloudの語源的意味を参照すれば、曇と沌、鈍と同系の言葉というのは信憑性がある。もっと奇妙なのは、今までの漢語研究には、屯と沌、鈍、曇と何の関係あるのか不明としているが、印欧語研究者はdwell(住居)の語は、dask(沌)、deaf(沌)、dumb(鈍)、dull(鈍)と同系の言葉とする。そうすると漢語の「屯」(住居する、村の本字)も、沌、鈍、曇、塵と同系の言葉という可能性が十分あるのでは?

印欧語の研究成果を参照すれば、確かにいままで考えられない漢語語源の真相がだんだん見えてきたような気がしてならない(文法が間違っているのか)。わたしの思い違いか?皆さんどう思いますか?

このような奇妙な事象がたくさんあります。
私のHPに引き続き発表します。
http://home.att.ne.jp/iota/gogenkenkyu/
どうぞ、遊びに来てください。



半歩

語源ファン (2002/03/13 16:56)

sohodoさん同様私も「つぼ」の語源は気になりますが,「歩」に関してもう「半歩」。
というのはネタ振りですが,この話の流れで行くと「半歩」は今の「一歩」と考えて
よろしいのでしょうか。それともそんな言葉はもともと無いのかな?
 現代の日本語での「半歩」は「もう半歩だけ前へ」のように使われて、
「一歩」の半分ですが、それに加えて「事態は半歩前進」のように、「十分ではない」
のような意味をも持っているように思います。



地名で読むヨーロッパ

佐藤和美 (2002/03/13 12:55)

講談社現代新書の新刊です。
梅田修『地名で読むヨーロッパ』





坪内達雄 (2002/03/12 23:16)

私の姓が話題の一部になろうとは、まことに喜ばしいことです。坪内の由来については父から次のように教えられています。いわく、坪内の先祖は平家である、源氏に敗れた平家は各地に落ち延び、我祖先は能登の隠れ里に永く逼塞していたが、世に出るにあたり平の姓を名乗れば、源氏の追討の手に命を奪われることもあろう、故に土の字を偏にして坪と名乗るべし。なを、これより後、家紋を顕すこと控えるべし。と言うわけで、由緒正しき家柄なのに、我家には家紋がありません。ところで、源平の当時家紋はあったのでしょうね?源は笹竜胆だったでしょうか。平はなんだったんでしょうか?全国の坪○氏、○坪氏奮起せよ。



Re:Re: 一歩

sohodo (2002/03/12 18:32)

>「坪」は一歩四方の面積を表しますが、
>これは「一つ歩」の「つ歩」が訛ったものだと言われています。

面白い、面白い、面白い、 私も実は"語源ファン"です。
 …「イチブシホウ」が縮まって「坪」もありそうですね
語源ファンさん、その説がどこから出たのかも知りたくなりませんか。

UEJ先生、博識ご披露、ありがとうございます。



Re: 一歩

UEJ (2002/03/12 15:00)

「歩」に関しての雑学をもう一つ。
「坪」は一歩四方の面積を表しますが、
これは「一つ歩」の「つ歩」が訛ったものだと言われています。



Re: 父兄

佐藤和美 (2002/03/12 13:01)

以下の書き込みがあります。

「Re: 父兄の語源」UEJさん(2001/07/17 09:22)



割目U

ムラサキ (2002/03/12 10:33)

おっしゃるとおりだと思います。
広辞苑によると:わりめ 【割(り)目】 「割った箇所」と書いてあります。
しかし、それが Yahooの検索に[割目して]のキーワードで検索してみたら、そういう表現がけっこう使われているとのことです。
ただ間違って使ってるだけなのかと思うとあまりにも多すぎて僕には確信のないままです。
ううむ、これはちょっとややこしいですね。



四千万歩の男

語源ファン (2002/03/12 10:04)

「歩」の話し大変面白く読ませていただきました。
すると、井上ひさしさんの作品に「四千万歩の男」がありますが、
伊能忠敬の場合には、今で言えば「八千万歩の男」?
ということはなさそうで、「九百六歩ということは七町三十三間か」
「二歩つまり一間」というせりふがありますから、
これが史実を反映しているのであれば、今と同じ数え方になります。



Re:刮目?

未菜実 (2002/03/12 09:13)

割目するですか? 辞書で見たんですが、載ってないようです。
刮目の入力ミスでしょうか?
「刮目する」なら
大辞林にも、
〔「刮」はこする意〕目をこすってよく見ること。注意して見ること。刮眼。
「―に値する」「請ふ、―して百年の後を見ん/文学史骨(透谷)」
とあります。
で、ご質問の「通信の別の分野に割目した」ですが、通信の分野にもいろいろあるので、その中の他の分野に注目したというような意味合いだと思うのですが・・・。



一歩

sohodo (2002/03/12 08:43)

目の前にある広辞苑を広げなかった…。 また失敗。
「〜三歩あゆまず」とか「三歩進んで二歩さがる」とか、こんな類の歌は万葉や古今などには
あったのかしら。 昔の「一歩、二歩」は主に測量的単位に用いられて、歩幅をいうときは
「ひとあし、ふたあし」と云っていたのかナ、などと勝手に想像しています。
また外に気づいたことがあれば教えてください。 ありがとうございました。



いくさし

ムラサキ (2002/03/12 07:56)

未菜実さん、有り難う御座いました。
僕は「幾らかの金を握らせたのである。」というふうに考えていたのですが、少し違ったですね。

申し訳ないのですが、もう一つの質問、、、日本語に「割目する」というのがありますが、例えば「通信の別の分野に割目した」となると「通信と関係のない別の分野に進出したこと」の意味になりますか?
面白くない質問でどうもすみません。



ba-とpa-

李 (2002/03/12 05:29)

甲骨文の「歩」は、「止」(足の指「足+止」の原字)を上下重ねて構成され、両足を交替で進むことを表わす。『漢語大詞典』には、歩の古義について、「両次挙足為一歩」と記している。片足を一回ずつ挙げることを一歩という。したがって、一歩の距離は今の感覚でいうと、つまり「二歩」の長さである。秦の時代に、一歩は六尺と定め、秦の一尺は約24cm(出土実物あり)だから、一歩は約1.44mとなる。

歩の先秦古音はba(藤堂明保氏による表記はbag)。英語のpace、passはラテン語のpassus = stepに由来する。passus<pace<passの語源的意味はstretch(of the leg)足を伸ばすこと、漢語「歩」の語源的意味と同じ。ラテン語のpassusも、英語のpaceも、漢語の「歩」(一歩・歩幅)の意味がある。発音も印欧語はpa-、漢語はba-、p音とb音との音変対応は普遍に見られる。印欧語根は*pet?- = to stretchと推定される。

ちなみに、現代英語の「一歩」(one pace)は約75cm、片足を踏み出した長さで、ちょうど秦の一歩1.44mの半分ぐらい。Roman pace(古ローマの一歩、pa-ssus)は、約1.6mだから、秦のba(歩)とほぼ同じ長さということである。



Re: 一歩

UEJ (2002/03/12 04:25)

広辞苑によると:
| 一歩は、もと、左右の足をひとあしずつふみ出した、今でいう二歩の長さ(=六尺)をいう。
また、「武」の項には:
| 一歩(=ふたあし)の半分。かた足をふみ出した長さ。ひとあし。
とあります。
「わずかの距離」という意味の「歩武」という言葉もあります。

> まさか現在はそんなことは無いんでしょうね。
単なる考え方の違いなので、「まさか」というほどのことでは無いと思いますが、
中国人の同僚に聞いてみたところ、現在は日本の「歩」と同じだそうです。

因みに西洋でも同じような考え方がありました。
「mile(マイル)」の原義は「milia passuum(千歩)」ですが、
一歩が約1.6mということで、やはり現在の二歩にあたります。

東洋と西洋で、どちらも数え方が同じように変化したのは面白いところですね。



一歩

sohodo (2002/03/11 20:41)

通常、私達は「片足を前に出して"一歩(ぽ)"」として理解していますが、
原義としては「左右の足を一度づつ前に出して"一歩"」とした記録があるようです。 《大字典》
また「中世まで用いられた距離の単位 "一歩(ぶ)" が六尺(1.75〜1.80メートル)」 《大辞林》
とすれば、その時代頃には、左右の足を一度宛前に出して"一歩" と数えていたように思えます。

果たして、左右の足を一度づつ前に出すことを"一歩" と称していた時期があったのでしょうか。
この制度の祖、中国の様子も気になります。 まさか現在はそんなことは無いんでしょうね。



ゲレン、テレンパレン

malpa (2002/03/11 17:32)

皆さん、ありがとう。
でもやっぱり、夢野久作が「旧ヨーロッパ系統の言葉」とは言っていても、それはあくまでも小説上の主張で、事実として取られて良いかどうか、確認したいもんですね。情報の持つ方にどうかよろしくお願いします。
ところで、『ドグラ・マグラ』の同じ文章の中に出てくるその他の「旧ヨーロッパ系統の言葉」については、ぼくなりに調べたところ、下記の通りです:
*(切支丹)バテレン:ポルトガル語のPADREが語源
*バンコ:ポルトガル語のBANCO(晩餐)が語源
*ドンタク:オランダ語のZONTAG(日曜日)が語源
また、「ドグラ・マグラ」自体に関しましては、やっぱり不明ですが、久作が造った言葉という説もある。それはまた、本当にそうなのか?なんか、「手品に用いる言葉」というので、「ABRACADABRA」を思わせるのは、気のせいでしょうか?
是非とも、ご意見をお聞かせ下さい。



幾緡

未菜実 (2002/03/11 11:57)

「幾緡」だと思います。
さし【緡】
A(緡)穴あき銭を刺し通してまとめておく細い紐。
100文を一本にさすのが通例。ぜにさし。転じて、百文の異称。
          国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

江戸時代の言葉に「一貫文」などというのも出てきますが、これは緡に一文銭を千枚通したものです。



いくさしか

ムラサキ (2002/03/11 10:49)

ある古い文章に中に、「移らせて引く大夫が手に、宮崎も佐渡もいくさしかの銭を握らせたのである。」 というのがありました。
この「いくさしか」はどういう意味でしょうか?
どなたかお教えいただけませんか?



都々逸

江戸紫 (2002/03/11 07:33)

「花も紅葉も散っての後に 松の操がよく知れる」
という都々逸の中の「松の操」とはどういう意味なんでしょうか?

どなたかお教えいただけませんか?
よろしくお願い致します。



父兄

YCN (2002/03/10 20:34)

なぜ,母ではなく兄が,保護者の意味を持つのでしょうか。



講談社新書

人民革命軍 (2002/03/10 10:37)

>>李さま

>講談社新書で記載しているということは、どういうことですか?

渡辺昇一『英語の語源』(昭和52年講談社新書)のp.140-143に、少々記載されています。
この文章からは、他にもなんらかのことを考えていることを伺わせます。
 現段階で、英語と中国語の関係を言うことは、なかなか受け入れられないことは事実です。

 講談社新書は、読み物として、基礎知識なしで読める物でなければいけません。
 また、異説がある物では採用されないと思います。
 一般の方にも読みやすく書き直して、他社に当たってはいかがですか。



佳字と悪字

坪内達雄 (2002/03/10 09:45)

李さんの件、なんか凄いことになってきましたね。平和に解決することを祈ります。センセーショナルな展開になれば、がぜんこのサイトは注目を浴びることになるでしょうね。By the way,
私が問題的していることがある「佳字と悪字」について、なにか基準がのようなものがあるのでしょうか。例えば「悪」と言う字は、もともと悪い意味ではなく「強い」と言う意味があったそうではないですか。Ex.悪源太義平 6年前仕事で訪中した時「障害者」の中国語が「残癈」であると聞きました。私の娘が障害者であると伝えたところ「この字は悪いので近く改める」と気の毒そうに言われました。わが国でも、日露戦争の際の傷病兵を「廃兵」と読んだこともありました。



失礼します

李 (2002/03/10 00:59)

こんなことを延々と書きつづけて、また怒られるかと迷っていますが、貴重な情報でぜひ教えていただきたいです。

>「漢語と英語の語源」については、既に、某氏が、講談社新書で記載しています

某氏って、誰ですか?どんな書物ですか?実は、僕は去年の夏ごろに(七月)二十万字の原稿を講談社の「現代新書編集部」に送りました。編集者と会いましたが、結局普通の読者に向いてない研究論文という理由で出版をお断わりされました。今年中に自費でも、世に出すつもりですが、講談社新書で記載しているということは、どういうことですか?

ぜひ教えてください。お願いします。



祖語

人民革命軍 (2002/03/09 22:58)

>>李さま

>漢語と英語の語源については、本当に真剣に調べました。
>自信があります。簡単に論破できないと思っているが、
>誰か突っ込みしてみませんか?

 「漢語と英語の語源」については、既に、某氏が、講談社新書で記載していますが、なるほどと思う点があります。
 また、商が、一説には色目人であったとも言われています。これらの点から、可能性は大とは思うのですが、体系づけるのは難しいと思います。
 困難な道を選んだと思いますが、期待しております。
何十年か前ですが、北海道大学の新谷助教授(当時)は、英語と日本語の関係を調査していました。



調べれば

李 (2002/03/09 22:35)

こんなに出てくるのは、本当に驚きました。やはり軽々喋るべきではないですね。

平素、アイヌのことについて殆ど無関心で、中国語の「愛奴」の当て字があるのは知りませんでした。でも、「愛奴」の音訳は本当に酷いですね。地名ならいいかもしれないが、民族名に「奴」に当てるのは、とんでもないことです。どういう神経で使っているのか、理解不能です。人民革命軍様、「矮奴」の当て字もあったのか?それなら、革命軍を率いて、敵陣に突入すべき。絶対許せないことだから!

「愛奴」のことを調べないで書いたんだが、漢語と英語の語源については、本当に真剣に調べました。自信があります。簡単に論破できないと思っているが、誰か突っ込みしてみませんか?挑戦者を募集します。ここでもいいが、私のHPでもいいです。
    勇敢なサムライを大歓迎!
    日本人の最高のレベルを見せてください!
    空手、柔道、プロレス、何でもいいから、わざあり!
    李氏研究所であぐらを書いて、貴方の討ち入りを待っています!
こちらに:http://home.att.ne.jp/iota/gogenkenkyu/



中国語のアイヌ

人民革命軍 (2002/03/09 21:42)

 中国語で、数十年前にはアイヌを「矮奴」と記載しましたが、これは、驚くべきことに「アイヌ」の他に、日本人の蔑称として使用されていたのです。
 私は、理解不可能です。



Re: 中国語のアイヌ

massangeana (2002/03/09 19:57)

歴史的な変遷については無知ですが, Google で中国語ページに限って検索した結果では:
 愛奴人 101, 愛奴族 393, 愛奴民族 55
 愛努人 17, 愛努族 31, 愛努民族 17
でした。
nu に「奴」が使われる理由として, 中国語に nu と読む字があまりないことがあると思います。
ふつうに使う字だと「奴・努・怒・弩・駑」くらいのものです。「努」はその中で無難な字を
使おうとしたものでしょうが, 「奴」の字をあてたのが差別的かというと必ずしもそうではな
いく,単に音を表しているだけと考える方が私にはもっともに思えます。
イヌイットはどうかと思ったのですが, アイヌ以上に表記がばらばらで, 「ヌ」の部分には
「奴・努・紐(英語式発音の「ニュー」を表したものらしい)」などが使われているようです。
ほかにホノルルを「火奴魯魯」と書くことがあります(「檀香山」の方がふつう)。



Re:ゲレン、テレンパレン

田島照生 (2002/03/09 14:31)

>萌様
なるほど、「ゲレン」は『全国アホ・バカ分布考』(松本修著)にも沖縄でつかわれるけなし言葉の一として登場します。ただし、二箇所だけなンで、語源にかんして述べているわけではありません。
さて、「ケレン味」などの「ケレン」(外連)ですが、『歌舞伎のキーワード』(服部幸雄著)に『俚言集覧』の「けれん、江戸にてまぎらかすことにいふ」という一文が引かれています。これが、『暮らしのことば語源辞典』などに原義の根拠として利用されておるようですが、しかしその語源はいまだに不明だそうですね。同様に「ゲレン」もわからない。夢野久作は、百科事典を活用して「ドグラ・マグラ」をかいたそうですが、「ゲレン」が「旧ヨーロッパ系統の言葉」であるという根拠も、その記述から得たのでしょうか。



RE:「アイヌ」について追記

人民革命軍 (2002/03/09 12:20)

>>poronupさん

>もしや「匈奴」などの異民族の表記に「奴」を使ったりす
>るので、それに引っ張られてるのかなと思ったりもするのですが。

数十年前の中国語での「アイヌ」表記は、「ヌ」を「奴」としていました。
「アイ」は「矮」としていました。この意味は少々問題があり、また、異なる意味合いがありました。
 このため変更したのだと推定できます。
また、日本での漢字表記は、昭和初期には「愛奴」とされていましたので、これと何らかの関係があるかと思います。

 詳細な知識もなく、断片的なことしか知らないのに、このようなことを書き、申し訳ありません。



標準語ですが・・・

ろんりーかんがるー。 (2002/03/09 11:43)

1)薩摩・長州・土佐などの言葉と,江戸の言葉とどちらの影響が強いのでしょうか?
2)京都言葉も影響はあるのでしょうか?
3)アクセントとボキャブラリーは別に考えるべきなんでしょうか?
4)話し言葉と書き言葉も分けて考えるべきなんでしょうか?

以上につきおうかがいしたいと思いますが,よろしくお願いいたします。



「アイヌ」について追記

poronup (2002/03/09 09:35)

私の書き方では、「愛奴」という表記が存在しない、という読まれ方もされてしまいますね。
台湾のヤフーで検索したら「愛奴族」などの表記が多数見つかりました。

ただ、私が今まで見た中国・台湾の文章ではまず「愛努」でした。
白老のアイヌ民族博物館(HPに中国語のページがあるので見てみてください。URL貼っておきます)や、アイヌ文化振興財団の中国語出版物でも「愛努」です。

私の感触では、「愛努」がどちらかというと正式な表記ではないかと思っていたのですが、別にそれを確定する機関等はないですよね。

ともかく、適切かどうかはともかく「愛奴」と書く人もいるのは確かです。
もしや「匈奴」などの異民族の表記に「奴」を使ったりするので、それに引っ張られてるのかなと思ったりもするのですが。

http://www.ainu-museum.or.jp



Re:ゲレン、テレンパレン

萌 (2002/03/08 21:49)

横レスになりますが、「ゲレン」と演劇用語の「外連(けれん)」の関係が気になります。
「欺罔」と「外連」の意味が似通っていること、外連の語源が曖昧なことからです。

ちなみに、沖縄の方言には「ゲレン」という言葉があります。馬鹿、愚鈍などの意味合いです。



Re:ゲレン、テレンパレン

田島照生 (2002/03/08 19:21)

わたしは角川文庫版で読みました(文庫ではほかにちくま文庫版と現代教養文庫版とがある)。
以下の引用箇所は、角川文庫版では上巻の九十三頁にあります。

「元来この九州地方には『ゲレン』とか『ハライソ』とか『バンコ』『ドンタク』『テレンパレン』なぞいうような旧ヨーロッパ系統の訛言葉が、方言として多数に残っているようですから、…」

このあと「ドグラ・マグラ」の語義説明がなされるのでしたね。わたしは九州出身ですので、「テレンパレン」はきいたことがあります(品のよいことばではありませんが。幼いころには悪口としてつかっていたような気もします。最近はめっきりきかなくなりましたが)。しかし、「ゲレン」はきいたことすらありません。『日本国語大辞典』をひいてみると、「テレンパレン」はありましたが、「ゲレン」はありませんでした。「テレンパレン」は以下のような説明が附してあります(使用地域の明示は煩雑になるのではぶいた)。

[一](1)とりとめのないこと。まとまらないこと。また、そのさま。(2)何をするともなく、ぶらぶらして時を過ごすこと。また、そのさま。(3)表面を繕うこと。(4)ちりぢりばらばらになること。また、そのさま。(5)差し引き勘定で得分のないこと。
[二](1)無責任で、実意のないさま、浮薄なさまを表す語。のらりくらり。ちゃらんぽらん。(2)身のこなしがしなやかで、気どったようなさまを表す語。しゃなりしゃなり。

わたしは[二](1)の意でつかっていたとおもいます。「てれんばれん」「てれんぽれん」等、様様のヴァリエイションがあるようです。「ゲレン」にかんしてはまた調べておきます。



ゲレン、 テレンパレン

malpa (2002/03/08 15:36)

はじめまして。
夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読みました。その中にいろいろ面白い言葉が出てきていますが、なかなか謎が解かないのは下記の2点です。
*ゲレン(欺罔?)
*テレンパレン
言語を探していますが、わかりましたら教えてください。



Re:バーベキュー

未菜実 (2002/03/08 06:31)

西インド諸島の原住民アラワク族(Arawakan)の言葉が元になっています。
「木の小枝を柱にして作った枠組」を表すbarbakoaがスペイン語barbacoa(焼肉用鉄格子)を
経て英語に入ったようです。

蛇足ですが、このアラワクインディアンは、スペイン人による略奪、強制労働、持ち込まれた
病気によって、スペイン人との接触後、わずか50年間で、全滅させられてしまいました。
当初10万人ほどいたようです。
いくつかの言葉だけが、現在まで生き残っていると言う悲劇の種族です。



「アイヌ」

poronup (2002/03/08 01:19)

少々お久しぶりですね。
私はアイヌ語を学ぶ和人です。

アイヌは必ずしも「日本原住民」と言えるかどうか確定的ではないので、「アイヌ」という音に絞って私の知っていることを書きます。

過去はいざ知らず、現代の中国・台湾の表記では「愛奴」ではなくて、「愛努」です。
「愛奴」という表記を中国・台湾で実際に見たことのある方、どこでご覧になったのか教えてください。

「阿夷奴」という表記も見たことありますがこれは一般的ではないようです。
ほかにもいろいろバリエーションはあるようですね。

あと、「アイヌネギ」という表現は、実際にアイヌの人たちも使ってます。必ずしも差別語とは言えないのではないでしょうか。アイヌの食するところのネギ、ということですね。
ただし、その言い方を嫌う人も確かにいるので、私は基本的には自分からは使わないことにしています。
「アイヌ犬」も同じですね。

学名のギョウジャニンニクが一応無難なところでしょう。
あと、北海道では「キトビロ」というような言い方もあります。
(キトはアイヌ語です。ビロは日本語の「ひる(蒜)」のなまったものと思われます。これと異なる見解もありますが。)



バーベキュー

HIDE (2002/03/07 23:32)

バーベキューは、英語ですか?語源を教えてください。



漢英語源比較研究

李 (2002/03/07 16:52)

漢語語源と英語語源の比較研究は、トンデモものではないかと疑問を問い掛ける方がかなり多かった。誤解されてはいけないが、漢語と英語との比較することは、厳密にいえば、すなわち英語を印欧語族の代表として、漢語と英語との比較を行うことによって、漢語と印欧語の対応関係を明かすことである。英語語彙の古英語に固有するものか、他の印欧語族の諸言語からの借用するものかに関わらず、多くの語彙が印欧祖語の原型に遡ることができる。漢語と英語とを比較することは、すなわち漢語の古語と印欧祖語の原型とを比較することである。英語のなかに、その印欧祖語の原型に遡ることできない語彙は、比較する対象から除外する。

そういう比較研究は、また一つ実用的な効果がある。いままでの漢語語源の研究は、きちんとした方法論が確立してないから、各学説は乱立する状態である。日本では藤堂氏、加藤氏、白川氏の各々の説は大きく違っている。どれが正しいか、参照する標準がないから、専門家も判断できない。印欧語の研究は約二百年を経て、ほぼ定着している。もし印欧語の研究成果が参照できれば、第三者による傍証のようなものができた。

例えば、印欧語根*sek=to cutから、shit(屎)、 science(識・知識)、conscious(識・意識)、sex (色)、sax- (石)などの語を派生したとされる。それらの諸語の語源的意味は「切り離す」ことである。いままでの漢語語源研究は、屎と識、識と色、石と析と互いに何の関係もないように思われるが、印欧語を参照すれば、これらの漢語も古音にしても、現代音にしても、まったく同音か、発音が非常に似ている。漢語語根としては*siekと推定することができる。もし、印欧語の*sekという語根が、一つのグループとして成り立つのなれば、ほぼ同音同義の漢語の*siekの語根を中心に一つのグループが成立しないわけがない。

漢字「色」の造形は、下の部分がかがんた女性を表し、その上の部分がかがんで女性の上に乗った男性を表す。つまり、後背位の男女性交の形を表す象形文字である。色の本義はセックスであること、古音siekと識の古音はthiekとほぼ同音であること、印欧語にもsex(色)とscience(識)と同系の言葉であることを参照すれば、色と識と同系の言葉である可能性が否定できない。また、漢語の「石」は崖の下に転んだ「こいし」を描かれた象形文字で、印欧基語sax-(石)〜山の岩から砕いた、分離した個別のいし(broken-off piece)という語源的意味は同じである。そうすると「石」とほぼ同音の「析」(分析・分離)と同系の言葉である可能性も出てくる。屎と識も古音はほぼ同音である。これらの言葉は、印欧語において同系の言葉として成立するなら、漢語にも同系の言葉として成立しないわけがない。

私のHPには、研究成果の三分の一を発表している。これからも、引き続き発表するつもりで、皆さんのご意見、ご批評を心からお待ちしております。
http://home.att.ne.jp/iota/gogenkenkyu/

李氏という名がやはり変ですね。まえにも、アグネス・チャンのような妙な名前といわれました。中国語にも自分の自称として、「李氏」は変ですね。これから「李」と改名します。



OED CD-ROMとSEIKO SR-9200使用レポート(笑)

田辺露影 (2002/03/07 13:55)

どうも、お久しぶりです。

Oxford English Dictionary CD-ROM版ですが、
どうやら Ver 3 になったみたいですね。
(3ed ではなくて Ver 3 です)
Windows2000にも公式に対応していると表記されています。

前のバージョン(Ver 1か Ver 2かは分かりませんが)は
うちの大学図書館のパソコンに入っていたので、
わざわざ出向いて使っていたのですが、
Ver 3の方は運良く入手できたので非常に喜んでいます。

で、けっこう使いやすいですね。
いままで使っていたものに比べて
インターフェースもグラフィカルになって、
格好良くなりました(笑)。

値段は高いですし、
語源の部分が本のものに比べて、
多少違うそうですが、
電子辞書特有のコピペのしやすさや、
検索の速さ、
横断検索の簡単さ、
などはさすがでした。

Ver 3の登場のおかげで、
Ver 2の方はずいぶんと安くなりました。
Amazon.com では
現在は新品で 295.00USD で買えるようです。
辞書の内容自体 2ed で変わらないわけですから、
かなりお得かもしれません。


それから、もうひとつ素敵なのが、
こちらは携帯用の小型電子辞書ですが、
SEIKOのSR-9200です。

他のものの多くは
英和・和英には『ジーニアス』であることがネックで、
なかなか欲しいとは思わなかったのですが、
SEIKO SR-9200 では『リーダーズ』が入っているのと、
Concise Oxford Dictionary と
Thesaurus も入っているのが良いです。

やはり SEIKO でも最上位機種なので、
値段が高いのですが、
大学生〜社会人にはお薦めなのではないかと思いました。



お詫び

sohodo (2002/03/07 08:59)

李氏先生。大事な名を誤る不注意。御無礼。御無礼。平に御宥恕を。
いつの間にか、名の語尾に付く「氏」を読み飛ばす習慣が出来てしまっていたようです。叩頭百遍。



アイヌの表記

人民革命軍 (2002/03/07 08:54)

>>李氏さん

>アイヌのことは、「愛奴」と当てられるの中国語ではありません。
>中国ではアイヌのことは「蝦夷人」と知られていました。いまは
>「日本原住民」というのは普通ではないでしょうか。

 ご教示、ありがとうございます。中国語の「愛奴」は、知らなかったので、やっと経過がわかりました。
 以前のアイヌを表す表記はヒドイものでしたから、現在のは疑問はありますが、改善したと思います。



こちらこそ

李氏 (2002/03/07 01:26)

坪内さん、ありがとう。手書ですね。残念ですが、僕のIWEパッド壊れているようです。手書機能が作用しない。いつか、治します。

sohodoさん、先生と呼ばれて、恐縮です。いまは、また大学院生(博士課程)です。これからも宜しくお願いします。

李氏という私のハンドル名ですが、多くの日本人は違和感を覚えるのは、知っています。
これも中国語と日本語における同じ漢字の意味の微妙な違いに由来する。
中国語での「〜氏」という言葉は、単なるそういう名字の人という意味で、別に敬語とかなんでもない。よく姓氏による一つのブランドを表わすとき、使われます。私も、そういう意味を踏まれて「李氏」という一つのブランドを確立したいです。

漢字(漢語)語源の研究は、大きく分かれて、二つの系統があります。日本で代表になれるのは、藤堂明保氏の音韻による語源研究と白川静氏の漢字の造形(字源)による漢字の本義の研究である。私の意見には、藤堂先生の研究は言語研究の正鵠を得ています。どうして言うと、漢字は表意文字といわれても、それは言語を表わす符号としては、他の言語と大差がない。言語は数万年の歴史があるが、文字(漢字)はせいぜい四千年の歴史しかない。まず発音があって、文字は後で作られたのだから、漢語(漢字)語源の研究は発音から着手しなければならない。

私は中国古来の「右文説」と日中両国の音韻研究の成果を基づいて、新たな漢語語源研究の研究方法を確立したいのです。私の場合は、漢語語源研究に印欧語の研究成果を参照することで、新しい研究領域を開拓するのである。印欧語は約七千年前に成立したといわれるは、私の理論は、その前に印欧祖語と漢祖語が密接な関係があったという仮説の上に構築されている。実際には、印欧祖語の研究成果を参照しながら、いままで見えなかった漢語語源の真相がだんだん見えてきた。そのことで、直ちに漢語と英語などの言語と同じ語族に属するとは意味しないである。

詳しくは、私のHPの漢英語源比較研究の「前書き」の部分を見てください。



Re:屎、矢、知、識の語源

sohodo (2002/03/06 21:40)

李先生。三度に亙り説得力のある詳しい解説をありがとうございました。
漢字の奥深さを改めて思い知りました。漢語圏で学べることを誇らしく感じています。

忘れかけていた般若心経を思わす広げて見てしまいました。
充実したHPも興味深く拝見させていただきました。またよろしく御教示お願いします。





坪内達雄 (2002/03/06 21:10)

李氏もWARDで変換表示出来ない字に苦労されているようなので、最近気付いた技を一つ伝授します。「狄(てき)」書けました。IWEパッドに手書きして入力できます。これでもだめな字はたまにあります。



訂正

李氏 (2002/03/06 20:56)

Re:「矢」=「屎」
>第二の場合は(特に上古には顕著)、二つの文字は同音、且つ同義。同義というのは、二つの文字は同じ起源を持つ。
二つの文字というより、二つの言葉というほうがもっと適切かもしれない。漢字一つで、一つの言葉を表わすが、漢字の字源と語源を分けて考えるべきである。矢と屎の場合は、語源が同じで、字源(字の成り立ち)が、勿論違うのである。

>識は古代漢語において多音字である。知るの意味で使うときthierkと発音し、知らせるの意味で使うときtiergと発音する。このような音の使い分けから見ても、tierg(知)はthierkの音変であることは違い。

正:識は古代漢語において多音字である。知るの意味で使うときthierkと発音し、知らせるの意味で使うときtiergと発音する。このような音の使い分けから見ても、tierg(知)はthierk(識)の音変であることは間違いない。



原住民と先住民

李氏 (2002/03/06 20:32)

私は言いたいのは、「愛奴」という当て字は中国語ではない。もしそういう当て字は本当にあれば、日本人によって、日本で当てられたのと考えられる。どうしてというと、昔からアイヌのことは「蝦夷」として、中国に伝われた。しかし、中国では「蝦夷」を「xiayi」と呼び、「アイヌ」という言葉は中国に伝わなかった。「愛奴」と当られたら、中国では通じないはずである。中国語では「蝦夷」が「愛奴」と何の関係もないように思われる。

「原住民」の呼称は中国語で、中国では、いまは「蝦夷」を「日本原住民」と呼ぶのは普通である。「先住民」は日本語で、中国語には「先住民」その言葉はないのです。勿論、漢字で書けば意味が通じるが、私の知っている限り、普通は「原住民」という。中国語の「原住民」は日本語の「先住民」という意味を含まれているともいえます。

また「倭」については、その漢字には差別の意味を含んでいない。他に「蛮」、「夷」、「てき」(北方系民族の蔑称)などは、間違いなく差別の意味が含んでいる。いまは使っていない。冗談としては、北京人は上海人等の南方人は「南蛮」といい、逆に北方系の中国人は「北てき」と言われている。「倭」は日本人は中国に行ったとき、よく「わが国」、「わたし」とかいうから、「倭人」と当てられた。「倭」その字は、しなやか、穏やかとかいい意味もある。「矮」とも意味上が関係あるともいえるが、身長が低いという身体的特徴を表わすだけで、はたして差別といえるのか、疑問である。むしろ、「倭」は悪い意味を連想されたのは、明の時代から、中国東南沿海部で、「倭寇」の掠奪を受けたからである。しかし、本当のことというと、いわゆる「倭寇」は、実は中国福建省出身の「海賊」と日本人の「浪人」の連合武装集団で、福建省出身者が日本人より多かったとも言われる。明末の代表的な「倭寇」は、長崎を本拠地として活動していた福建人「鄭芝龍」である。鄭芝龍と日本人妻の間に生まれたのは、台湾を占拠した「鄭成功」である。いまは、日本でよく犯罪を犯したいわゆる「中国人密航者」は、九割は福建省出身で、そのことには福建沿海部の土地柄とよく関連している。いまは、「倭寇」は日本に逆上陸といえなくでもない。歴史は深いですね。

王+朋 という漢字は知らない。字典を調べてもないのです。「珊瑚」の「珊」の間違いではないでしょうか?



王+朋 という漢字?

ムラサキ (2002/03/06 18:58)

僕の友人がですね。王に朋がくっついた漢字を見たというので、自分なりに一生懸命探してみました。
最初は「珊瑚」などを連想したのですが、どうも違うようです。
王様の「王」+「朋」という漢字が本当にあるのでしょうか?



屎、矢、知、識の語源

李氏 (2002/03/06 18:22)

識は知るの意味があり、また、別の意味もある。ものを知るために、まずそのものを他のものから区別しなければならない。知るとは、すなわち分かるということで、他のものからそのものの特徴を見出すことである。別けなければ判ることもできないのである。そういう意味で識と別とは同義語である。別という字の右半分も刃物の意味で、刃物でものを抉り出し、すなわち分別、識別を意味するのである。識の字は甲骨文には、辛の字を含んでいる。辛の字は「刃物」を表わす。後に「識」として定着した。識における「戈」は、刃物を棒の先端に付けた武器のことである。「識」にしても、「別」にしても(識と別と語源が違うけど)、「刃物」によってその核心的な意味を表わしている。

私の意見には屎、矢、知、識などの中心的な古音「シ」(*siek or *thiek)は、切る、切り離す、分離することを意味する。これらの諸語は切り離すの意味において共通性が見られる。すなわち、屎とは人体から切り離したカス、矢とは弓から切り離してとばされたヤ、識とは紛糾、複雑な物事の中から切り離す、分別することである。切る、切り離すを意味する漢字語は、またいくつかがある。例えば:屑(siet)、削(siauk)、切(tshet)、殺(seat)、析(siek)、これらの諸語もみな切る、或いは切られた状態を表わしているから、漢語語根*siek(thiek)に由来すると考えられる。以下には、ここで発表するのは不適切と考えているから、皆さんもし興味があれば、私のHPに遊んできてください。
http://home.att.ne.jp/iota/gogenkenkyu/

少しタネを披露させていただければ、つまり英語のshit(屎)は、science(知識)と同語源で、同じく印欧語根*sek=to cutに由来するのである。



原住民?

坪内達雄 (2002/03/06 18:08)

>いまは「日本原住民」というのは普通ではないでしょうか。
李氏の御意見ですが、普通ではないと思います。「先住民」「先住民族」が適当でしょう。この言葉にはいささかながら「畏敬」の念があるように思われますし、以前にも述べているように私はその念を抱いています。にもかかわらず、彼らに対する差別的、侮蔑的表現がなかなか無くなりません。その代表的な物が「アイヌネギ」と呼ばれる山菜です。この正式名称は「行者ニンニク」「キトビロ」で、九州の高地でも採れる山菜です。「アイヌネギ」と呼ばれる由来はその強烈な芳香にあります。生でも強いことは勿論、食べた翌日は息がたまらなく臭います。ちなみに我が家では禁止です(私は好きですが)。アイヌの人達の体臭は倭人よりも無いらしいのですが、差別用語の決定版適「アイツは臭い」と言う言葉が使われるのです。青果物店の値札にも堂々とこの名称が書かれており、私は抗議します。「アンタもアイヌかい?でなかったら、いいべさ」と言って取り合っては貰えません。もう一つは、「アイヌ犬」という北海道犬の名称です。これは30年程前に後者に変更されたものです。なぜかと言うと、彼らをからかう方法として「あっ、犬がいる。あ犬だ。あいぬだ。アイヌだ」というやり方があるそうで、このいやな思い出に繋がる「アイヌ犬」と言う名称を変えたものです。この言葉もなくなりませんが、幸い事例のような差別行為は無くなっている様です。



Re:「矢」=「屎」

李氏 (2002/03/06 17:47)

「矢」と「屎」と古音は同音で、上古にはよく「矢」の一字で、「ヤ」と「クソ」の二つの意味を表わした。この現象は「通仮」或いは「仮借」という。「通仮」或いは「仮借」の現象は、以下の場合に発生する。第一は、一種の略字で、画数少ない字を借りて、画数の多い字を仮に表わす。同音だから、これは可能である。例えば、中国通貨の単位は正式に「円」と書くべきだが、「円」の正字は画数が多いから、世間は勝手に「元」の字を書かれた。現代中国語では、「元」と「円」と同音だから、それは可能である。日本では「元」と「円」と発音は違うから、こういう現象が起こらない。第二の場合は(特に上古には顕著)、二つの文字は同音、且つ同義。同義というのは、二つの文字は同じ起源を持つ。つまり語源が同じで、根本的に同じ意味が二つの異なった言葉の深層に潜んでいる。古人はその二つの言葉を殆ど同じのように理解していた。

「矢」と「屎」はどうやら、後者の場合に当てはまるのである。つまり「矢」と「屎」は同音、且つ同義(同語源)の言葉である。「知」の字も「矢」の字を含んでいる。「知」における「矢」は、音と義と両方を表わしていると考えられる。屎の古音はthier、矢の古音はthier、知の古音はtierg、中国の漢語学権威王力氏の著書『同源字典』によると、tとthとは同じ舌頭音であり、同族単語によく見られる音変の類である。知tiergの同族単語は、また識がある。中国六朝時代の南朝梁の辞書『玉篇』には:「知、識也」と記している。『説文解字』には、識について:「識、一曰知也」(識とは、一説には知なり)と解釈する。中国章季涛氏の『実用同源字典』には、知と識と同じ起源を持つ同族単語とされる。

識は古代漢語において多音字である。知るの意味で使うときthierkと発音し、知らせるの意味で使うときtiergと発音する。このような音の使い分けから見ても、tierg(知)はthierkの音変であることは違い。識とは特色によってそれと見わける。また、他と区別して物や人の名称をしるという意味である。識は、また心の物を判別する能力を指す。知は五感によって物を知覚することという。識(tierg、thierk)と知(tierg)は微妙に意味が違っているが、音と義との相似性によって、同族単語と判断するのは妥当であろう。

以上に述べた理由で、屎thier、矢thier、知tierg、識(tierg、thierk)の諸語は同族単語である。しかし、これらの単語の語源的な意味は一体なんだろうか?



Re:中国語のアイヌ

李氏 (2002/03/06 17:00)

>現在の中国語「愛奴」を、どのような機関が、いつごろなぜ決定したのでしょうか。

アイヌのことは、「愛奴」と当てられるの中国語ではありません。この掲示板で始めて「愛奴」の当て字を見ました。中国ではアイヌのことは「蝦夷人」と知られていました。いまは「日本原住民」というのは普通ではないでしょうか。

「愛奴」の当て字は、誰が当てたのか?いつ、どこで通用するのか?教えていただきたい。



「矢」=「屎」

sohodo (2002/03/06 13:02)

「矢」は弓弩のヤの象形だそうですが、「屎」の意を持つのは何か訳があるのですか。



中国語のアイヌ

人民革命軍 (2002/03/06 08:24)

 30年ほど前には、中国語でのアイヌは、「愛奴」とは表記しませんでした。
それは、差別的意味合いを含む表記でした。
 現在の中国語「愛奴」を、どのような機関が、いつごろなぜ決定したのでしょうか。



早速のレスありがとうございますっ。

Ryo (2002/03/04 21:32)

風邪の話…本当に勉強になりました。ありがとうございました。
ちなみに最初は「風邪を引く」という漢字は間違っているんじゃないか?というところから始まった話なので、これで「引く」と書いて良いのだということもハッキリしましたし…本当に嬉しくて、夜も眠れそう…でもないか(苦笑)
もうひとつの言葉⇒Linkについて、が残っていた…
でもてるぼーさんのおっしゃる通り、Newsとか、あとDreamとかの話に通ずる感じがしますよね。
(果たしてLove In New Knowledgeというのが当て字の感でなければ良いのですが(苦笑)

Dreamも、実はひとつずつの単語の頭から取ったという話。
D=Diamond、R=Ruby、E=Emerald、A=Amethyst(?)、M=Moonstone
アメリカンドリームという言葉の語源とつながってたような、そんなような。。。

あぁ〜…知識なさすぎですみません…聞いてばっかりで。
また寄らせていただきますっ。



風邪とリンク

てるぼー (2002/03/04 21:08)

中国医学では、病気は体内に邪気を引き込んで
しまうために起こると考えられていました。
邪気にはいくつか種類があるのですが、その一つが
「風邪(ふうじゃ)」つまり、「かぜ」です。
風の邪気を体に引き込んだために起こる病気なので、
「風邪」を引くと表現するようになったというのが、
通説のようです。
Linkは普通に辞書をひくと、鎖とか、連環という意味で
載っています。インターネットのlink(正確には
hyperlinkですが)はこの意味から派生したものだと
考えられます。
「Love In New Knowledge」説は寡聞にして知り
ませんでした。「News=東西南北」説を連想
させますね。



初めまして。

Ryo (2002/03/04 20:23)

はじめて訪問いたしました。
実はこの頃、どうしても気になっているふたつの言葉があります。

まず「風邪をひく」とは、どうして「ひく」と言うのでしょうか?

もうひとつは、今ネット上ではどこでも使われている「Link」という言葉。
このLinkという言語は「Love In New Knowledge」という言葉の略なのですか?
とあるサイト様で「Love In New Knowledge」と書かれていたのですが、
それから気になってあちこち調べてみたのですが、どうもうまく検索できませんでした。 ちなみに翻訳ソフトによると「新しい知識において愛してください」と訳され、
いかにもそんなような、はたまた違うような。

初めてでいきなりこのような書き込みもウザイかも知れませんが
もし何かご存知であれば、どうか教えてください_(._.)_



時代劇のせりふ

てるぼ− (2002/03/04 18:20)

>坪内様

うっかり八兵衛に向かって、「こら、またさぼってるな」
なんていう台詞、ありそうですね。



せりふの時代考証

かん (2002/03/04 18:01)

> 次は別件ですが、時代劇などで、例えば水戸黄門のセリフに
> 黄門「正徳殿、主人に諫言する忠臣と、ただ諂うだけの侫臣を見極める眼力を持つことこそ、良き
   君主の条件ですぞ」
> 正徳「ははー。正徳此度は御老公のおかげを持ちまして、まことに目からウロコの落ちる思いにて
>    恐れ入りましてござりまする」
> と言うのがあったりしますが、あの「目からウロコが落ちる」と言う表現の由来は「新約聖書」の
『使途行伝』の中にある記事です。わが国の鎖国政策により、聖書が日本に持ち込まれたのは幕末の
四港開港の時です。それも英語バージョンです。文語訳が明治の初期ですから、水戸黄門の時代にこ
のセリフはおかしいものです。
> 他にもこんな例は少なくないのではないでしょうか。

まぁ、浪人姿の三船敏郎が「ボスを呼んで来い」とすごむのよりはましでは無いかと

ご指摘の件ぐらいだと「一生懸命」働く武将と同程度かなぁ
#問題のタイプは違いますが

http://www.pat.hi-ho.ne.jp/~kann/



するどい御指摘

坪内達雄 (2002/03/04 17:14)

>親愛なる人民革命軍司令官殿
>ザビエルは。聖書を持って来なかったのですね。
いつもながらの慧眼恐れ入ります。まず、前回『倭』の件について、ご指摘の通りではありましたが、『倭』を『矮』と錯覚した歴史的事実もあったと言うことが、その後のカキコで明らかになりほっとしてるところです。
 URL再掲 http://sunak2.cs.shinshu-u.ac.jp/~nakano/misc/lang33.html
さてこの度の聖書の件ですが、確かにフランシスコザビエルは聖書を所持していたと存じます。その聖書は御周知の通りラテン語で書かれており、聖職者専用で一般信徒は読むことを許されませんでした。また、当時の宣教の内容は聖書の言葉に基づくよりも、公教要理というカトリックの教義に従わせることが目的でした。当時スペインとポルトガルがヨーロッパ以外の発展途上国を二つに分けて、それぞれが布教して帰依した国を自国の傘下に収める協定をしたことは御存知でしょう。映画「MISSION」「将軍」御参照ください。そのようなわけで、信徒の手に渡されたものは祈祷書程度と思います。これも翻訳されていなかったので、かなを振って原文で暗記するため「唄オラショ(祈祷書)」が作られたと思います。そういう中でも、宣教師がくだんの物語をしたかも知れません。それが人口に膾炙して、知識層に広まらないと言うことは断定できないものの、後のキリスト教迫害の凄まじさを思えば、否定的に考えざるを得ません。一般に基督教の日本宣教○○年と言う時、明治の禁止令解除後からを言います。フランシスコザビエルが渡来した事は「キリスト教伝来」と表現されるのが普通です。これは厳しい迫害、弾圧で宣教が完全に途絶したことが理由であろうと推察いたします。 したがって、ルッターによる宗教改革以来、聖書に基づく伝道が開始され、聖書がそれぞれ自国の言語に翻訳され、信徒一人一人が所持して研鑚するようになってからの「プロテスタント(新教)の聖書第1号」と理解していただけませんか?なお、カトリック(旧教)とプロテスタントの聖書は少し違いがありましたが、近年永い間のわだかまりを越えて「新共同訳」を完成しました。蛇足かもしれませんが「旧約」「新約」の「約」は「神と人との契約」の意味です。旧約は旧(ふる)い契約、新約は新しい契約の意で、それぞれ旧教の聖書、新教の聖書と誤解している方がありますので念のため。また、旧約聖書はユダヤ教の教典でもありますが、新約聖書は基督教独自の教典です。聖書は隠れたベストセラーと言われています。是非通読することをお勧めします。



聖書

人民革命軍 (2002/03/04 14:00)

>>坪内達雄さま

>日本上陸第1号の聖書は、函館図書館が所蔵しています。
>ぺりー来航時のものと言われております。

なるほど、勉強になりました。ザビエルは。聖書を持って来なかったのですね。



訂正

坪内達雄 (2002/03/04 11:43)

『使途行伝』の『使途』は『使徒』の誤りです。ついでに日本上陸第1号の聖書は、函館図書館が所蔵しています。ぺりー来航時のものと言われております。



「ち」について

坪内達雄 (2002/03/04 11:38)

佐藤和美様いつもありがとうございます。古代日本語が朝鮮語の影響を受けていたとの類推で「ち」に関して同義語の発音など調べ、牽強付会でも何とか関連を見出そうとしましたが、この件では無理がありました。それでも、乳が血と関連あること、道が土と関連あることなど成果はありました。
次は別件ですが、時代劇などで、例えば水戸黄門のセリフに
黄門「正徳殿、主人に諫言する忠臣と、ただ諂うだけの侫臣を見極める眼力を持つことこそ、良き   君主の条件ですぞ」
正徳「ははー。正徳此度は御老公のおかげを持ちまして、まことに目からウロコの落ちる思いにて
   恐れ入りましてござりまする」
と言うのがあったりしますが、あの「目からウロコが落ちる」と言う表現の由来は「新約聖書」の『使途行伝』の中にある記事です。わが国の鎖国政策により、聖書が日本に持ち込まれたのは幕末の四港開港の時です。それも英語バージョンです。文語訳が明治の初期ですから、水戸黄門の時代にこのセリフはおかしいものです。
他にもこんな例は少なくないのではないでしょうか。



ありがとうございます

リュウ (2002/03/02 22:27)

>massangeanaさん
なるほど、「音」だけですか。
たしかに、中国語で外国の言葉を表すのって、大変なようですしね・・。



矢頭

sohodo (2002/03/02 17:25)

「矢尻」は「矢先」で「矢の根」ともいう。
昔から名前などに用いられている「矢頭」も同じ意なら面白いと思っていたら
大辞林、広辞苑にも載っていません。こんな熟語はないのでしょうか。
ちなみに、"矢印の先"を「矢頭」としているURLは幾つかあるようです。



Re:端緒と端初

田島照生 (2002/03/02 14:46)

>佐藤和美様

お手数をお掛けしました。ありがとうございます。現在出版されている国語辞典のうちで「端初」を取りあげているのは、私がしらべた限りでは『岩波』だけでした。新聞用語では「端初」をあやまりとしているので、「端緒」と書くのが無難でしょうね。


>萌様

かってな推測ですが、ある時期をさかいに「緒戦」と「初戦」とが混同されたようで(「緒戦」と「初戦」は本来は別語で、「初戦」のほうが新しい語であると思われます。「緒戦」「初戦」をほぼ同義語としてあつかう辞書もあります)、それと連動して一部で「端緒」も「端初」と書きかえられたのかもしれません。「端緒」「緒戦」の「緒」は「(ものごとが始まる、または解決する)きっかけ、いとぐち。」という意ですから、意味もちかくて同音の「初」とまぎれやすいですからね。



血、etc

佐藤和美 (2002/03/02 13:36)

坪内さん
>古代日本では「ち」という言葉(音節?)を重要な物の名に使ったと訊いたことがあります。「ち(血)」「ちち(乳)」「いのち(命)」「みち(道)」「つち(土)」などです。

『日本国語大辞典』(小学館)からひろいだしてみました。

ち【血】
語源説
(1)皮の内にあるところから、ウチの上略[日本釈名]。イキウチ(生内)の上略[日本語原学=林甕臣]。
(2)身から垂れ出る意で、タリ(垂)の反。また、赤色をテレリというところから、テリの反か[名語記]。
(3)刺して血を取る意のトリ(取)の反[名言通]。
(4)ヒ(火)の義[言元梯]。
(5)チ(霊)の転義。人体にチ(霊)が流れているという観念からでたものらしい[日本古語大辞典=松岡静雄]。
(6)身から出るところからまた、乳は血からなると思われるところからチ(乳)の義[和句解]。
(7)肉に満チ満チて通る義[国語本義]。
(8)二者を繋ぐ意の語根チから[日本語源=賀茂百樹]。

ちち【乳】
「ち(乳)」を重ねた語

ち【乳】
語源説
(1)チ(血)が化して乳となるところから[言葉の根しらべ=鈴江潔子・大言海]。タビチ(食血)の義[日本語原学=林甕臣]。
(2)タリ(垂)の義[名語記・名言通・言葉の根しらべ=鈴江潔子]。
(3)身からいづるものであるところから、イヅの略転。また身から出る水であるところから、ミズの略転[日本釈名]。
(4)児が生まれて後に乳が垂れるところから、ノチ(後)の上略か。またチゴ(児)の義か。あるいはイノチ(命)の上略か[和句解]。
(5)チウチウと吸う音から[国語溯原=大矢透・日本語原学=林甕臣]。
(6)人体にチ(霊)が流れているという観念から出たものからチ(霊)の転義か[日本古語大辞典=松岡静雄]。
(7)チ(鈎)の義[言元梯]。

いのち【命】
語源説
(1)イノウチ(息内)・イノチ(気内)の義[和訓栞・大言海・音幻論=幸田露伴]。また、イキノウチ(息内)の約[名言通]。
(2)イキノウチ(生内)の約[和句解・日本釈名・古言類韻=堀秀成]。
(3)イノチ(息路)の義か[俚言集覧]。
(4)イノチ(息続)の義[日本語源=賀茂百樹]。
(5)イキネウチ(生性内)の約[日本語原学=林甕臣]。
(6)イノキ(胃気)の転声[和語私臆鈔]。
(7)イノチ(息力)の義か[和字正濫鈔]。
(8)イノチ(生霊)の義[国語の語根とその分類=大島正健]。イノチ(息霊)の意[日本古語大辞典=松岡静雄]。

みち【道・路・途・径】
「み」は接頭語
語源説
(1)ミは発語。チは通路の義[大言海]。ミは御で尊称。チは道の義[東雅・箋注和名抄・雅言考・国語の語根とその分類=大島正健]。
(2)ミはアユミの義。チはツチ(土)の義[日本釈名]。
(3)ミは真の義。チは所の意[類聚名物考・言元梯]。
(4)ムキタビ(向旅)の反[名語記]。
(5)ミウチ(真内・真中)の義[日本語原学=林甕臣]。
(6)マスチ(益筋)とマツチ(真土)を兼ねていう語。ミは美称。チはスヂの約[和訓集説]。

つち【土・地】
語源説
(1)ツツヒヂ(続泥)の約か[大言海]。
(2)ツヅキ(続)の約[名言通・蓴菜草子・十数伝・言葉の根しらべ=鈴江潔子]。
(3)ツモリチリ(積塵)、またはオチツキヰ(落着居)の義[日本語原学=林甕臣]。
(4)ツムチリ(積塵)の反[名語記]。
(5)万物栄えるものは必ず落ちて土になるところからツはツクル(置)、チはオチル(落)の義[和句解]。
(6)ツツウとチヂマ(縮)って土になるところから[本朝辞源=宇田甘冥]。
(7)タツツキ(立著)の約[和訓集説]。
(8)ツラヒチ(連土)の義[言元梯]。
(9)ツは粘り気があるものを形容する語[国語の語根とその分類=大島正健]。
(10)トチ(杜地)の転か[和語私臆鈔]。
(11)ツはイカツチ(雷)・ノヅチ(野椎)などのツと同じで格助詞。チは霊物をいうチ(霊)か[古典と民俗学=高崎正秀]。

どれも語源ははっきりしないですね。
「チ」を「重要な物の名」に使ったというのは「?」です。



Re:端緒と端初

佐藤和美 (2002/03/02 09:04)

田島さん
>ただ、「端初」が一時的にひろまったものだとすれば、『岩波国語辞典』がいまだに「端緒」「端初」を併記している理由がわかりません(第六版は未見です。ご存じの方がいらっしゃったら教えていただきたく存じます)。

第六版でも変更なしです。



Re: 愛奴

massangeana (2002/03/02 01:05)

>「アイヌ」に「愛奴」とあてるのは、何故なんでしょうか?
たんに音を示しているだけです。
「愛奴」のほかに「愛努・阿伊奴・阿伊努・艾努・阿衣奴・蝦夷」あたりが使われて
います。ちょっと Google で数えてみたかぎりでは「愛奴」がもっとも多く, 次が「阿伊努」
のようでした。むろんローマ字で Ainu とのみ記しているものもあります。



アイヌの・・

リュウ (2002/03/01 20:56)

前回は、ホームページの紹介、ありがとうございました。
ところでちょっと前に、坪内さんが
アイヌの呼称ことについて(←こういう言い方って本当は変?)書き込みなさってましたが、
「アイヌ」に「愛奴」とあてるのは、何故なんでしょうか?
アイヌ民族資料館に行ったことがあるのですが、
そこでは、中国語の説明のところに、「愛奴」の表記がありました。
あれは、日本の人があてた漢字なのですか?それとも中国の人があてた漢字なんでしょうか?
ご存知の方、お願いします!



ありがとうございました

萌 (2002/03/01 16:54)

>田島様

おかげさまで、晴れ晴れとした気持ちです。
短時間のうちに、ここまで精緻な回答を頂けるとは。
感激の一言です。
さっそく友人にこの掲示板にアクセスするよう連絡しました。
ありがとうございました。



ありがとう!!

フィー (2002/03/01 14:50)

佐藤和美さん
頑張るって当て字だったんですね!!
知りませんでした。
教えてくれて『ありがとうございます。』



Re:端緒と端初

田島照生 (2002/03/01 14:11)

>萌様

わたしも興味があったので、「端緒(タンショ)」の項を辞典類で調べてみました。

*『日本国語大辞典(第二版)』…「端緒」のみ。用例にも「端初」が見当たらず。
*『大漢和辭典(修訂第二版)』…「端緒」のみ。類語としては「端序」があるのみ。
*『漢語大詞典』…「端緒」のみ。用例にもなし。類語には「端序」しか見当たらず。
*『新字源』…「端緒」のみ。「タンショ」を正用、「タンチョ」を誤用とする。
*『広辞苑(第二版、昭和四十四年)』…「端緒」のみ、「タンチョ」を慣用とする。
*『岩波国語辞典(第四・五版)』…「端緒」「端初」を併記。
*『三省堂国語辞典(第五版)』…「端緒」のみ。「タンショ」は空見出し。
*『明解國語辭典(昭和十八年版)』…「端緒」のみ。「タンショ」は転訛とする。
*『明解国語辞典(昭和二十七年版)』…「端緒」「端初」を併記。
*『NHKことばのハンドブック』…「端緒」のみ、「タンチョ」を正用とする。
*『毎日新聞用語集(1989)』…「端緒」を正用とし、「端初」は誤用と明記。

漢和辞典や漢漢辞典には「端初」が採録されていないので、「端初」は伝統的な表記ではないのではありますまいか。普通話の発音も「緒」は「xu(四声)」、「初」は「chu(一声)」とまったく違っていますから、支那語でもまぎれることはないと思います。
放送用語としては、『NHKことばのハンドブック』にあるように、「タンショ」を認めていません。つまり慣用音(「タンチョ」)を正用としています。これはしかし特別なばあいです。
いちばん興味ふかいのは、戦時中に出版された『明解国語辞典』の初版は「端緒」しか認めていないのに、戦後の改訂版になると「端初」も認めていることです。おもうに、「端初」はこの時期に一時的に広まった表記であったのではないか。『明解国語辞典』は見坊豪紀さんの緻密な「ワードハンティング」をもとに構成されており、当時の新語・表記をおおく採録していますから。しかし、おなじ見坊氏の手になる『三省堂国語辞典』はすでに「端初」をはずし(見坊氏がかかわったのは四版までです。五版編集以前に亡くなりました)、「タンチョ」の項に語義説明を附しています。
ただ、「端初」が一時的にひろまったものだとすれば、『岩波国語辞典』がいまだに「端緒」「端初」を併記している理由がわかりません(第六版は未見です。ご存じの方がいらっしゃったら教えていただきたく存じます)。もしかするとある世代(たとえば辞書の編纂者)にとっては共通の、というか浸透した表記法なのかもしれません。
『ことばに関する問答集【総集編】』には、「漢和辞典を見ると、「緒」は漢音「ショ」、慣用音「チョ」となっており、〈緒言、緒戦、緒論、情緒、心緒、緒につく〉などは、「ショ」にも「チョ」にも読めるように記されている。また、「端初」とも書くという注のあるものもある。」とありますが、残念ながらその辞典名を明記しておらず、いくつか挙げている用例(漱石と鴎外の文章)には「端緒」しか見当たりません。
また、萌さんが考えておられるように、「端初」はあるいは術語として機能しているのかもしれません。哲学とか思想とかそちらの方面にはうといので、ご存じの方がいらっしゃったらご教示ください。長長と失礼致しました。妄言多謝。



Re:「がんばって」の意味とは?

佐藤和美 (2002/03/01 12:05)

『大辞林』からです。

がんば・る【頑張る】
(動ラ五[四])〔「我(が)に張る」または「眼(がん)張る」の転という。「頑張る」は当て字〕
(1)あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。「―・って店を持とう」「負けるな、―・れ」
(2)自分の意見を強く押し通す。我を張る。「ただ一人反対意見を述べて―・る」
(3)ある場所を占めて、動こうとしない。「入口には守衛が―・っている」
[可能] がんばれる



端緒と端初

萌 (2002/03/01 10:44)

はじめまして。
先日、友人がメールで「名だたる辞典には『端緒』としか載っていないが、
手軽な用語辞典には『端初』という表記がある。ナゼか?」と尋ねてきました。
いろいろ調べてみたのですが、ネット上で『端初』を用いているのが哲学関係者に多い
ことぐらいしかわかりません。
『端初』は、『端緒』の誤用でしょうか?それとも、特定の訳語や用語なのでしょうか?
ご教示ください。



Re: かさをしぼめる

massangeana (2002/03/01 01:51)

おもしろいですね。傘をさす方は「ひらく・かぶる・きる」など地方により
いろいろな言い方がされるようですが, 閉じる方もそうなのでしょうか。
いちおう日本国語大辞典には「手にしぼめたる蝙蝠傘を持ちたり」(森鴎外
「うたかたの記」)が引いてありました。「つぼめる」も含めて分布が知り
たいところです。

>「いがむ」

九州だと「よがむ」というところが多いようです。

「い・ゆ」の交替は, 古いあたりでは「いく・ゆく」(行), 「いめ・ゆめ」
(夢), 「いわう・ゆわ」(硫黄) あたりが思いつきます。「ゆわえる・いわ
える」「いでる・うでる・ゆでる」などもあるようです。



ありがとうございます

きゅり (2002/03/01 00:15)

未菜実さん。ありがとうございますっ!
英語の文章でちょっと焦りましたが、頑張って訳してみます。



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