『地名の由来を知る事典』のアイヌ語

佐藤和美

 この文書は武光誠『地名の由来を知る事典』(東京堂出版)で紹介されているアイヌ語地名等について、間違い・疑問点を指摘するものである。
 なおここでふれなかったアイヌ語には疑問の余地がないということではないので、念のため。

P177
「ハトはどこにでもいるが、古代の文献に太子ゆかりの地のほかの「いかるが」の地名は出てこない。そこで「いかるが」はハトにちなむものではなく、アイヌ語にもとづくものだとする説も出されている。それによれば「イカルカ」という「物見をするところ」をあらわすアイヌ語が斑鳩の語源であることになる。」

アイヌ語に「イカルカ」という単語は存在しない。「インカルシinkar-us-i」(いつも眺める所)のことだったら、「インカルシ」と書くべきである。勝手にありもしない単語をつくらないこと。

P229
「アイヌの主長夫妻」

「主長」は「首長」の間違いか。
この写真は削除すべきではないか。(アイヌ蔑視を感じる。)

P231
「松前の地名は、半島をあらわすアイヌ語マツマオナイに漢字をあてたものである。」

「松前」の語源は「マトマイMat-oma-i」または「マトマナイMat-oma-nay」だと言われている。「Mat-oma-nay」の発音は「マトマナイ」だが、単語ごとに区切って表記すれば「マツ・オマ・ナイ」になる。この本の「マツマオナイ」というのは「マツ・オマ・ナイ」の間違いだろうか。「オマ」が「マオ」になっている。アイヌ語を知らないための転記ミスだろうか。「半島をあらわすアイヌ語」というのも理解できない。「半島をあらわすアイヌ語」というものが存在するのだろうか。アイヌ語では岬を意味する言葉はあるが、半島を意味する言葉はないはずだが。

「マツmat」(女)+「オマoma」(いる)+「イi」(者(所))
「マツmat」(女)+「オマoma」(いる)+「ナイnay」(川)

P233
「芦別市の名は、深くけわしい川をあらわす「アシュ・ペツ」からできている。」

「アシュ」ではなく「アシas」である。語尾の「s」を「シュ」と表記するのは、明治時代の永田方正以来の伝統ある間違い。
「アシas」には「深くけわしい」という意味はない。

P233
「江別市の名称は、胆汁のような色をあらわす「エ・ペツ」からくる。」

アイヌ語「エ」に「胆汁のような色」という意味はない。

P233
「秩父別(ちちぶべつ)という地名がある。(中略)「われわれが越えていく川」をあらわす「チ・クシ・ペツ」からきたものだ。」

「秩父別」は「ちちぶべつ」ではなく「ちっぷべつ」と読む。
「クシkus」は「越える」ではなく、「通る」である。

P233
「初山別(しょさんべつ)村という面白い地名もある。それは、シシャモが住む川をあらわす「ススハム」からきたものだ。「シシャモ」はアイヌ語からきた魚の名で、本州の人が「ススハム」を「シシャモ」と聞きちがえたのだ。」

山田秀三『北海道の地名』(北海道新聞社)にはこうある。
「永田地名解は「シュサ・ペッ。シュサ魚(注:ししゃも)の川」と書いたが、土地の人に聞くとそんな川ではないらしい。」
自信を持って「本州の人が「ススハム」を「シシャモ」と聞きちがえたのだ。」と書いているが、アイヌ語には「ススハム」という名の魚は存在しない。正しくは「スサムsusam」である。(「スサムsusam」の語源が「ススsusu」(柳)+「ハムham」(葉)と言われている。)
「シシャモが住む川」の「住む」は「棲む」とすべきだろう。

P234
「札幌のあたりは、アイヌ語で「サッ・ポロ・ペツ」とよばれていた。それは「乾いた大きな川」をあらわすものだ。その地名は、そこが豊平川の扇状地にあり、広大な乾原をなしていたことにもとづく。」

札幌が「アイヌ語で「サッ・ポロ・ペツ」とよばれていた。」という文献は残っていないはずだが。こう断定する根拠はなにか。
「sat-poro-pet」の仮名表記は「サッ・ポロ・ペッ」か「サツ・ポロ・ペツ」であり、「サッ・ポロ・ペツ」は「t」の仮名表記の統一がされていない。
「そこが豊平川の扇状地にあり、広大な乾原をなしていた」というのは、事実か。

P234
「アイヌ語で谷川を「ナイエ」という。」

「ナイnay」(川)の所属形が「ナイェnaye」(その川)である。「ナイ」は「沢」と訳す場合があるから、この「ナイエ」は「ナイェ」のことだろう。

P235
「北海道東北部以外の「ナイ」のつく地名のなかで唯一市制を施いているのが歌志内(うたしない)である。その名称は「流域に砂地の多い川」をあらわす「オタ・ウシ・ナイ」からきたものである。」

アイヌ語「オタ」は「砂、砂浜」という意味である。「砂地」という訳でいいのか。
「流域に」は不要である。

P235
「稚内市の地名は「冷たい飲み水の川」をあらわす「ヤム・ワツカ・ナイ」にもとづく。」

「ワツカ」は「ワッカwakka」の間違い。
「ワッカ」は「飲み水」ではなく「水」である。

P235
「岩内(いわない)町の地名は、硫黄の多い川をあらわすアイヌ語「イワウ・ナイ」をもとにつくられている。」

「イワウ」が「硫黄」であり、「イワウ・ナイ」に「多い」という意味は含まれない。

P235
「知内(しりうち)町という地名もある。ただし、これは川にもとづく地名ではなく、鳥の群らがり住むところをあらわすアイヌ語「チリ・オリ」からきたものだ。」

「鳥の群らがり住むところ」は「チロチciroci<cir-ot-i」のことか。
「チリcir」(鳥)+「オツot」(群在する)+「イi」(者(所))

P236
「「相内(あいない)」や「藍内(あいない)」と書かれる地名が、いくつかある。青森県南部町には相内の小地名が、同県相馬村には藍内の小地名がある。それは、「いら草の小さな川」をあらわすアイヌ語「アイ・ナイ」によるとされる。」

アイヌ語「アイay」に「いら草」の意味はない。
「小さな川」という訳はどこから出てきたのか。

P236
「仙台市に案内(あんない)の地名がある。これが、アイヌ語の細い川をあらわす「アン・ナイ」からきた可能性がある。」

「細い」は「アン」ではなく「アネane」である。

P236
「その他に、「歌内」や「打田内(うつたない)の小地名もある。それは、砂をあらわすアイヌ語「ウタ」と「ナイ」が結びついてできたものであろう。」

アイヌ語で「砂」は「ウタ」ではなく「オタota」である。

P236
「浦子内(うらしない)という小地名も多い。秋田県鹿角市や同県西木村などにその地名がある。それは、笹がある小さな川をあらわすアイヌ語「ウラ・シ・ナイ」からきたと考えられる。」

アイヌ語で「笹」は「ウラシuras」である。「笹の川」だったら、「ウラ・シ・ナイ」でなく「ウラシ・ナイ」である。なお「ウラシ・ナイuras-nay」は語源説の一つである。
「笹がある小さな川」という訳はどこからでてきたのか。

P236
「北海道平取(びらとり)町の地名は、崖の間をあらわすアイヌ語「ピラ・ウトルイ」によるものだ。」

「崖」は「ピラpira」であり、「間」は「ウトゥルutur」である。

P237
「古平(ふるびら)町の地名は、赤い崖をあらわすアイヌ語「フルー・ピラ」をもとにつくられた。」

P238
「空知川沿いの鉱山都市に赤平(あかぴら)がある。その地名は、アイヌ語の「フルー・ピラ」、つまり赤い崖をあらわす言葉からできた。前にしめしたように、その音をそのまま用いると「古平」のような地名になるが、「赤平」の名称は、「フルー」の日本語訳「赤」と「ピラ」の音を写した「平」をあわせる形でつくられた。」

P243
「赤井川の地名はアイヌ語の「フレ・ペツ」によるものだ。「フレ」は古平、赤平の地名のもとのアイヌ語にもみられる赤いことをしめす言葉である。」

アイヌ語で「赤い」は「フルー」ではなく「フレhure」である。著者はP237、P238とP243が矛盾しているのに気づいていないのだろうか。

P238
「豊平の地名は、アイヌ語の「トイ・ピラ・ペット」からおこった。それは「川の水がその岸を切り崩す」ことをあらわす。豊平川の蛇行が甚だしく、洪水などがあると前に原野であったところが川になるような事態が多かったのでその地名ができた。」

「崩れる」はアイヌ語で「トゥイtuy」である。
「ピラpira」は「崖」であり「岸」ではない。
「ペット」とはなにか意味不明である。「ペツpet」(川)のつもりか。(私の持っている大正七年発行の磯部精一『北海道地名解』では「pet」を「ペット」と表記している。)
「トイ・ピラ・ペット」で「川の水がその岸を切り崩す」という意味になるのか。
「豊平川の蛇行が甚だしく、洪水などがあると前に原野であったところが川になるような事態が多かったのでその地名ができた。」というのは「崖」と「岸」を間違えているためでてきたのだろう。

P239
「港町苫小牧の地名は、アイヌ語の「マク・オマ・ナイ」をもとにつくられた。それは「奥にある川」をあらわすものだ。「まくおまない」が妙な形に訛って「とまこまい」になった。」

「マク・オマ・ナイ」でなく「マコマナイmak-oma-nay」と考えたほうがよい。この「マコマナイ」の語頭に「トto」(湖・沼)がついたのが、「トマコマナイto-mak-oma-nay」、つまり「とまこまい」である。けして「妙な形に訛っ」たのではない。

P239
「かつて世界一の透明度を誇った摩周湖は、神秘的な風景の湖として多くの観光客をあつめている。その地名は、アイヌ語のカモメの沼をあらわす「マシュウントウ」をもとにしたものだ。」

摩周湖のような山奥の湖にカモメがいたのか。
なお「マシュウントウ」は不正確な表記である。「マシmas」(カモメ)+「ウンun」(いる)+「トto」(湖・沼)で、「マスントmas-un-to」である。

P239
「足寄の地名は、アイヌ語の「沿って下る川」をあらわす「アショロ・ペツ」による。」

「沿って下る」はアイヌ語で「エソロesoro」である。

P240
「室蘭の地名は、アイヌ語の「モ・ルエラ・ホツエ・ウシ」からおこった。それは「小坂を下り船をよぶところ」つまり坂の下の港をあらわすものだ。」

なにやら呪文のような言葉がならんでいるが、少しはアイヌ語を勉強したほうがいいだろう。
「ルエラ」、「ホツエ」という単語が存在するなら、どういう意味か教えてほしい。

P240
「帯広市の地名も「オ・ペレペレ・ケプ」という長いアイヌ語からつくられている。それは「川口がいく条にも分かれている川」をあらわす。」

「オ・ペレペレ・ケプ」ではなく「オ・ペレペレケ・プo-perperke-p」である。

P241
「夕張の地名は、鉱泉をあらわすアイヌ語「ユーパ」にもとづいてつくられた。その名称は、夕張川で鉱泉がわいたことにちなむものである。」

夕張の語源説の一つに「ユーパラ」(「ユyu」(温泉)+「パラpar」(口))がある。「ユーパ」は間違い。

P241
「富良野(ふらの)市は、ラベンダーの咲く観光地として知られる。その地名は、硫黄の臭いをもつところをあらわすアイヌ語「フラ・ヌ・イ」からおこった。」

「フラ」は「臭い」という意味で、「硫黄の臭い」という意味ではない。

P241
「帯広や室蘭まで川にかかわるものと考えると、川以外のものから生じた地名で、市(し)の名称になったものは、夕張、富良野、恵庭の三例だけであることになる。」

北海道の市を全て確認したのか。例えば網走は川とは無関係である。

P242
「北海道のほぼ中央部に位置する旭川は、ぜいたくな手織りの布優佳良織の産地として知られるが、その地名はアイヌ語の「チェブ・ペツ」をもとにつくられている。それは、旭の出る方角の川をさすといわれる。
 ただし、「旭川」は誤訳だとする説もある。その地名は市内を流れる忠別(ちゅうべつ)川にもとづくものだが、「ちゅうべつ」は「チェウ・ペツ」で瀬の早い川、波の立つ川をあらわすものだ。つまり「チュウ・ペツ」を「チェブ・ペツ」とまちがえて「旭川」にしたというのだ。」

「チェブ」ではなく「チュプcup」である。なお「チュプ」は「太陽」であり、「旭の出る方角」という意味はない。
「チュウ」ではなく「チウciw」である。
「瀬の早い川」の「早い」は「速い」だろう。

P242
「深川のあたりは、アイヌ語で「ナエ」とも「メム」ともよばれた。ナエは谷川をあらわし、メムは清水のわき出る土地をあらわす。そこに入植した人びとが、ここは清水がわき出して深い谷川をつくった土地だと考えて「深川」の地名をつくった。」

「ナエ」は「ナイnay」か「ナイェnaye」の間違いであろう。
「メムmem」は「清水が湧いてできた池」などをいう。「土地」ではない。

P242
「北海道の駒ヶ岳のふもとに砂原(さわら)町がある。その地名は「やや広い砂州」をあらわすアイヌ語「サラ」によるものだ。」

アイヌ語「サラsar」、「サラsara」には「やや広い砂州」という意味はない。

P259
「幸福とよばれたあたりは、もとは幸震(さちない)とよばれていた。それは、地震をあらわすアイヌ語にもとづく地名だ。アイヌの人びとは、地震で荒らされた土地をそうよんだ。
明治二九年(1896)の文献に、はじめて幸震の地名が出てくる。それは、サチの音に「幸」をあて、「ナイ」を意訳して地震の「震」にする形でつくられた。」

日本語の古語の「なゐ」は「地震」という意味である。それさえ知っていれば、こんな文章は書かなかっただろう。アイヌ語「ナイnay」(川)に「震」の字を宛てたのである。

(2001・6・30)


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